no.5
ルナは夢を見ていた。
ルースと楽しく草原を走っている。息が切れて、先に座り込んだのはルナだった。
「もうダメ。ルース、待って」
「こらこら、今日こそ勝つって言ったのはルナだぞ」
「だって、ルースは男だもの。私、勝てるわけない」
「勝気なくせに、頑張りが足りないぞ」
「いいもん、いいんだもん」
「いいさ。俺が負けたら立場がなくなる」
そう言ってルースは、ルナの横に座るとルナの髪を撫でた。
そんな二人の周りにいつの間にか妖精たちが集まってくる。楽しく歌い、踊り、時が過ぎる。
ところが突然、空が黒い雲に覆われて、妖精たちは消える。空の雲が大きな魔の手となって伸び、ルナを掴む。
「ルース、ルース!」
ルースに助けを求めたが、彼の姿は見つからなかった。
そして、目が覚めた。汗が体中にびっしり張り付いている。
「ルナ様……ルナ様! 大丈夫ですか?」
飛び起きたルナの顔を心配そうに覗きこむオルベがいた。
目の前にいるのが、アーマの姪のオルベであることを認識している自分に気付いた。記憶が戻っているのだ。ギナのお陰で。
「ギナは?」
「お帰りになりました。急ぎのご用があるそうで」
「お礼も言っていないのに……」
「ルナ様、大丈夫ですか? ひどくうなされていましたけど」
「大丈夫……汗がびっしょりだけど」
「湯あみの用意を致します。さっぱりいたしましょう」
オルベは、優しく微笑むと、部屋を出て行った。
急いで用意された湯船には、お湯が見えないほどの聖華の花が浮いていた。ルナは、オルベに手伝ってもらいながら、湯あみをした。体がさっぱりすると、聖華の香りで少し落ち着きを取り戻した。
「ありがとう、オルベ。傍にいてくれて、本当にありがとう」
「いいえ、私では、力不足で。傍にいるのがルース様だったら、どんなにか……」
言葉が繋がらないオルベ。
「大丈夫よ。ルースはすぐに戻ってくるわ」
「そうですね。ルナ様がいらっしゃるんですものね」
それからルナは、突然黙り込んで膝を抱え込み、何時間も動かないかと思うと、オルベを相手にリリアとの楽しかった旅の話を笑いながら話すといった繰り返しをしていた。
「オルベ様、いらっしゃいますか」
部屋の外から、召使の声がした。
「なんですか?」
「ルナ様にお会いしたいというお方がいらっしゃってます。いらしていただけますか?」
「わかりました。すぐ行きます。ルナ様は、こちらでお待ちを」
オルベはそう言って、部屋を出た。
ギナは急用で帰ったのだし、ルナに会いたいというのは、一体誰なのか、オルベは不安な面持ちで王宮へと急いだ。客間に通された客人を見て、オルベは飛び上がった。
「どうしてっ」
ソファにはふたりの人物が座っていた。オルベが誰かを理解できたのは、一人だった。
「ルナは?」
その一人が言った。
オルベが次の言葉を考えあぐねていると、
「姿を見せるのは、これが初めてですね。改めてご挨拶いたします。ペンサミエント国王室付きの魔法使いセレクです」
そう、そこにいたのは、リリアとセレクだったのだ。
「ど、どうして……」
オルベは、混乱した頭を整理できずにいた。
「あら、ルナが心配で来てみましたのよ」
リリアが涼しい顔をして言った。
「大変申し訳ない」
とセレクが続けた。
「ルナもこの国も大変な時であるのは承知です。ですが、姫様がどうしてもとおっしゃるので」
セレクの折れた杖を元に戻すために、妖精王の涙を貰いに来た時のリリアの様子を思い出し、こんな時にとオルベは思った。
「ルナはどうしていまして?」
オルベが憂慮していることなどお構いなしにリリアは言った。
「今は……ギナ様のお陰で記憶を取り戻したのですけど、まだ混乱しているところでお会いできるような状態ではありません」
やっと記憶を取り戻し、落ち着いたら、ルースと王妃を助け出す計画が待っているというのにとオルベは思った。
「ルナの記憶が戻ったの?」
ソファから立ち上がって、リリアが言った。それを制するようにセレクが続ける。
「そうですか、記憶が戻りましたか。まだ落ち着かれていないのですね」
「はい」
「どうでしょう。姫様にはここで待っていてもらい、私だけそっと様子を見るだけということでは?」
セレクが言うとリリアは立ちあがって
「どうしてわたくしはダメなの!」
と、セレクにくってかかった。
「姫様はルナを見たら、じっとしていられなくなるでしょう」
「それは……」
ずっと寂しくてルナに会いたくてたまらなかったのだから、ルナの姿を見たら、駆け寄ってしまうに違いないと自分でも思えたリリアだった。
「急ぐ必要はないのですから、今は私に任せてください」
セレクはリリアにそう言ってから
「オルベ、どうでしょう。ルナに気付かれないようにしますから」
とオルベに向かって訊ねた。
「わかりました。くれぐれもルナ様を刺激なさらないようにお願いします」
「わかっていますよ」
やきもきしているリリアを残して、オルベに着いてセレクは幼命宮に来た。
「ここからは、本来、許されざるものは入れませんが、今回は特別ということで、セレク様だけ」
「ありがとうございます」
ルナは二階の寝室にいた。膝を抱えて、床に座り、寝台に背中をつけて、外をぼーっと眺めている。
「あのようにして、過ごす時間がほとんどです」
声を落としてオルベは言った。
「記憶はどのくらい戻っているんですか?」
セレクも声を落とした。
「記憶のほとんどが戻っているようです。ただ、メルクリオに捕えられた時の記憶だけがまだのようで」
「そうですか」
「ギナ様が言っておられました。相当恐ろしい目にあったのだろうと。ですから……」
「その部分だけ本人も思い出したくはないのかもしれませんね」
「はい。それにまだ記憶が前後して曖昧な部分もあるようですし。突然話出したかと思うと、そんな節が伺えます」
「わかりました。もういいです。行きましょう」
二人はリリアの待つ王宮の客間に戻った。
「ルナはどうしていまして? 早く会いたいわ」
「姫様、もう少し待ちましょう」
リリアをそう言って黙らせてから、セレクはオルベに向かった。
「オルベ、大変な中、申し訳ないが、私達でルナの力になりたいと思っています。しばらくこちらに御厄介になって構いませんか?」
「はい。とりあえずルナ様が落ち着いたら、お会いになってください。それと私はルナ様につきっきりでおりますので、他の召使がお世話をさせていだきます。失礼のないようにいたしますが、どうぞご理解ください」
「ありがとう、オルベ」
「それでは私はこれで」
オルベが出ていくとリリアがセレクの腕を引っ張った。
「ねぇ、ルナはどうだったの?」
「姫様、ルナはまだ混乱しているようですから、しばらく待ってください。落ち着いたら会えますから」
「いつになったら、落ち着くの?」
「それは私にもなんとも言えませんが」
「もぉ、ルナったら。わたくし、ルナのために来ましたのに」
実はリリア、王宮で大騒ぎして、ここに来たのだった。ルナに会いたいと王の前で何日も泣き叫び、とうとう折れた王。セレクにもまったく手がつけられなかったのだった。セレクが一緒ならばという条件で、ルナの元に来ることが許された。
「わたくし、ルナと共にこの国に平和を取り戻してみせましてよ。それには早くルナが落ち着いてくれなくては」
姫様がいては邪魔になるのではとセレクは思うのだった。




