第一章 第四話 現在の切り替え点
ここからの話は、ちょっと、ホラー要素が入ったり入らなかったりします。ご了承ください
あの後、私はお母さん達と一緒に帰った。
涙のあとは、顔を水で洗ったから、たぶん見えない筈だ。
田中先生から、電話をもらった。
先生は、すごく心配してくれて、申し訳なくなった。
大会のことで聞いてみたが、やはり、ゆーちゃんが優勝した。
私が、あのまま走っていたら、優勝してたのかもしれない。
私が、ゆーちゃんを、追い詰めていたのだろうか。
私は、ゆーちゃんと、友達にならなければ、ゆーちゃんを傷つけずにすんだのだろうか。
自分が楽しいことが、ゆーちゃんを傷つけるなんて―。
目に入ったのは、ゆーちゃんとお揃いの勾玉。
乳白色のそれは、涙に濡れていて、輝いていた。
ゆーちゃんが、傷つくなら―。
「もしもし」
『どうしたんだ、斎藤』
「私…」
「私、部活引退します」
もう、走りたくない―。
あれから私は、田中先生に諭された。
でも、私は、もう走りたくなかった。
走りたいと思う、あの気持ちも、霧散していった。
せめて、休部としてくれ、と言われて、私は、そうすることにした。
私は、それ以降、部活には行かなくなった。
――――――――――
病室には、夕陽が差し込み、部屋が赤く輝く。
私は、頬杖をつきながら、窓の景色を何となく眺めていた。
何もやることがない。
走りたくても、走れないし、何しろ歩き回ることもできない。
きっと、あの時の天罰が降りたのだろう。
『ゆーちゃん、返してよっ…!』
反復するのは、あの時の由利の言葉。
泣きじゃくる由利の話す言葉には、怒りと、悲しみと―。
絶望。
今となっては、私にもその気持ちが分かる。
今、私が、それだからだ。
「私って、最低…」
苦笑しながら、呟いた。
本当に最低だ。
由利を傷つけたのは私。
由利が部活に来なくなったのは、私のせい。
「なのに…」
由利に酷いことをしてしまった。
由利が、私を心配して見舞いに来てくれたのに、私は、酷いことをしてしまった。
由利に傷をつけてしまった。
「最低じゃない…」
外の景色が、ピントが合わないように、見えなくなった。
「やだ…、私が泣くわけじゃないのに…」
私は、ただ、静かに、涙を流すだけだった。
――――――――――
学校を帰っている途中、今日の出来事を回想していた。
担任の先生が、「吾妻は風邪で休み」と言っていた。
どうやら、何も言わない方面のようだ。
ゆーちゃんが、休んでいても、皆は、普通に過ごす。
友達と話すし、勉強するし、本を読んだりする。
ただ、私にとっては、皆が、目障りな行動をしているようにしか見えなかった。
とても、嫌で、嫌で、仕方なかった。
「斎藤さん?」
後ろから、誰かに呼ばれ、振り返ると、
「あ…、おばさん…」
ゆーちゃんのお母さんであった。
「こんにちは…」
「今は、こんばんは、でしょ」
おばさんは、ゆーちゃんにそっくりな顔で、私に微笑んだ。
「斎藤さん、あのね…」
「はい?」
「友里が、あなたに会いたいって言ってるの」
私は今、病室のドアの前にいる。
廊下の窓の景色は、既に日が沈み、夜の景色と変わっている。
おばさんは、「二人だけで話したいって、友里が言っているから」と言い、何処かに行ってしまった。
私は、勇気を出して、ドアをノックする。
身体が、強ばって、自分の身体なのに上手く動かせない。
「どうぞ」
病室の中から、ゆーちゃんの声が聴こえた。
あの時の恐怖が、脳裏によぎり、額の傷が、じくじくと痛む。
しかし、ちゃんと聞かなきゃいけない。
《紅葉》が誰なのか。
それの鍵を握っているのは、ゆーちゃんだ。
覚悟を決めて、ドアを開けた。
また傷がつくかもしれないが、しょうがない。
そう思い込むことにした。
少し進むと、ベッドに座り、頬杖をつきながら、窓の外を眺めている、ゆーちゃんがいた。
