第一章 第二話 現在と過去
一週間たったある日。
田中先生から連絡があった。
「吾妻が、目を覚ました」
病院に向かうと田中先生と合流した。
「せ…っ、せんせ…!」
私はまた息切れして、先生にさすられる羽目になった。
病室に近づくと、大きな声が聞こえた。
泣き声だった。
ゆーちゃんの泣き声だった。
病室の中に入ろうとしたが、田中先生に止められた。
「今は、一人にした方がいい」
「…分かりました」
しばらくすると、おばさんと、ゆーちゃんのお父さんが病室から出てきた。
「あら、斎藤さん…」
「こんにちは、おばさん」
おばさんの目は、やっぱり赤かった。
おじさんも、同じだった。
しかも、二人ともげっそりとやつれていた。
「あの…、吾妻は…?」
田中先生が、口を開くと、二人は顔を見合わせて、
「私がお話しましょう」
今度はおじさんが説明し始めた。
ゆーちゃんは、確かに目を覚ました。
が、しかし、ゆーちゃんが、足元に違和感を感じたらしい。
医者が、見ると、ゆーちゃんは、足元の感覚が感じていなかったという。
詳しく、調べなければ分からないが、下半身不随の可能性があるらしい。
田中先生は、なんとも苦々しい顔をして、私は、今にも倒れそうな気分であった。
「今は、誰にも会いたくないそうだ」
「来てくれてありがたいが、すまない」
つまり、
《帰ってくれ》
おじさんは、遠回しにそういうことを言った。
窓の外からは、流れるようにして、移り変わる景色。
私は今、田中先生に送ってもらっている。
車内では、思い空気が漂っていた。
「あんまり気にするな」
「…」
答える気にはなれなかった。
喋りたくなかった。
先生は、気を使ってくれたと思う。
でも、それは、今の私にとって、ありがた迷惑だ。
「なんでこんなときに…事故に遭うんだ…」
田中先生が、何となく呟いたその言葉。
その言葉に、私はハッとした。
《恨みの強弱によって…》
あのサイトに書いていた規約が脳裏によぎる。
「先生」
「何だ?」
「陸上部のゆ…、吾妻さんはどうだったんですか?」
「…?なんで、そんなことを聞くんだ?」
しまった。
無意識に聞いてしまったようだ。
しかし、これはどのみち聞かなければいけない。
タイミングが今、きただけだ。
でも、聞くとなると《五葉のクローバー》についてまで説明しなければならない。
まだ、本当にそれなのかは私も、確信していない。
「何となく…です」
今は、説明できない。私が確信できてないのに、それを「信じろ」なんて言えるわけがない。
「…。あいつは、部長として頑張ってた。」
最初は、訝しげな顔をしたものの、話してくれた。
「真面目だし、自分の練習にも怠らないし。相手に的確なアドバイスが言える、凄い奴だ」
「…なんか、田中先生要らないですね」
「それは同感だな」
私が苦笑して、先生も苦笑した。
「ただな…」
「ただ?」
「厳しすぎだな」
「厳しいんですか?」
「そうだな」
信号機が、赤に変わり、車が止まる。
「あいつは、自分にストイックだからな、相手に同じことを押しつけるんだよ。」
「そんなものじゃないんですか?」
そんなことは普通である。
陸上は、もっと速く、またはもっと遠く、記憶を出すのに、誰もがストイックになる。
そんな競技である。
「あぁ、そうだ。だがな、一年生は、そうはいかなかったんだよ」
「一年生が…?って、先生、青ですよ」
先生が慌てて、アクセルを踏む。
「先生。続きを」
「え。あぁ、そうだな。今年入ってきた一年生が、あまりにも緩すぎたんだ」
「緩すぎた…」
「中学の陸上部が、よほど駄目だったんだろうな」
「…」
「お陰さまで、あいつは、一年生には、くそ鬼部長だと言われてんだよ」
「…そうですか」
《紅葉》がゆーちゃんを恨んでいるなら、多分一年生の中にいるかもしれない。
