no.19
ルナを抱きしめるルースの左手からは、まだ血が滴っていた。
「ルース殿、傷の手当てを」
セレクが駆けより、荷物から薬や包帯を出して、手当を始めた。
よろよろとリリアが、近づいてきた。
「ルナは大丈夫?」
「リリア姫、大丈夫ですよ。ルナは久々に力を使って疲れただけです。休めば元に戻ります」
「よかった……セレク、あなた、そんなものまで持っていたの?」
「旅をするのに、応急処置用の薬などは必需品ですよ」
セレクはそう言って、ルースの手当てを終えた。
四人は、ここで一晩を過ごす。ルースの腕の中で、ルナはぐっすりと眠っていた。
「これで島には平和が戻るのよね?」
「そうです」
「でもルナがかわいそう。あいつが父親だなんて」
「姫様、それは……」
「ルナはそんなに弱くはありませんよ、リリア姫。心配はいりません。僕もついています」
「そうね、あなたがいれば大丈夫よね」
リリアはまだ引きつった笑顔のままで、言った。
「ルナのあんな姿を見て、驚かされましたわ」
「私も驚きました。ルナはすごい力を持っているんですね」
「コントロールできないのが難点なんだが、こんなに大きな力を発揮したのは、初めてだな」
ルースは腕の中のルナを見つめて言った。
「さあ、姫様、では、私達も少し休みましょう。さすがに疲れました」
「そうね、ルナも眠っているし、わたくしも疲れましたわ」
リリアとセレクは肩を寄せ合って眠りに着いた。
ルースは、腕の中のルナをただただ見つめ続けた。
夜が明けて、小鳥のさえずりが窓の外から、聞こえてきた。リリアが目を覚まし、伸びをすると、傍らのセレクの体が倒れて、セレクも目を覚ました。
「ルナはまだ目を覚まさないの?」
「もうしばらくだけ休ませてください、リリア姫」
そこにヘスティオンが小箱を持って現れた。
「よかった。まだいてくださって」
「法王猊下は?」
「神殿へ、昨夜のうちに戻られました。今後も私が猊下のお世話をさせていただくつもりです」
「あなたは?」
「もともとここで、猊下のお世話はもちろん、牢番や侍女、守番を統括してきました」
ヘスティオンはその美しさゆえに命を落とすことなく、メルクリオの手下となっていたのだった。
「これをあなた方に渡そうと思いまして」
そう言ってヘスティオンは小箱を差し出した。それをルースが受け取る。
「これは?」
「解毒剤です。王妃様に三滴、飲ませてください。苦しまずに目を覚まされます。それから王様の病にも効くはずです。王様には一滴。くれぐれも量を間違われぬように」
「ありがとう、ヘスティオン。君に北の塔を任せるよ。ここを守り、神殿と法王を守ってくれ」
「法王の存在に疑問を持っていた私に答えをくれたのは、あなた方です。ここに留まり、法王猊下をお守りします。それでは私はこれで。お気をつけてお帰りください」
そう言って、ヘスティオンは部屋を出ていった。
しばらく経ってもルナは目を覚まさない。
「ルナったら、いつまで寝ているつもりかしら。いくら平和が戻ったと言っても、わたくし、ここでこうしているのはもう腰が痛いわ」
ルナを抱くルースの前に座り込んだリリアが言い出した。
「そうですね、そろそろ起こしましょうか」
ルースはそう言って、ルナの頬をそっと撫でた。
「ルナ、起きてくれ、ルナ」
「ううーん」
ルナは、何度か瞬きをして、見下ろしているルースの顔を見た。
「ルース、おはよう」
ルナはそう言ってルースに抱き付いた。
「まあ、ルナったら、なんなの?」
リリアが真っ赤になって怒りだした。
「姫様、いいではありませんか。ルナもここまで本当に頑張ったのですから」
セレクが苦笑いしながら言った。
「わたくしも頑張りましたわよ!」
「そうですね、リリア姫。お礼を言うのを忘れていました。これまでありがとうございました」
ルースが言った。
やっとリリアとセレクもいることに気付いたルナは、ルースから慌てて離れた。
「あ、あの、リリア、セレク、本当にありがとう。私からもお礼を言うわ」
