no.9
塔の最上階で気を揉んでいたルナ達に雁の声が聞こえた。
「雁の声だ」
ルースが後ろの明かりとりの窓に視線をやった。
「トマムが王妃様を助け出したんだわ」
「俺たちも急ごう。母上が出たのなら、長居は無用だ」
「はい」
ルースが先に立ち、ルナ、リリア、セレクといった順番で塔の階段を下りた。階段を降りたところで、監視の男に出くわしてしまった。ルースはすかさず鳩尾に一撃、男はそこで失神してしまった。
「やるじゃない、ルース様ったら、ね、ルナ」
リリアがルナに耳打ちした。
「このくらいのこと……」
ルナが言いながら、ルースに着いていく。
「それじゃ、なんで今まで逃げ出さなかったのよ」
ルナに着いて歩くリリアが言う。
「姫様、王妃様のことも考えてくださいね。一人で逃げ出すのとは違うんですから」
後ろから着いてくるセレクが言った。
四人は、忍び込んだルートを逆に辿って城の外に出た。
「またびしょびしょじゃない。気持ち悪いわ」
リリアが堀から上がると文句を言った。
「まだ気を許してはいられませんよ。早く森の中に隠れましょう」
セレクが言う。
四人は、馬を隠しておいた森の中に入った。
そこで一休みする。
「もう気持ち悪いったら。拭くものを持ってくればよかったわね」
リリアがまた文句を言う。
「ここで火を焚くわけにもいかないだろう。申し訳ないが我慢していただけますか?」
ルースがそれに答えた。
「姫様の我儘に付き合って下さらなくていいんですよ、ルース殿」
「まぁ、セレクったら、ひどい言い方ね」
「姫様の文句をいちいち聞いていたら、キリがありませんからね」
四人は服が乾くまで、しばらくここで休むことにした。
そこでルースに改めてリリアとセレクを紹介した。
「ペンサミエント国のリリア姫と王室づきの魔法使いセレクよ。三人で旅もしたの」
「三人で旅を?」
「ええ、わたくし達、これでもなかなかのものなんですわよ。旅には慣れてましてよ」
その旅に出る原因を作った本人は、全くそんなことは気にもしていない。
旅の話を掻い摘んでルナはルースに話した。
ルースのほうも、ルナが行方不明になってからのことを話した。ルナが姿を消してひと月後くらいに突然メルクリオからルナを預かったという手紙を貰ったと言う。それには、ルナを返してほしかったら、王妃と共に北の塔に来るようにとあった。相手が何者なのかわからない。警戒はしたものの、ルナがいなくなってひと月、焦りもあった。
そして王妃と共に北の塔に行き、幽閉されてしまったのだと言う。ルースと王妃は別々にされ、二年の間に二度しか顔を合わせていないという。それも幽閉された最初のころにである。メルクリオが王妃をなんとか手玉に取ろうとしているのがわかった。ルースにはメルクリオの娘マルテが迫ってくる。しかし二人は、決してそれを受け入れることなく、そのまま別々に幽閉されたのだった。
「あんな塔で寂しかったでしょ」
ルナはやっと会えたルースに寄り添って訊ねた。
「それよりもなによりも君の安否が心配でね。マルテは君は殺されたというし、メルクリオもはっきりしない。君があの塔に居ないことだけは感じてはいたけれど、君がどこにいるのかわからなくてね」
「マルテは殺したなんて言ったの?」
「ああ、でも君が生きているのは感覚で分かっていた。ただ所在がわからないまま、母上だけを連れて逃げるわけにもいかなかったんだ」
「そうよね、ルナはペンサミエント国にいたんですもの」
リリアが話に割って入った。
「遠く離れていても、生きていることは確信できたんですね」
セレクも話に加わった。
「それは僕たちが持っている力かもしれないな。ルナがメルクリオに捕まった時、とてつもなく恐怖を感じた。しかしあの北の塔に行ってみれば、君の気配がない。それでもルナはどこかで生きていると感じられたんだ」
「すごいわね。妖精の力って」
「お二人の愛の力とも言えるんじゃないですか?」
セレクに言われてルナとルースは顔を見合わせて優しく微笑むのだった。
「宮殿に帰ろう。みな、待っているだろうし」
「そうね。心配しているわ」
服が乾いたリリアも大人しく言うことを聞く。四人は、そこから早掛けで宮殿へと戻った。
休むことなく早駆けしてきたものだから、リリアは疲れただのお腹が空いただのと宮殿に着くなり大騒ぎ。セレクも実はかなりお腹が空いていた。二人には先に食事をしてもらうために、宮殿の客間に行ってもらった。
迎えに出たオルベとトマムの様子がおかしいことにルナとルースは気付いていた。
「なにかあったのか?」
言葉のない二人にルースが走り出した。ルナもそのあとを追う。けれど、王の寝所の前でトマムに止められた。
「王妃様はこちらにはいらっしゃいません」
「どういうことだ!」
「とにかくこちらにいらしてください」
トマムに従って、客室の一つに入った二人は、天蓋付きのベッドに寝かされた王妃の姿に愕然とした。やせ細った頬が見える。
「母上!」
「王妃様!」
二人が寝台に走り寄り、声を掛ける。
「母上!」
ルースが何度声を掛けても王妃は答えなかった。
突然、オルベが泣き出して部屋を出て行ってしまう。
「トマム、どういうことだ!」
ルースの言葉に
「仮死状態にされているようです」
と苦悩の表情を見せてトマムは答えた。
「仮死状態?」
「はい。ルース様、申し訳ありません。私も忍び込んで初めて、こんな状態でいらっしゃることを知ったんです。王妃付きの侍女によれば、半年あまりこんな状態だそうです。この薬で……」
そう言って、トマムは薬瓶をルースに差し出した。
「これは?」
「わかりません」
「なんてことだ。これじゃ、母上は……」
「ルース……」
ルナがルースの腕にしがみついた。
「ルース様。オルベが使いを出して、今、薬に詳しい者を呼びに行っています。ですから気を落とさずに」
「ひどいわ、こんなのって……」
ルースの腕にしがみ付いていたルナの体が震えている。
「すまない、トマム。母上を救い出してくれたお礼をまだ言っていなかったな。ありがとう、トマム」
「いいえ。私こそ、こんなことになっているとは知らずに……」
「とにかくこの薬がなんなのかわからなければ、手の打ちようがない。その者が来るまで待つとしよう」
そう言ってルースは震えるルナを連れて部屋を出ようとした。
「私は王妃様の傍で……」
ルナはルースの腕を振り払い、寝台に駆け寄った。
「大丈夫です。オルベが以前ここで働いていた者たちを昨夜までに呼び戻しています。王妃様付きの召使もいますから」
トマムが言った。
「ルナ、今は母上をそっと寝かせておこう」
「でも……」
そこに召使たちがお湯の入ったタライやタオルなどを持って入ってきた。
「母上を頼む」
ルースがそう言うと、彼女たちは頭を下げた。
「彼女たちに任せよう、ルナ」
そう言って、ルースは寝台にしがみつくルナを連れて、部屋を出た。