「ゆーちゃん」
私が、声をかけると、ゆーちゃんがこちらに振り向いた。
「由利」
ゆーちゃんは、微笑んだ後、申し訳ない顔へと変わった。
「ごめん、頭…、傷つけて」
「え…」
私は、額を押さえる。
大きな絆創膏は、もう張っていないが、ざっくりとした傷の痕は、まだ残っていた。
「ううん。気にしてないよ」
「私ね…、しばらく頭を冷やしたの」
ゆーちゃんは、ふと窓の外へと視線を動かした。
「私、きっと、あの時の天罰が落ちたのよ。」
そして、私の方を改めて向いた。
「ゆーちゃん…」
「だから、こうなったのは、自分のせいだって。それを、由利のせいにして…」
「…」
「由利、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい…!」
ゆーちゃんは、頭を下げた。
机に頭がつくぐらい。
「ゆーちゃん、私も悪いの」
「由利は悪くないわ」
「ゆーちゃんの気持ち。ちゃんと分かってなかったから…、ちゃんと聞いてあげれば、私が、ゆーちゃんを傷つけずにすんだの。だから…」
ゆーちゃんに近づき、頭を上げさせて、ゆーちゃんの手を握る。
「私こそ、ごめんなさい」
ニコリと笑った。
ゆーちゃんも、つられてニコリと笑った。
そこから、私は全てを、ゆーちゃんに話した。
《五葉のクローバー》のことも。
ゆーちゃんの名前を書き込んだ《紅葉》のことも。
私が今、その人を捜していることも。
「そう…」
ゆーちゃんは、全部聞いたあと、ぽつりと呟いた。 「その《紅葉》っていう人は、私を恨んで、書き込んだってことなのね」
「うん、私は、ゆーちゃんに、その事を聞きたかったの。何か知らない?」
「心当たりがありすぎるんだけど…」
ゆーちゃんが言うに、私が休部した後、いろんな人にきつく当たったらしい。
部員やクラスメイト。先生にも。
私は、先生に聞いたことを思いだし、ゆーちゃんに聞いてみることにした。
「一年生の部員の中には?」
「…結構いるわね」
「そっか…」
「あ!」
ゆーちゃんが、いきなり声を上げる。
私は、突然の奇声に驚く。
「…一人いたわ」
――――――――――
真夏の放課後。
蝉が鳴くことすらできないような暑さの中、私は一人励んでいた。
地面を蹴り上げ、走り込む。
「13秒64。結構速くなったじゃん」
「あ、ありがとうございます!」
私は、元々、足が遅かった。
鈍いし、うまく走れない、ダメダメだった。
でも、新入生の部活見学の時―。
友達に誘われて、断りきれず、陸上部の見学に行った、あの時のこと。
「あ…」
風の様に走る姿。
茶髪の長いポニーテールが揺れ、表情は、あまりにも生き生きしていて、輝いていた。
「すごい…」
私は、あの時に陸上の魅力に見とれていたのだと思う。
「由利!」
その人は、振り返って、その方向に向かう。
「由利…先輩」
私は、気づけば、陸上部に入ろうと決めていた。
最初は、ダメダメだった。
同級生の部員達は、皆速い。
元々、中学校で陸上部に所属している人が多かったのだ。
だから、私は置いてかれないように、人の何倍も努力した。
人より筋トレしたし、毎朝走り込みだってした。
筋肉痛になって、苦しんだこともあった。
それでも、走る度にどんどん速くなった。
あの瞬間、私は、この為に頑張ったんだなと思えた。
由利先輩は、きっと、この感覚が好きなんだろうなと、私は思えた。
ある日、私は、田中先生に声をかけられた。
「大会に出てみないか」と。
嬉しくて、即刻で返事した。
その大会には、なんと由利先輩も出ると聞いて、ますますやる気が出てきた。
大会に備えて、練習を何度も何度も繰り返した。
何事も、反復してやっていると、すぐに覚えれると聞いたからだ。
しかし大会から三日前。
部長が急に参加すると言っていた。
私は、驚きを隠せなかった。
なぜ急に…?
