プロローグ 由利と友里
プロローグ 由利と友里
ごく普通の、女の子らしい部屋。
しかし、普通とは違い、電気がついておらず、真っ暗で、窓から差す外の光だけが、僅かに照らしていた。
その部屋の中に、一人うずくまっていた。顔を潜めて、泣いていた。
「どうして、どうしてなの」
絞り出すように、されど叫ぶように。
「あいつなんか、嫌いよ…」
少女は、顔をあげる。その顔は、涙と、憎悪でまみれていた。
部屋の片隅で、放り出されたスマホが突如光だし、バイブで震える。
「…あ」
少女は、思い出したかのように、スマホに、向かって這いつくばる。
「あはは…」
不気味に笑いながら、とりつかれたように、スマホを操作していく。
「あった…」
画面には、真っ黒の壁紙に、赤色のクローバーが、しかし五葉のクローバーが縁に彩られている、何とも不可思議なサイトが開かれていた。
そして、サイトの画面の上側には、黄緑色で色付けれた―。
「五葉のクローバー…」
そう、記されていた。 「死ぬより、恐ろしいことにしなきゃ…、あいつは陸上部だから…、そうよ!これよ!」
一人呟きながら、指元を素早く動かしたり、ピタリと止んだりを繰り返して。
やがて、スマホの画面は、トップ画面から、何やら白い文字が並べられた画面へと移動する。
「何これ…、意味わかんない…」
少女は、戸惑いの表情を一瞬浮かべ、しかし、どうでもよくなり、再び、笑い出す。
そして、スクロールしていくと、赤いボタンの上に白い文字で、
〈契約しますか?〉
と画面に移された。
そして、少女は、躊躇うこともなくタップする。
そして、画面には、
〈契約完了〉
少女は、サイトを閉じて、スマホを放り投げる。
そして、部屋の電気を着ける。
「ふぅ…」
ため息をしながら、ベッドに身を投げ出す。
少女の顔は、さっきとは違い、随分満足げな笑顔を浮かべていた。
『由利、ご飯よー』
「はーい」
少女―由利―は、身を起こして、部屋を出ていく。
誰も、いなくなった由利の部屋で、放り出されたスマホは、一瞬、紫の光を帯びて、消えた。
部屋の外からは、家族の暖かな笑い声が聴こえた。
―――――――――――
同じ頃、学校では、陸上部が、帰り支度をしていた。
「おーい、あと十分で八時だぞー」
「田中先生も、片付けるの手伝ってくださいよー」
「俺は、時間係なんだよー」
「いらねー」「早く手伝ってよー」「てか暑いしー」
先生と生徒の他愛ない話し声が、真夏の夜のグラウンドに響く。
「コラッ!!話してないで、さっさと手伝いなさいよ!」
ショートカットの茶髪に、キリッとした眼。
彼女は、陸上部の部長、吾妻友里である。
話し声は、響かなくなったが代わりに、
「…吾妻先輩って、厳しいよね」
「あの人、あれこれ言い過ぎなんだよね」
「そうそう、この前さぁ…」
吾妻についての陰口が、声を潜めながら、話されていた。
(聴こえているわよ…)
そんな後輩たちの様子を吾妻は、道具を片付けながら、眺めていた。
(あんた達が、怠けてるだけなのに…)
苛立ちながら、バトンを片付けていると、
「吾妻」
呼び掛けられて、振り替えると、
「田中先生」
すきっとした短髪に、ちょうどよく日焼けした肌色。
なんだか、あのテニスの人を思い出させるような雰囲気を醸し出している。
でも、陸上部の顧問である。
「何ですか」
「吾妻、斎藤のことなんだけどな」
―斎藤―
その名前が出た瞬間、吾妻の表情が、苦虫を噛んだような顔に変わる。
そして、田中先生から、目をそらして、片付けを再開する。
「吾妻」
「私とあの子は、もう関係無いです」
手元を、忙しなく動かす。
「それでも友達なんだろ?」
吾妻の手元の動きがピタリと止まり、バトンを乱暴に地面におき、田中先生の方へ向きなおす。
