no.10
青い月がネクタル湖の上で輝き、湖面にも映し出されていた。
三人はベッドに入って、しばらくその静かな湖を眺めていた。
「あ、あれは……」
最初に気がついたのはルナだった。
ちょうど、森が湖にせり出したあたり、月の光を浴びて青白く輝くユニコーンが一頭森の奥から姿を現した。
「なんて幸運なのかしら。探しに行く前にあちらから出てきてくれるなんて」
リリアは大喜びで飛び起きた。
「静かにして、姫様。驚いて逃げてしまいますよ」
セレクが言った。
「様子が変ね。とても悲しい瞳をしているわ」
しばらくしてルナが言った。
ユニコーンは、月の光に照らされた湖面を見つめて、なんとその青い瞳から大粒の涙を落したのだった。
「きれい……」
リリアはその姿を見て言った。
悲しげなユニコーンの姿は、透明に近い青で、瞳は湖面の深い蒼を写し取ったような色をしている。頭に凛として立っている立派な角は、月の光に輝いて見えた。なんと美しいのだろうとリリアだけではなく、ルナもセレクも感動する一場面であった。
「なにかありそうだな」
セレクが言った。
「なにかって?」
リリアが訊ねた。
「それはわかりませんが……」
「ねぇ、ルナ、聞いてきてよ。気になるわ、わたくし」
「はい?」
輝くユニコーンに見とれていたルナが驚いてリリアのほうを振り返る。
「私がですか?」
「そうよ。だってわたくし、蹴られたりしたら困るもの……」
どう言った思考を持っているのか、リリアには困ったものである。しかし、ユニコーンの角の削り粉は必要である。折角、姿を見せてくれたユニコーンだ。この期を逃すことはできない。
「わかったわ。角の削り粉も貰わなくちゃならないし、行ってくるわね」
ルナはベッドから出て、ゆっくりとユニコーンに近づいて行った。途中、小枝を踏んだ音でユニコーンはルナに気付いた。けれど逃げずに静かにルナを見つめるのだった。
「逃げないで、ユニコーン。話を聞かせて」
ルナは、じっと見つめるユニコーンの瞳を見つめて歩いた。
ある一定の距離に近づくとルナが訊ねた。
「一体何をそんなに悲しんでいるの?」
「君は?」
「ルナ。でも本当の名前かどうか……。生まれたところさえもわからないの。あなたの名は?」
「オラシオン」
「綺麗な名前ね。あなたのその姿にとても似合っているわ。涙も綺麗だけど、悲しい美しさね」
「毎夜、僕はここに来るんだ」
湖を見つめてオラシオンは答えた。
「何かあったのですか?」
「僕の恋人がこの湖で命を失くしたんです」
「恋人?」
「僕たちが最後のユニコーンだったんです。子孫を残すことももう叶わない。僕が正真正銘、最後のユニコーンになってしまいました」
「なぜ、湖なんかで……」
その問いにユニコーンは語って聞かせてくれた。
「狩人に騙されたのです。僕が待っていると狩人に言われて、彼女は船に乗りました。僕にその心の言葉が届いたときには、既に船は出ていて……ここに立つ僕の姿を見つけて湖に飛び込んだのです。けれど二度とは姿を見せてはくれませんでした。両足にロープが巻かれていたんです。泳ぐことすらできなかったのでしょう。僕がもっと早く気づいていれば……」
「なんてひどいこと……ごめんなさい。ごめんなさい……」
ルナは人間が彼らにしたことに耐えられなかった。
ユニコーンの傍らで座り込んだルナの姿を見ていたリリアとセレクは、
「何やっているのかしら、ルナったら。でも蹴られなくてよかったわね」
「そうですね」
などと、観客は気楽なものである。
涙を流しながら何度も謝るルナをオラシオンは見下ろした。
「ありがとう。人が皆、あなたのような心を持っていたなら……」
「オラシオン……」
「ところであなた方は、こんなところへ何をしに来たんですか? 狩人でなければ、こんなところで野宿などしないでしょうに」
ルナは、一瞬躊躇ったが、折れた杖のことを話し、それを元に戻すにはユニコーンの角の削り粉が必要であることを告げた。
「そうだったんですか。それで僕に会いに……」
「はい」
「あなたになら差し上げてもいいでしょう。どうぞこの角を削ってください」
優しい言葉にルナは立ちあがって、オラシオンを見つめる。
「どうぞ、遠慮はしないでください」
「でも痛くはないのですか?」
「大丈夫ですよ。角は痛くはありませんから」
そう言ってオラシオンはそっと瞼を閉じた。
「それじゃ、お言葉に甘えて……ほんの少し……」
ルナは、持ってきた小さな刀でそっと角を削らせてもらった。
「ありがとうございます。あなたのお陰で私の友人は助かります」
「いいえ、気をつけて旅を続けてください」
「あなたもお元気で」
ルナは、そっとユニコーンの首をなでて、頬をつけた。それから
「さようなら」
そう言って、リリアとセレクの元に戻ってきた。
「ユニコーンに角の削り粉を貰って来たわ」
小瓶を見せるルナは、涙にぬれた瞳をしていた。
「ユニコーンと話をしてきたの?」
「はい」
そしてユニコーンから聞かされた話を二人に聞かせた。話しているうちにルナはまた涙を流して、聞いている二人も言葉を失くしていた。
けれど、突然、リリアが言った。
「ユニコーンは、人の言葉を話せるの? 白龍のように」
白龍と出会ったときは、白龍が人の言葉を話してくれたので助かった。
ルナは、今あったことを思い出して、そういえば、会話をしていたという感じではなかった。ユニコーンは人の言葉を話していなかったように思う。でも話は通じた。
「人の言葉は……話していなかったと思うわ」
「じゃ、どうして話ができたの?」
「それは、そのぉ、私にもよくわかりません。ただ、ユニコーンが言いたいことがちゃんと伝わってきたというか、そんな感じです」
ルナがそう答えると
「ねぇ、どんな風に伝わってきたの? ちゃんと言葉で伝わってきたの?」
と、何度も訊ねた。
「姫様、そんなに気になるようなら、ご自分で行って話してくるといいですよ」
セレクが言った。
「いいわよ、もう。わたくし、寝るわ」
セレクに言われて不貞寝してしまった。
涙でぬれていたルナの顔にも笑顔が戻っていた。
「ルナ、あなたならユニコーンと上手く話せると思いました。よくやりましたね。ユニコーンと話をして疲れたでしょう、ゆっくりお休みなさい」
「はい」
体の疲れというのではなく、どこか緊張していたような疲れがあった。セレクはそれに気づいていたようだった。そしてなぜ私ならとセレクは思ったのだろう。どこか私自身より私を知っているような節があるセレクだったが、ルナは、それをあえて聞かなかった。なぜか今は聞いてはいけないような気がしたのだった。




