no.12
ルナが幼命宮に戻ると既に食事の用意がされていた。リリア達とおしゃべりをしながらおやつを食べていたので、食事は軽く済ませた。
その間にオルベは湯あみの準備をしていた。食休みをして湯あみをする。湯船にはたっぷりの聖華が浮いていた。
「オルベ、こんなに聖華を使ったら、なくなってしまうんじゃないの?」
「大丈夫ですよ。それに今夜は特別です」
「特別?」
「その、ルース様がこちらにお召しになるそうです」
「そう、私も今日のことを聞きたかったの、よかったわ」
「いえ、そういうことではなく……」
「なによ」
「いえ、ルナ様がわからないのでしたら、結構です」
「変なオルベ」
たっぷりの聖華を両手にとって、ルナはその香りを思いきり吸い込んだ。香しい甘い香りが体の中にまで入ってくる。
夜着もいつものとは別のものが用意された。
「いつもので構わないのに」
「いいえ、今夜はこちらにしてください」
オルベの言われるまま、ルナは仕方なくそれを着て、ガウンまで着せられた。その上、聖華の香水まで掛けられそうになって
「それはいいわ、オルベ。もう湯あみで体中に聖華の香りがついているもの。部屋中に香りも漂っているし」
なんとか、香水は免れた。
「ルースが来るからって、そんなに気を遣わなくていいのよ。いつも、普段通りだったんだから」
「普段通りって、いつもの夜着でお会いになっていたんですか?」
「そうよ」
「ルナ様、そろそろ自覚なさってくださいませね」
「なにを?」
「なにをではございませんよぉー」
オルベが呆れていると、階下で声がした。
「あっ、いらしたようですわ」
オルベは、部屋を駆けだして行った。オルベの後を追うようにして、ルナも部屋を出た。
「やあ、ルナ。その夜着も似合うね」
正装したルースが入口に立っていた。
「オルベ、手数をかけてすまないね」
「いいえ。ルース様の湯あみのご用意は、予備室に」
「ありがとう。じゃ、先に湯あみをしてきてしまおう。今夜、ここに来たことは、ここにいるガイと君達しか知らないから」
「わかっております」
ルースはルナに視線を送ってから、ガイと一緒に予備室の方へと行ってしまった。
「ルナ様、寝室にお戻りくださいませ。私はお茶の用意などもありますから」
「はいはい」
オルベは、食堂の奥に消えて行った。
ルナは、寝室に戻りかけて、階段の上に座り込んだ。両膝に両肘をついて、あごを乗せる。ルースったら、わざわざこちらに来て湯あみしなくてもいいのに。折角正装しているだからその姿もいいんだけどなぁ。それに王様とのお話も気になるし、ガイ達とどんな話をしたのかしら。メルクリオを倒す相談よね。
そんなことを考えていると、ルースが夜着に着替えて、出てきた。ちょうど反対側からは、お茶の用意をしたオルベが出てきた。
「ルナ様! なんて恰好をされているんですか!!」
「えっ、あっ、ごめんなさい」
階段途中で座り込んでいたルナは慌てて立ちあがった。
「まあまあ、オルベ。そう目くじらをたてるな。ルナらしいじゃないか」
「ルース様はルナ様に甘すぎます。だからルナ様ったら、こんな……」
「ルナはこのままのルナでいいさ。さあ、上でお茶をいただこう。やっと人心地つける」
ルナはさすがに今のはまずかったと反省した。真っ赤になって火照った頬に寝室のバルコニーの風が気持ちよかった。
「そちらでお茶をいただこう」
ルースもバルコニーに出てきて、椅子にかけた。
「ガイももう戻らせたから、君も今夜はもういいよ。トマムが君の家にいると聞いたけど」
「はい。行くあてもないと申しますし、私の家も今は空き家になっていますから」
「だったらトマムもひとりで不便だろう。帰ってやりなさい」
「トマムはオルベの家にいるの?」
ルナが振り返って言った。
「はい」
「じゃ、早く行ってあげなくちゃ。食事も不便してるでしょう。必要なものがあったら持って行ってあげて。私のことならもう大丈夫だから」
「ルナ様、ですが」
「いいの。私のことは。オルベはトマムのところに行って、ね。トマムも待っているわ、きっと。ふふっ」
オルベがトマムを大切な相手だと思っていることをルナは気付いていた。
