no.4
翌日は、早めに朝食を用意してもらった。
まだ寝足りないとぶつぶつ文句を言うリリアに
「早く立たなければ、先に進めませんよ」
セレクが言った。
満月の夜までに魔法の杖を直すために必要な五品をそろえて、戻らなければならないのだ。のんびりしているわけにはいかない。
朝食の後、宿の主人にアブラソ山について話を聞いた。昨夜、インファンテで白龍を見た青年の話を聞いていたので、詳細を知りたかったのである。立つ前に少しでも情報を得たい。
「白龍を見たって言うのは、インファンテの山麓らしいな。そこへ行くには、二通りあってな」
主人が言うには、インファンテに行くには、その手前にある妻山インファンタを二日かけて超えるか、後悔の洞窟と言われるインファンタにある洞窟を半日で抜けるかのどちらかだと言う。
当然、時間を掛けない洞窟のコースをとる。
しかし問題がないわけじゃない。後悔の洞窟という名の通り、迷路のようになった洞窟の内部には、所々に通る者の心を惑わせるきっかいな場所があると言う。心に少しでも惑いの入り込む隙間があると、その者は惑いに取りつかれて、後悔の念に苦しみ、二度とこの洞窟を出ることができなくなると言う。
だが、この旅には期限がある。敢えてその後悔の洞窟を通ることにした。
洞窟は歩くしかなく、馬では無理なので、宿の主人に頼んで馬を預かってもらうことにした。必要最低限の荷物を用意して、主人が宿に入ってから、それぞれがどれを持つか決める。リリアには一番小さな荷物を背負ってもらい、大きな荷物をひとつルナが背負い、あとはセレクである。姿が見えないだけに、荷物だけがふわふわと宙に舞っているように見えるので、どこか滑稽な感じではあるが、力持ちのセレクがいて、大助かりである。
宿を後にして、三人はアブラソ山へ、向かった。
ガムサから見たアブラソ山は、手前になだらかな裾野が広がっている妻山インファンタがあり、その奥に夫山インファンテが険しく聳え立っていた。
裾野をしばらく進むと、森に入り、洞窟の入口へとたどり着いた。
リリアがもう歩けないと文句を言っているので、入口を前にしばらく休憩をとることにして、昼食にした。宿の主人が好意で持たせてくれたものだった。
「またこんなものなの?」
「姫様、文句ばかり言わないでください。宿の主人に感謝しなくてはいけませんよ」
「これからが本当の旅かもしれませんね。リリア、頑張らなくては、ね」
「わかったわよ」
少々ふてくされ気味ではあったが、リリアは食事をとった。
ほんの少し食休みをして、それぞれランタンを持って三人は洞窟に入った。ほの灯りに照らされた洞窟の壁はごつごつしていて、湿気もひどい。ところどころに亀裂もあったりする。足場もでこぼこで、気を抜くと躓いて転んでしまいそうになる。
そんな中を慎重に先へと進んでいく。
しばらく経って、リリアが気付くとルナがいない。
「ルナ、ルナぁー」
返事がない。
「セレク、セレクぅー」
もともと姿は見えなかったけれど、ランタンは確かに先ほどまで見えていた。しかし今は自分が持ったひとつしかない。
辺りは、静まり返り、ピタッピタッと天井から落ちる水滴の音だけが反響している。
「やだぁ、なんで一人にするのよ。ルナ、セレク、出てきてよ!」
リリアは、苦手な暗闇と湿気、そして一人という状況に混乱して、闇雲に走った。
見覚えのある龍の紋章がある空間に出た。
「ルナ、セレク! 二人ともクビになりたくなかったら、すぐに出てきなさい! わたくしを一人にするなんて許さなくってよ!!」
リリアは喚き散らした。
その頃、ルナもリリアとはぐれたことに気づいていた。
「どうしよう」
辺りを見回すとランタンがふわふわと浮いている。
「セレク、リリアとはぐれてしまったようよ」
「そのようですね。今頃、クビにするとか、喚いていますね」
「どうしましょう」
ルナが前に進もうか、元に戻ろうか、迷っているときだった。微かにリリアの悲鳴らしきものが聞こえたような気がした。けれど、それがどちらの方角からなのかわからない。
「リリア、何処にいるの? リリアー」
叫んでみたけれど、返事はない。
焦りだしたルナにセレクが言った。
「心の目を使いなさい。君なら見えるはず」
「えっ?」
ルナは、セレクは訳がわからないことを言うと不思議がった。
「目を閉じて、心を落ちつけて」
そう言われてルナは、目を閉じ、深呼吸して、気持ちを落ち着かせようとした。
「見えるはずですよ、ルナ」
真っ暗だった瞼の奥にうっすらと何かが見えてきた。それは徐々にはっきりしてきて、先ほど通った空間にあった龍の紋章だった。
「さっき通ったところだわ」
「戻りましょう」
「はい」
二人は、足元に気をつけながらも急いで来た道を戻った。
後ろから着いてくるランタンをちらっと振り返りながら、ルナは自分にこんなことができるなんてと驚きつつ、それを知っていたようなセレクのことも気にかかった。