ゆーちゃんは、自分に厳しいぶん、相手にも厳しくする。
それまでぬるま湯に浸かりまくっていた一年生達は、急に熱湯となってビックリしたのだろう。
「一年生に紅葉っていましたか?」
「紅葉?」
「はい」
「いないな」
「そうですか」
想定内である。
わざわざ、自分の名前をペンネームにする馬鹿なんて、要るわけがない。
あったとしても、書き込んでいるのは、呪いのサイトである。
《生け贄》にばれてはまずいであろうし。
翌日の昼間。
アスファルトから溢れる陽炎が、揺らぐ、外の世界。
そんな外の世界とは裏腹に、病院は涼しかった。
汗ばみはしないし、陽炎は揺らいでいない。
むしろ、寒いくらいだ。
私は、今、ゆーちゃんの病室の前にいる。
この扉を開けば、ゆーちゃんがいる。
取っ手を掴んでゆっくりと開く。
「ゆーちゃん…」
いた。
ベッドに横たわっていたゆーちゃん。
ゆーちゃんは、ドアに背を向けていたから、顔が見えなかった。
「ゆーちゃん…!」
ゆーちゃんの足は、両方とも包帯で巻かれていた。
胸が苦しくなった。
見ていられなかった。
でも、逃げてはいけない。
ゆーちゃんには聞かなきゃいけないことがある。
ゆーちゃんのベッドの横まで行くと、たくさんの見舞品が置かれていた。
「よく来たね」
ゆーちゃんが、こっちを向かずに、ぽつりと呟いた。
「ごめん。本当は昨日会いたかっ」「嘘つき」
ゆーちゃんは私の言葉を遮った。
「え?」
「一週間、私に会いたくなかったからでしょ」
「…え?」
理解ができなかった。意味がわからなかった。
「何言ってるの、ゆー」「あんたが、私を呪ったんでしょうが!!!」
叫びながら、ゆーちゃんは、見舞品を手に取って、私に投げつけ始めた。
「ゆーちゃん!やめて!!」
「あんたが、私を《五葉のクローバー》に書き込んだんでしょ!?そうなんでしょ!?」
「やめて!!ゆーちゃん!!」
バスケットが飛んできた。
避けきれずに、額に、おもいっきり当たった。
「痛っ!!」
バランスを崩して、尻餅をついた。
額に触れると、何かがべとっと掌に付いた。
掌を見ると、血が付いていた。
「あんたなんか、嫌いよっ!!!」
「大嫌いよっ!!!」
「あんたを呪ってやるっっ!!!」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ううん、平気…」
鏡を見ると、額には、大きな絆創膏が貼っている。
今は家にいる。
あの後、騒ぎを見て駆けつけた看護婦さんに止めてもらうまで、私はずっと罵詈雑言とともに果物を投げつけられていた。
お陰さまで、身体には、果実やら、アザやらが、たくさん付いていた。
「要するに、勘違いされたんだね、その《紅葉》と」
「…えぇ」
「今のままじゃ、多分話すどころか、会うことすら、できないよ」
「そうだね」
「何とかしなきゃ」
「うん」
「ちょっと!ちゃんと聞いてるの!?」
裕佳梨が、苛立ちながら、私に言う。
私は、そんなことはどうでもよかった。
『キライ』
『ダイキライ』
その言葉は、私に深々と突き刺さっていた。
私は、悲しくて、辛くて、苦しくて―。
そんな感情がぐるぐると渦巻いていく。
「お姉ちゃん、何か心当たりないの…?」
心当たり―。
多分、あの事である。
私と、ゆーちゃんの間に、大きな事件があるなら。
あれしかない。
ゆーちゃんに、誤解を解いてもらうためには、そこから、いくしかない。
今も、ゆーちゃんと仲違いしたままである。
その事件のせいで。
あれは、初夏の時まで、遡る―。
「うっ…」
初夏の特有のじめじめとした空気が肌にまとわりつく。
まだコンクリートの上には、水溜まりが残っている。
その水溜まりを避けながら、私は走っていく。
曲がり角を右に曲がったときに、目的の人を見つけると、私は、その人の背中に全力で向かってジャンプし、
「おはよっ!」
