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ESCENA  作者: 湖森姫綺
第二章
26/68

no.8

 贅をつくした浴室は、白亜で統一されていた。そこで服や髪をしっかりふき取ると、三人は、浴室を出た。ルナの頭の中には、トマムが書いてくれた見取り図が入っている。浴室を出たら、右。しばらく行って、二番目の階段を登れば塔の上に行ける。裸足の三人は、その石造りの床の冷たさを感じていた。冷え冷えした空気の中、それでもなぜか張りつめた空気がないのが不思議でならなかった。

「この階段を登ればルースがいる部屋に辿り着きます」

 ルナが階段を前にして、声をひそめて言った。

「もうすぐね」

「ここまで誰にも会わなかったことが不思議ですね」

 セレクの言うとおりだった。人の気配がしないのである。それでも確かにここに王妃とルースが幽閉され、メルクリオが存在するはずなのだ。

 ここからがまた難関である。塔の上へと螺旋階段は続いているが、隠れる場所がない。塔の一番上までは部屋はなく、階段の脇に等間隔で置かれた彫像があるだけだと言う。しかもルースの監視役が不規則な時間で回ってきているらしい。時間が決まっていないので、トマムにもそれはわかりかねるということだった。

「少しずつ、間をおいて、それぞれ登りましょう。隠れ場所は階段に置かれた彫像くらいしかないの。誰かが来たら、その彫像の後ろに身を顰めるしか……」

「わかりました。では、ルナが最初に登ってください。しばらくしたら姫様を行かせます」

 セレクが答えた。

「あと少しよ、頑張りましょう」

 リリアがそっとルナの手を握った。

「はい、リリアも気をつけて来てくださいね」

 ルナが階段を上がっていく。しばらくして

「姫様、登ってください」

 セレクに言われて、リリアも階段を登り始める。また間を開けて、セレクが登りだした。

 先頭を行くルナは、明かりとりの窓から差し込む月明かりと壁に着いた手で、先に進む。はやる気持ちを抑えながら、足音をたてないようにゆっくりと。それに続くリリアは「裸足なんていやね」と思いつつ、それでも足音を忍ばせて登る。セレクは、後ろを気にしながら、登った。

 ルナがもう少しでルースが閉じ込められている頂上の部屋に辿り着く頃、最後に登っていたセレクが、後ろから聞こえる足音に気付いた。足音に気をつけながら先を急いだ。すぐにリリアに追いつく。「急いで」と言うようにリリアの手を引っ張った。二人が慌てて登った時、ちょうどルナがルースの部屋に辿り着いたところだった。

「下から誰か来ます」

 セレクがそっとルナに耳打ちした。

「そこに隠れましょう」

 暗がりになったドアの奥にひと際大きな彫像があった。三人が隠れるのにはちょっと狭いけれど、ほかに隠れる場所もない。下から上がってくる足音が近づいてきた。三人は息を顰める。ランタンを持った男が一人、現れた。ドアにある覗き窓を開けて、中の様子を窺っている。

 スーッ、ドダンッ。

 三人の目の前で彫像は倒れ、男の上にのしかかった。三人は取り交わしたわけでもなく、一瞬にして、同じ行動をとっていたのである。目の前の男の腰にはチャリンチャリンと鍵束が下がっていた。それに三人はいち早く気づき、それがあればドアを開けることができると思ったのだった。そして考える余裕もなく、三人ともが目の前の彫像を押していたのである。