「オルベ、こちらは心配いらないから、行ってやりなさい」
ルースも気付いたようだった。
「それでは、これで失礼します。あの、ルース様、ちょっと」
オルベは、ルースを寝室に呼んでなにかこそこそとしている。ルナは気になったが、先にお茶を飲んでいた。
「気をつけてお帰り、明日はゆっくりでいいから」
そう言いながら、ルースがバルコニーに戻ってきた。
「オルベは、なんて?」
「いや、君があまりに鈍いと怒っていたのさ」
「まあ、ひどい。どういうこと?」
「僕がこちらで今夜は過ごすって言ったものだから、気を回し過ぎたようだね」
「えっ?」
ルナはやっとオルベの態度の変化に気付いた。オルベがトマムと幸せになればいいなと思っていたのと同じで、オルベもなにやら早合点をしていたようだった。気恥かしさから、ルナは黙り込んでしまった。
「父上に会ってきたよ」
ルースが話出した。
「たった二年で随分変わられた。気弱にもなっておられるし。母上のこともあるしな」
二人は、言葉なくお茶を飲んだ。
メルクリオを倒しても、王妃様の飲まされている薬がなんなのかわからなければ、王妃様は元には戻らない。
「父上が法王猊下に会いに行けと言われた」
ルースがカップを置いて言った。
「法王?」
「デスグラシア山の北の、海に面した神殿に住んでいるらしい」
「北の塔より北なのね。神殿は、東の昇陽殿だけではないの?」
「違う……らしい。そもそもあんな場所に北の塔があるのも不思議に思っていた。あれは、それ以上、北への侵入を防ぐためのものだったんだ」
「なぜ? わからない。わかるように話して」
「法王は神の御使い。この島の運命を担っているのは、本当は法王なのさ」
ルースは、王から打ち明けられた全てをルナに話した。
法王はこの島が平和であるために存在する。彼の心が平安であれば、島は平和に保たれる。しかし彼の心が乱れれば、その平和も乱れる。島がこんな状態である以上、法王になにかあったとしか考えられないということだった。法王自身ももちろん妖精であるが、千年に一度、新しい者に引き継がれる。新法王を決めるのは法王自身であるという。
法王という存在を知らされたルナは戸惑っていた。
「なぜその存在が隠され、王のみが知らされるのかはわからないが、現状を考えて、法王に会いに行けと言われたんだ。本来なら王のみしか知らないことだけれど、父上はあの通り動くことさえままならない」
「ルースが会いに行くのなら、私も行く」
「ルナ、危険なことなんだよ。君を連れては行けない」
「嫌よ。それがどんなに危険なことでも私はもうルースと離れたりはしない。ぜったい!」
ルナの真剣なまなざしがルースに注がれた。
ルナにとってルースは失うことのできない存在だった。それはルースにとっても同じである。ルースも迷っていた。ルナを一人置いていくことに躊躇いも感じていた。一時も離れていたくはない。
ルース……太陽、そしてルナ……月。互いがあって時を刻めるのである。そう運命づけられた名を受けた二人である。この名も実は法王がつけたものだった。が、二人はそれを知らない。
「ガイ達とも会議を行った。メルクリオとの決戦に挑むため、妖精たちも王宮に集まることになった。しかし戦いは法王猊下に会ってからだ」
「うん」
「戦いになれば傷つく者も出るだろう。だが法王猊下に会って、なにに心を痛めているのかわかれば、戦わずして、平和を取り戻せるかもしれない」
「ほんと?」
「可能性があるということだよ、ルナ、そんな顔をしないでくれ」
目を輝かせて、ルースを見るルナに困ったような表情を見せたルースだった。
「さぁ、もう休もう。月も随分西に傾いてきた。疲れもとらなくてはな」
「うん」
あくびをしながらルナはルースについて寝室に入った。ルースが先にベッドに入り、ルナを招き寄せた。
「今夜は一緒ね」
「ああ。オルベがえらい勘違いをしていたが……こうして休むのも二年ぶりか」
「うん。ルースとまたこうして眠れるのね」
「ああ。君のお陰だ。ルナ、ゆっくりお休み」
額にキスをくれたルース。
その胸の中で夢の中に落ちていくルナだった。




