no.13
次の目的地は、妖精の住むニンファ島である。ニンファ島に一番近い港町マールへ向かうことにしたが、ルナの体調も考えて、アルバ山の北の麓にある町カピリアで、休むことにした。早めに宿に入り、ルナを休める。
「私、もう大丈夫よ」
と、ルナが言う横で
「わたくしもお尻が痛いんですわよ」
水脈で打ち付けたお尻が痛いリリア、それで馬に乗ったので、たまらない。
「ここからマールまでは、早駆けしても一日はかかります。ここで休んでおいたほうが野宿せずにすみますから」
セレクが言った。
ゆっくりと一泊宿に泊まり、三人は体力回復に努めた。
翌朝は早めに宿を立った。港町マールまではかなり距離がある。リリアはお尻が痛いと文句を言ったけれど
「姫様、ここは早駆けして、進まないと、野宿することになりますよ」
「わかったわよっ」
ふくれっ面でもなんとか納得したリリアである。
三人は、早駆けでマールへ向かった。途中、非常食でお昼を簡単に済ませて、走り続けた。夕方近くなってマールに辿り着いた。アルボル海が広がり、西の海の向こうに太陽が沈みかけている。
「急いで宿を探しましょう」
マールは庶民が暮らす町である。多くが漁師で生計を立てている。宿もそれなりのものしかないだろうが、野宿するよりはましなはずだ。
「あっ、お二人ともちょっとここで待っていてもらえますか」
セレクが突然言った。
「どうしたの、セレク?」
リリアが訊ねたが、セレクの声は聞こえなかった。
しばらく二人は、町を行きかう人々の中で、辺りを見回して待っていた。
「お待たせしました。いい宿が見つかりましたよ」
セレクの声がした。
「えっ、宿を見つけてきてくれたの、セレク。ありがとう」
リリアが言った。
実は、三人が街中を歩いている時から、あからさまに後を付けているといったフェリエにセレクが気付いていた。それで二人には内緒でフェリエの元に行ってみると、船を持っている宿を見つけておいたということだった。フェリエに礼を言って、セレクは二人の元に戻ったのである。
「一晩、宿に泊まって、その宿で所有している船で明日にはニンファ島に行けるでしょう」
宿に、リリアは大満足していた。料理も漁師町にしては、豪華なものだった。フェリエの手まわしである。セレクは、言葉には出さなかったが、フェリエに感謝した。セレクは、人々が近づきたがらないニンファ島に渡る船を探すのは大変かもしれないと思っていたのだった。それがフェリエのお陰で、探す手間も省け、リリアが満足する宿にも泊まれた。
翌朝、軽い朝食をとって、用意された船に乗り込んだ三人。漁師の船にしてはかなり大きな船である。馬も乗せられた。
フェリエは下手な変装で船員に化けていた。セレクは気付いたものの、船に乗ることに夢中になっていたリリアとルナにはわからない。
ウミネコが賑やかな港を出る。静かな海アルボル海を進む。船で一夜を過ごしたが、三人とも船酔いもせず、快適な船旅であった。けれど、ニンファ島に近づくにつれて、海は荒れ始めた。空には灰色のあつい雲が垂れこめていた。
そんな中、ルナはなぜか胸騒ぎがして、船から海を見つめていた。荒れる海で船に当たる潮も顔にまで届く。それでもルナは船室には入ろうとしなかった。
リリアが船の中から出てきて、しばらく経った頃、波間に島が見えてきた。
「ルナ、見えてきたわ。あれが妖精の住む島でしょ?」
リリアが指差して言った。
その横でルナは、瞬きもせずに、そのうっすらと見え始めた島を見つめている。
「ルナ、どうしたの?」
リリアに腕を掴まれてルナは、ハッと我に返って、リリアの顔を見た。
「どうしちゃったのよ、ルナったら」
「わからない。わからないのだけど、胸が締め付けられて、どうしてか……」
そう言っているうちにルナの瞳から涙がこぼれた。
「ルナ?」
それに驚いたのは、リリアだけではなく、ルナ自身もであった。なにがなんなのかわからない。
「私の中にもう一人私がいて、その私が何か言っているの。でも何を言っているのかわからない」
「わからないのは、わたくしよ。一体、どうしちゃったの?」
リリアが聞き返したが、それ以降、ルナは黙ってしまって、何も言わない。リリアはつまらないと言った様子で船室に入って行った。
船室に入ると
「ルナはどうしていますか?」
セレクの声がした。
「知らないわ。突然泣き出したかと思ったら、黙ってしまって。訳わからないんですもの」
「そうですか……」
セレクは来るべき時が近づいているのを知っていた。けれど、それができるだけ先であることを願うしかなかった。
「滝に落ちた時に、うちどころでも悪かったのかしらね」
セレクの心配をよそに、リリアはそんなことを言っている。
「姫様。ルナが過去を思い出せば、このままではいられなくなることもありますよ。別れなければならないかもしれません」
「どうして?」
「ルナにも両親がいるでしょう。いなくなった娘を心配しない親がいますか? それを考えたらルナが家に帰るのは自然なことです。ルナのことだからそうせずにはいられないでしょう」
「いや、いやよ。ルナがいなくなるなんて」
「姫様、よく考えてください。そんなことを言ったら、ルナは両親と姫様の板挟みになってしまいますよ」
「じゃ、その両親に王宮に来てもらえばいいわ。部屋はいくらでもあるんですもの」
「そういう問題じゃないと思いますけど」
「とにかくルナはずっと私の傍にいるのよ」
セレクは何を言ってももうダメだとお手上げ状態。
リリアにとって、ルナはかけがえのない友人になっていたのだ。王宮から一歩も外に出たことのなかったリリアにとって、それは失うことのできないものである。
船室でそんなやり取りがされていることも知らないルナは、少しずつ近づく島から視線を逸らすことができずにいた。胸が苦しくて、何かが自分の中で叫んでいる。哀しいという感情に恐ろしさが加わったような妙な感情が渦巻いていて、どうしようもない。
海は荒れて、高波が押し寄せる。船は大きくうねり、それでもなんとかニンファ島の入江に辿り着いた。ニンファ島に着いてしまえば、波も少しはおさまっていた。しかし、空は灰色の雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうな様子である。島全体になにか張りつめた空気が感じられた。
「なんだか想像していたものと随分違うわね。花が咲き乱れていて、そこに妖精たちが戯れているものだとばかり思っていたのに。なんだか陰気ね」
リリアが言ったように、桟橋から続く草原には、花一つなく、妖精どころか虫一匹いないのではないかと思えるほど、しんと静まり返っていた。桟橋に打ち付ける波の音だけが響いている。
「なんでもしばらく前に何やら揉め事があって、今じゃ妖精王がいるのかいないのかって噂話に聞きましたけどね」
船から馬を降ろしていた船員が言った。
「妖精王がいない?」
三人は顔を見合わせた。もし妖精王がいなければ、最後の妖精王の涙は手に入らないことになる。今までの苦労は水の泡になりかねない。セレクの杖は元に戻らず、セレクの姿も元には戻らないということになってしまう。
「とにかく妖精王が住むと言う宮殿に行ってみましょう」
セレクが言った。
王宮の書庫から見つけ出したニンファ島の地図をルナが広げた。なんでも随分昔、ここにやってきた冒険家が書いたと言われる地図は随分古びていた。それによると、妖精王は入江から森を抜けた高台に住んでいるとある。
船をそこで待たせて、三人は馬に乗って宮殿に向かった。