「きゃっ!」
抱きついていった。
「ちょっと!」
その人は、振り返ってきた。
黒髪のショートヘアに、切れ長の眼。
私の親友のゆーちゃんである。
「おはよー」
「おはよーじゃないでしょ」
「ごめんごめん」
と、いつも通りの会話。
「本気で怒ってるんだけど」
と、私を睨み付ける。
どうやら今回は、本気で怒ってるみたいだ。
「いい?もし、私がバランスを崩したら、怪我してたんだよ?それに、私は制服が汚れるし…」
と言いながら、ゆーちゃんは、スカートを広げて、汚れないか確認していた。
私の高校の女子の制服は、セーラーで、主に黒と白と赤をメインとした色だから、可愛いと評判である。
ちなみに、夏服は、セーラーの型で、下地は白だが、襟や袖、スカートは、黒と白のチェックで、リボンは赤と、なかなか珍しい色である。
「ねぇ?」
ゆーちゃんの声で、我に帰ると、ゆーちゃんの顔がさっきより、ご機嫌が斜めな表情と化していた。
「…聞いてたよ…?」
「何で疑問系なのよ」
「あはは…」
「…」
ゆーちゃんは、物凄く呆れた顔で私を見ると、ため息をついて、回れ右して、そそくさと歩いていった。
「え?ちょ、ゆーちゃん!?」
私は、慌ててそれについていく。
「待ってよー」
ゆーちゃんは、普通に歩いているだけだが、速い。
普通の人よりも、何倍もの速度で歩いていく。
人が早歩きするよりも速い為、置いてかれると、今度はたどり着くのに時間がかかるのである。
ゆーちゃんが普通に歩いているなら、私は、小走りである。
「ゆーちゃん、待ってよ」
私がそう言うと、ゆーちゃんは足を止め、私の方へと振り向いた。
「やっと待ってくれた…」
「由利に説教していると、遅刻しそうだわ」
「…まだ怒ってるの?」
そう私が言うと、ゆーちゃんはそっぽ向いて、
「…もう怒ってないよ」
「あ、そうなの?」
「なんか、ごめん」
あっけとられた顔の私と、ちょっと気まずそうな顔のゆーちゃん。
少し微妙な空気になったとき、
(キーンコーンカーンコーン…)
近くで、学校のチャイムの音が聞こえた。
「ちょ…予鈴じゃん!!」
「ゆーちゃん!走ろう!」
「当たり前だし!!」
私達は、学校に向かって全力で走った。
「ジャーン」
「何よ、いきなり」
時が過ぎて、昼休み。
私は、後ろの席にいるゆーちゃんに、話しかけていた。
「はい、これ」
「?」
ゆーちゃんに、小さな小包を渡すと、訝しげな目で、こっちを見てきた。
「変なものは入ってないよ」
「…今日、何かあったっけ」
「ゆーちゃんの誕生日でしょ?」
「あ…」
ゆーちゃんは、黒板に目をやると、そこには、六月十二日と書いてあった。
「そっか…、もう十八か…」
「そうだよ!だから、誕生日プレゼント」
ゆーちゃんは、改めて小包に目をやると、微笑みながら、
「ありがとう」
そう言った。
私は、それが嬉しくて、心の中でガッツポーズをかましていた。
「開けてみてもいい?」
「いいよ!」
ゆーちゃんは、小包を開けると、中からはストラップがてできた。
ハートの片割れの様な形で、青く透き通った石で作られていた。
「これって、勾玉?」
「そうだよ。一目惚れしちゃってね」
私は、ポケットの中から取り出したものを、ゆーちゃんに見せた。
「それ…」
ゆーちゃんは、驚いた顔でそれを見た。
私が、出したのは、ゆーちゃんと同じ勾玉であった。
ただ違うのは、私の勾玉は、乳白色の勾玉であった。
「お揃いなんだよ!」
ゆーちゃんは、ポカンとした顔のままであった。
「あれ…、嬉しくなかった?」
不安になって、聞いてみると、
「ううん」
ゆーちゃんは、微笑みながら、答えた。
「私、こういうの初めてだから…嬉しくて」
ゆーちゃんが、涙目になりながら、笑ってくれた。
「ありがとう」
「もう!ゆーちゃんってば、涙もろいんだから!」
そして、私達は、笑いあった。