私はそもそも、部長が嫌いだった。
部長は由利先輩より速い。
でも、タイムの為だけに走ってるみたいで。
しかも、由利先輩が自分より速くならないように監視していると思った。
由利先輩の友達だというのに、何でこんなズレが生じるのかなんて、と思ったりもした。
私は嫌な予感ばかりしかしなかった。
大会前の三日間は、ずっと由利先輩と部長を見ていた。
何かないよう、まるで私が監視しているかの様に。
でも、特に無かった。
由利先輩は、走る度に速くなり、逆に部長は、あまりにタイムが伸びてなかったり、位しかわからなかった。
部長は、おそらくスランプに陥ったのだろう。
あれだけ、タイムを伸ばすことだけを考えていた人だから、こんなところで止まっているのは、ありえない。
由利先輩は、そんな部長に追い付こうとして、勢いづけている。
きっと、部長は焦っているのだろう。
そう思った。
でも、口に出すことは無かった。
大会当日。
この大会に、田中先生は来ていない。
田中先生は、あいにく、予定がダブルブッキングしてしまい、来られなくなったらしい。
あの先生、変なところでドジなんだよなぁ
と思っていると、
「ねぇ」
「は、はい!?」
由利先輩に、初めて声をかけられた。
由利先輩の目がこちらを向いている。
近くで見るとよく分かる。
茶髪のポニーテールは、太陽の光で照らされ、キラキラと輝いている。
後、首もとの黒子があったり、眉が細目だったり。
「頑張ろうね」
由利先輩は、私に笑顔を向けてくれた。
太陽ほどに眩しくて、目を背けてしまうほど。
でも、私は、それを見つめ、そして、笑顔で、
「はいっ!!」
そう答えた。
それに比べて、部長は、 「…」
何も無しであった。
しかも、由利先輩に、きつい気がする。
ますます、私は部長のこと嫌いになった。
一年生の種目はあっという間に終わった。
結果は三位入賞であった。
それでも良かった。
人が走ってる横で走ると、風と風がぶつかり合って、お互いが、もっと速く走ろうとする度、風は強風になる。
あんな体験は初めてであった。
そんな初体験にドキドキしながら、三年生の種目を見に行った。
ちょうど百メートル走であった。
私が見るに、奥から二番目が部長。
五番目は、由利先輩が構えている。
「用意」
審判が、声をだした瞬間。
ピリッとした緊張の空気に、会場全体が包まれた。
私もその一人だった。
息を飲む。
(バンッ!!)
ピストルが鳴り終わる前に、地面を蹴り、走った。
その瞬間があまりにも綺麗で。美しくて。
他の選手を置いてきぼりにする二人の選手が争っていた。
由利先輩と部長だ。
「由利先輩っ!!頑張ってくださいっ!!」
ゴールした。
ここからじゃ、どっちが先にゴールをしたのかわからない。
放送を待つしかない。
《一位。ゼッケン番号411、斎藤由利》
由利先輩が―。
勝った。
部長に―。
勝ったんだ。
「やった!」
私は、ガッツポーズをかました。
私は、由利先輩にドリンクボトルを渡そうとしたら、既に部長が、ドリンクボトルを由利先輩に渡していた。
何かおかしい。
私は、直感で思った。
さっきまで、明らかに由利先輩に、冷たい対応をしていたというのに、何故か、何事も無かったかの様に、由利先輩と談笑している。
意味がわからなかった。
部長は、由利先輩が飲んだドリンクボトルを取ると、由利先輩から離れた。
私は、それについていった。
部長が向かう場所は、手荒い場であった。
そこに、由利先輩が飲んでいたドリンクボトルを開け、流し始めたのである。
私は、嫌な予感しかしなかった。
あのドリンクボトルに、何かを入れた。
それしか思い浮かばなかった。
部長が、離れると、私は急いで、会場の方へと向かった。
もう遅かった。
由利先輩は、既にスタートの方にいて、今にも、スタートしてしまいそうであった。
その時、由利先輩は、腹部を押さえながら、崩れ落ちた。
「部長!どういうこと何ですか!!」
「…」
「由利先輩に、下剤を飲ませるなんて!」
「…」
「何で、あんなことをしたんですか!?」
「あなたに分かるわけないでしょ」
「わかりたくありません!!薬を盛るときの気持ちなんて!!」
「あぁ、するしかなかったのよ」
「由利先輩が、部長に追い付こうと頑張っているのに、それを蹴落としてまでですか!!?」
「いい加減にしてくれる?」
「は!?」
「…もう決勝だから」
そう言って、部長は歩き去った。
私は、一言、部長に大きな声で、
「呪ってやるっ!!」
あれから時は過ぎた。
由利先輩は、あの大会以来、部活に来なくなった。
部長は、やけにきつく当たってきた。
私は、由利先輩に憧れて、陸上部へと入部した。
だが、今は、由利先輩はいない。
あんな部長の下でなんか走りたくない。
私は退部してから、かれこれ一ヶ月半がたった。
いまだに部長が許せなかった。
由利先輩は、もう走っていないのに、あいつだけが走ってる。
しかも、噂によると、部長が大会に出るんだとか。
許せない。
許せない。
呪ってやる。
呪ってやる。
死ね。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
私は、いつの間にか、あるサイトを開いていた。
《五葉のクローバー》
私は、慣れた手つきで、部長の名前を書き込む。
《吾妻友里》
こうして、私は―。
野上 万由利は、契約したのだった。