その表情は、怒りで塗り潰されていた。
「あんな奴と友達だなんて言わないでください!!」
周りにいる部員達が、驚いて一斉に振り返る。
「…とにかく、私には関係無いですっ…」
声を潜めて、道具を直しだす。
「…せめて、何か知らないか?」
「…」
田中先生の言葉を無視して、道具を直し、鞄を手に取る。
ふと、目に入ったのは、鞄に付けられている、青色の、片割れのハートのチャーム。
『ずっと、友達だよ』
その声が、吾妻の脳裏によぎる。
(友達…)
「吾妻部長?」
脳内から、現実に帰ると、目の前には、一人の後輩が立っていた。
「片付け、終わりましたよ」
「え」
周りを見渡せば、片付けていた部員達は、集まって、吾妻を見ていた。
吾妻が、「終わり」と言うのを待っているのだ。
吾妻は、部員が集まっている方へ行った。
その時、吾妻の後ろ姿を、見つめる存在が居たことは、誰も気づいていなかった。
――――――――――
「やっと、終わったー」「疲れちゃったよ」「明日ねー」
部員達が、それぞれの友達と別れたり、一緒に帰ったりしている中、私は、そそくさと帰っていた。
(辛いなぁ…)
部員達が、楽しく友達と話している姿を見ていると、胸の深い部分が、ギュッと締め付けられるのだ。
『ズット、トモダチダヨ』
(友達だなんて…)
口の中に鉄の味がしてきた。いつの間にか、口の中を切っていたようである。
(由利、今どうしているのかな…)
斎藤由利。
陸上部の副部長で、皆に好かれていた、私とは、全然違う存在。
先輩なのに先輩じゃない、まるで皆の姉みたいで、後輩達からは、「由利姉さん」とか「由利姉」とか、様々である。
『吾妻さんって、私と同じ名前だよね』
由利に、そう声をかけられたのが、私と由利が友達になるきっかけであった。
でも、私と由利は、同じ名前だから、私が「由利」、由利が「ゆーちゃん」と呼びあっていた。
『ゆーちゃん、どうして』
由利が、悲しそうな瞳で、私を見つめる。
そんな顔で、見ないで。私は、私は―。
その時、ジャージのポケットの中が震えだした。
取り出すと、スマホのメッセージ通知で、内容は、
「早く帰ってきなさいよ(*`Д´)ノ!!!」
という母親からのメッセージであった。
「ふぅ…」
ため息をつきながら、空を見上げる。
真っ暗で、されど雲一つない空に、月と僅かな星達が爛々と輝いている。
(もうすぐ、引退かぁ…)
来週の大会で、三年生達は引退するのである。そして、大学受験にむけて、ひたすら勉強するのである。
(せめて、由利も出てほしい)
もう私の友達じゃない。けれど、部員達は、由利の帰りを待っているのである。
家に寄って、説得しようか。でも、正直家には行きたくない。
メッセージで送ろうかと思ったが、ブロックされていることを思い出した。
(家に寄らなければ…)
あくまでも部員の為だが。
そして、目を前に戻したときに、
「…!?」
背筋が凍るような悪寒がしてきた。ぞわぞわとした感覚が身体中を駆け巡り、気持ちが悪い。
背後に、気配を感じた。振り返ってはいけない。本能が、私を警告する。
でも、私は振り返った。振り返ってしまった。
振り返ったその先には―。
「…」
誰もいなかった。あるのは、車が行ったり来たりしている道路だけであった。
「風邪かな…」
きっと、さっきのは、ただの風邪の症状だろう。最近、大会にむけての練習をやり過ぎたせいで、体調が崩れたのだろう。
私は、そう思うことにした。
「…帰ろう」
そうして、振り返ろうとした瞬間。
「え?」 背中を強く押された。私は、勢いよく道路に飛び出す。
あわてて振り返ると、
「由利?」