「もうよくってよ。当然のことをしたまでよ。さあ、帰りましょう」
リリアが立ちあがったのを合図に四人は北の塔を出た。
馬に乗り、森を走る。森の中央を過ぎたころ、夕闇が迫り、そこで野宿することにした。もう戦いは終わりなのだと宮殿にいる者たちに早く知らせてやりたい。けれど、ルナもまだ完全には体力を回復していなかった。
今回は堂々と焚き火ができる。
「やっぱり旅にはこれがなくてはね、ルナ」
ルースとルナが集めた小枝にセレクが火をつけた焚き火を前にリリアは、微笑んでいた。
「私、馬達に水を飲ませてくるわ」
「僕も行こう」
「じゃ、わたくしも……」
とリリアが立ちあがろうとして、セレクに止められた。
「なによ?」
「姫様、二人にしてあげましょう」
「あら、そうね。わたくしったら、ほほっ」
そう言って、また座りなおしたリリアだった。
しばらく歩くと森が開け、湖が見えてきた。そこで馬達に水を飲ませる。湖の向こうには大きな満月が輝いていた。ルナも渇いた喉を潤す。
「冷たくてとても美味しいわ、ルース」
振り向きざまにルースに抱きしめられたルナ。
「ルース……」
「ルナ、本当に辛い思いをさせた。すくない」
「い、痛いわ、ルース」
「ご、ごめん」
ルースの腕が解けた。
「もういいじゃない。それにルースが私を信じてくれていたから、この国に平和が戻ったのでしょう?」
「ああ、君が生きていてくれると信じていた」
「ルースがそう信じてくれていたから、私はここに戻れたのよ」
「そんな強いルナに贈り物だよ」
ルースがそう言うと両手を差し出した。そこにふっと金色の光が現れ、それは宙にふわふわと浮き上がる。
「北の塔に留まっていた君の母上の声だ」
そう言うと光が増して、ルナの頭上に移動した。
「ルナ、私の愛しい子……私は神族の者。あなたの母です。地上の妖精メルクリオの美しい銀色の髪に心を奪われ、傍にいるだけという契約の元、地上に降り立ち、侍女として働いていました。傍にいられるだけで幸せでした。メルクリオの中に愛が芽生えたことにも気づきました。契約を破るわけにはいかない、けれど、私達の愛は大きくなりすぎました。私は彼の愛を受け入れて、罪を犯しました。そして身ごもった。それがあなたです。私はあなたを育てるわけにはいかなかった。私は神との契約を破り罪を犯した代価として、私のこの世での命を支払わなければならなかったのです。そこで月が満ちた晩、メルクリオに別れを告げて、あなたを泉の森に置き去りにしました。命を失ったものの、罪の重さから昇天は叶わず、こうしてこの世に留まっていたのです。罪を犯したのは、私とメルクリオです。生まれたあなたが罪を背負うことはありません」
「お母様……」
「優しいルナ、なあなたの今の心が私とメルクリオの罪の重石を外してくれました。ありがとう、ルナ。私はこれで昇天できます。メルクリオも法王の任期を全うできるでしょう。ルナ、決して忘れてはいけません。罪を犯したのはあなたではないのです。清い心を持つあなたには罪の欠片もありません。ルースと共に前を向き、幸せに暮らしてください。私の愛しい子、ルナ。ルース、ルナをお願いします。あなた達のことを心から愛しています」
光はすーっとルナの頭上から、天へと昇って行った。
「お母様っ!」
「ルナ、幸せになろう。それが君の母上や父上の希望だ」
「……はい……」
ルナはルースの胸で思いきり泣いた。
ルースとルナがリリア達の元に戻ると
「おっそーい!! でも今回は許してあげるわ」
リリアがにっこり笑って言った。
「どうせなら明日の朝までゆっくりしてくればよかったのに」
「姫様!」
ほほほっ。
「今夜はここでゆっくり休んで、明日は宮殿に帰りましょう。皆が帰りを待っています」
「ルース殿、そうですね。早く皆に知らせてあげなくては」
「オルベ達、心配しているものね」
夜も更け、四人は焚き火を囲んでぐっすりと眠ることができたのだった。