 彫像の下敷きになった男が呻き声をあげた。

「死んでないみたいですわ」

「よかった」

「とにかく今は先にこの鍵を」

 セレクが男の腰にある鍵を手にした。

 ルナがそれを受け取ると、鍵穴にそれを差し込もうとする。だがなかなかあう鍵が見つからない。

「なにをしているんだ?」

 部屋の中から声が聞こえた。懐かしい柔らかな声。ルナは震える手で必死に鍵を探した。

 やっと鍵が外れる手ごたえがあった。ドアを開けると、そこには、逆光になって顔は見えないけれど、金色に輝く髪を持ったルースが立っていた。

「ルース!」

「ルナ!?」

 ルナはルースに走り寄って抱きついて、泣き出していた。ルナは自分がとった行動にこれほどまでにルースに会いたかったのだと再認識させられた。

「ルナ、危ないことをするなと伝えておいたのに、君ときたら、本当に……」

 ルースもルナを強く抱きしめた。

 そんな二人の姿を入口に立って見ているリリアとセレク。セレクがすぐにリリアの腕を引っ張って、ドアの外に連れ出した。

「なによっ!」

「しっ、静かに。ここは少し二人にしてあげましょう」

 セレクは、その後、彫像の下になった男の様子を窺ったりしていた。

 明かりとりの窓から差し込む仄かな灯りの中で、ルナとルースはしばし抱き合っていた。

「ルナ、顔を見せてくれ。本当に生きていたんだな」

 長身の体を折って、ルースがルナの両頬をその両の手で挟んで、顔を近づけた。泣きはらした顔はもうぐちゃぐちゃでルナは顔を見られるのが恥ずかしくてたまらない。

「まさか君自身がここに忍び込んでくるとはな。どうやってここへ?」

「トマムが色々と手伝ってくれたの。それにリリアとセレクも」

「リリアとセレク?」

「私のお友達よ。一緒に忍び込んでくれたわ。あれ、さっきまで一緒にいたのに……」

 後ろを振り返っても二人の姿は、ルナからは見えなかった。

「とにかく、君が無事でこうしているのだから、グズグズしているわけにもいかないな。母上は二階の寝室にいると調べはついている」

「王妃様は、トマムが助け出してくれる手はずになっているの。成功したら、雁の鳴き声が三回聞こえるはずよ」

 耳を澄ますが、それはなかなか聞こえてこない。

 業を煮やしたのか、リリアがドアから顔を出した。

「ルナ、ねえ、まだ?」

「リリア、いたのね」

「いますわよ、ここに」

 その横からセレクが姿を現した。

「監視が戻らなければ、別の者が怪しんでくるかもしれません。急ぎましょう」

 しかし雁の声が聞こえなければ、このままルースだけを連れて出るわけにもいかない。

「トマムはなにをしているのかしら、まさか……」

 ルナが不安になっている頃、王妃の寝室に忍び込んだトマムは頭を抱えていた。

 トマムは計画通り、メルクリオの機嫌を損ね、追い出されることになった。すぐに支度をして荷車に荷物をつける。その箱の一つは空だった。そこに王妃が入る予定になっている。

 ところがトマムは、王妃の寝室に忍び込んで初めて、王妃が普通の状態ではないことを知ったのだった。

「王妃様……王妃様、お目覚めください。宮殿に戻りましょう。王妃様」

 いくら声を掛けても、体を揺すっても、王妃はピクリともしない。そうしているうちに時間が流れた。焦るトマム。このまま連れ出してもいいものだろうかと思案にあぐねていると、そこに女が入ってきた。寸でのところで、女の口を塞ぐ。

「いいか、手を離してやる。だが大声は出すな」

 トマムが言うと、女はしっかり頷いた。お互い見知った顔である。

「トマム、こんなところで何をしているの?」

「王妃様を助け出す。だが気がついてくれないんだ」

「薬を飲まされていて、一種の仮死状態にされているの。これ」

 女は手にした小瓶の蓋を開けて、王妃の口を開けて、一滴たらりと垂らす。そして瓶に蓋をするとそれをトマムに差し出した。

「この薬を毎日この時間に一滴、王妃様の口に入れて。こういう状態がもう半年くらい続いているわ」

「半年もこんな状態なのか?」

「ええ」

「なんてこった!」

「どうするつもりなの?」

「この薬をこの時間に一滴だな」

「そうよ」

「これを貰っていく。いいか、君は何も知らない。突然後ろから殴られて失神している間の出来事だ。王妃の寝台に入れ」

「わかったわ。私もこんなことが続いていいとは思っていなかったの。明日の朝までここにいるわ。トマム、王妃様を助けて」

「ありがとう。元気でな」

 トマムはぐったりした王妃の体を担ぐと、寝室を出て、城の入り口前につけていた荷車の箱に王妃をそっと入れた。幸い、誰の目にも触れていない。

「王妃様、しばらく窮屈かもしれませんが、我慢してください」

 トマムは懐の薬瓶を気にしながら、荷車を出した。

 門番は、メルクリオから今夜トマムが出ていくことを知らされていたのか、すんなり門を開けてくれた。城門を出てからトマムは自分の飼っている雁を飛ばして三回、鳴かせたのであった。

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