しばらくするとリリアの叫び声が聞こえ始めた。
「クビよ、クビーーーっ!!」
一瞬、しーんと静まりかえったと思ったら、
「ぎゃーーーっ!!」
洞窟が崩れてしまいそうな悲鳴が聞こえた。
「リリアーーーっ」
ルナ達は、すぐに龍の紋章があった空間に辿り着いた。
「リリアっ!」
叫んだ途端にリリアが現れてルナにしがみついた。
「ルナぁー」
「無事でよかった」
「気持ち悪い虫が落ちてきたの。早くこんなところから出たいわ。ジメジメした暗いところは嫌いよ、わたくし!」
リリアは捲し立てる。
「先を急ぎましょう。もうすぐ出口だと思うの」
「どうしてそんなことがわかって? わたしく、もう本当に嫌ですわ」
「姫様、ルナを信じて。大丈夫ですよ」
ルナは、リリアとセレクに言われて、自分でどうして出口がもうすぐだと思ったのか、不思議でたまらなかった。けれど、考えている余裕はなかった。リリアが早く出たいと喚き立てていたからだった。
「ルナ、手をつないで。もうわたくし、一人は嫌よ。今度こんなことがあったら、許さなくってよ」
「わかりました」
リリアはルナと手をつないで、やっと喚くのをやめた。
ルナが先頭でリリアの後にセレクがつくことになった。これで三人がはぐれることはないだろう。
迷路のような洞窟で、何度か行き止まりになってしまったりはしたものの、うっすらと光が見えてきた。あれが出口だろう。
「出口のようですね」
セレクの声がした。
「やったわね。これで外に出られるわっ!」
リリアがルナの手を離して、光の見える先へと走り出した。
「リリア、危ないわよ」
「平気よ、もうすぐそこだものぉー」
叫びながら走っていくリリア。
そんなリリアの後ろ姿を見つめて、ルナが言った。
「どうしてかしら。道には迷ったけど、なにもなく出口に辿り着いたわね」
確か、この洞窟は、後悔の洞窟。なのに三人とも、惑うことなく出口に辿り着いてしまったのだった。もちろん、何もないことに越したことはないのだけれど。
「こんなことは初めてじゃ、まったく……」
「えっ、セレク、なに?」
「いえ、私じゃありません。洞窟の奥から聞こえましたよ」
「この洞窟の主じゃよ」
洞窟の奥から低い声がして、仙人のような真っ白い髭を生やして、杖を着いた腰の曲がった老人が姿を現した。
「そなたは、過去を忘れていて、後悔するような過去がない。姿なきそなたは、何に対しても後悔するような失敗をしてはおらぬ。そしてあの出口に飛びついている姫様には後悔という感情がないようじゃなぁ。三人が三人ともこんなことは初めてじゃよ。せいぜい気をつけて旅を続けられよ」
白いぼさぼさの髪で顔も見えない洞窟の主が言った。
「ありがとうございます」
ルナがお礼を言うと、
「そうじゃ、そなた達は、インファンテの白龍に会いに行くのであろう。これを白龍に渡すとよい。そなた達の願を叶えてくれるじゃろう」
そう言って、ルナの掌に革袋を乗せて、
「そなた達なら大丈夫だろうて……ふむふむ……」
独り言を言いながら、洞窟の主は、暗闇の中に消えていった。
「なにかしら?」
ルナが革袋を覗いてみると、緑に光り輝く石が入っていた。
「ルナ、早くそれを隠しなさい」
「えっ?」
「白龍に出会う前に姫様に見つかったら、大変ですよ。折角、役に立つ物を貰ったのですから」
美しい物が大好きなリリアにとっては、これは白龍の髭より大切なものになってしまいかねない。
ルナはセレクの言った通り、それをそっと懐にしまった。
「いやぁーーーーーっ!!」
またしても洞窟が崩れてしまうのではないかと思うほどの悲鳴がした。出口の光に駆けていったリリアの叫びである。
ルナとセレクは慌てて、走り出す。
光の中に佇んでいるリリアの背中に追いついて、ルナとセレクは息を飲んだ。
リリアが立っているのは、山の中腹で着き出た岩棚の上だった。下界を見れば、鬱蒼と茂った木々、それはまるで延々と続いていて終わりのない……樹海だった。もちろん、その向こうには、険しい夫山のインファンテが聳え立っていたが、妻山との間にこんな樹海があるなどとは、ここに来るまでまったく知らなかったのだった。
「どうしてぇー。やっと洞窟を出られたのに、これじゃ、また迷ってしまうわ。わたくし、もう嫌よ」
リリアは、そこに座り込んでしまった。
もう天空の太陽も沈みかけている。半日かけて、洞窟を抜けたのだから、王宮でぬくぬくと暮らしていたリリアにとっては、この景色には絶望にも似たものがあっただろう。リリアでなくてもルナやセレクも言葉にならない。今から、この樹海に入ったのでは、すぐに夜になってしまう。
最初に立ち直ったのはセレクだった。
「仕方ありません。今日は、ここを降りた辺りで、休みましょう。樹海に入るのは、明日にして」
リリアは、がっくり肩を落としている。ルナは、西の空に輝く太陽からの淡い日差しを浴びる樹海、その緑の美しさに言葉なく感動していた。なにか懐かしさのような思いを込めて。