由利が立っていた。怖いくらい、優しい微笑みを浮かべながら。
「何で…」
私が、混乱していると、由利は、優しい笑みのままで、
「バイバイ」
由利はそう言って、私に手をふり、私に背を向ける。
「待って!」
私は、由利に叫ぶ。でも、由利は、立ち止まらず、歩き始めた。
「…!」
私は、由利の方へと走り出した。
だけど、私は由利に気をとられていて、気づかなかった。
私が居るところは、道路だということを。
私の真横から、トラックが迫っていたことも。
―――――――――
「ねぇ、玲菜。知ってる?」
「何が?」
昼休みに、暇をもて余していると、有沙が話しかけてきた。
「五葉のクローバー」
「何それ?」
「え、知らないの!?」
なんともわざとらしい態度で驚くので、ちょっと苛立った。
「…」
「あ、ごめん。拗ねないでよ」
「…拗ねてないんだけど」
「拗ねてんじゃん」
「…拗ねてない」
「あっそ」
「で何よ?五葉のクローバーって」
有沙が、待ってましたと言わんばかりに、語り始めた。
私も、ちょうど暇だったので、聞いてあげることにした。
「とあるサイトなんだけどさ不思議なんだよね」
「不思議?何がよ?」
「そのサイト、呪いのサイトなんだよ」
「…ハッ」
なんか、馬鹿らしくなった。
「鼻で笑うな、鼻で」
「だってありそうじゃん。都市伝説とかで」
「いや、本当にあるんだって。信じてよ」
「サイトだけで、呪いとかは無いだけでしょ」
「…」
有沙は、むっとした表情で腕を組んで黙り込んだ。
しかし一瞬だけだった。表情が、ハッと思い出したかの様に変わり、左手の人差し指をピンと伸ばした。
「じゃあさ、三年の吾妻先輩と、斎藤先輩って知ってる?」
「知ってるに決まってるじゃん。ウチの部長と副部長なんだから」
「じゃあ、あの話知ってるよね」
「あのって…」
ふと、脳裏によぎったのは、ぼろぼろになった吾妻先輩。
頭に包帯がぐるぐるに巻かれていて、顔が怪我だらけで、車イスに乗っていた吾妻先輩。
そして、その正面にいたのは、由利姉さん。その表情は、よくわからなかった。
「玲菜?」
ハッと、現実に戻れば、有沙が、私を除き込んでいた。
「わかった?」
「…分かったよ」
そう言うと、有沙は、ニコッと笑い、
「あれはさぁ、五葉のクローバーがやったんだよ」
―――――――――――
暗くて広い、闇の中。
とぼとぼと歩いていた。でも、目的はない。ただ、歩いているだけだった。
「よく歩けるわね」
女の子の声がして、振り返ると、そこには、小さな女の子が立っていた。
どう見ても、サイズがあっていない無地の黒いパーカーを着ていて、フードを深く被っていてたから、口許しか見えなかった。
「そう、まだ目が覚めていないのね」
声は、拙い女の子だけど、大人びた口調なので、違和感を感じてしまう。
あなたは誰なの。
「私は、ある人の要望で、あなたを呪いに来たのよ」
え。
「普通に信じられるわけがないわね。」
嘘よ。呪いなんてただの妄想よ!
「そう。確かに呪いはただの妄想だった」
…だった?
「えぇ。でも、あなた達人間が、そんな妄想を、本物にしたのよ」
その時、暗かった空間に光が差し込み始めた。
「もう、お目覚めの時間みたいね」
待って!ある人って誰なの?
「そんなの、あなたが一番わかっているくせに」
私が?
急に、強い追い風が吹いた。
その強風が、女の子のフードを捲り上げる。
女の子の顔は、覚えていなかった。
ただ覚えていたのは、女の子の瞳から走る黄緑色の閃光だけだった。
目が覚めると、白い天井が視界に入った。
ベッドの傍らには、お母さんがいて、驚いた顔でナースコールをしていた。
起き上がろうとするけど、お母さんに押さえられた。
身体を見渡すと、包帯やら、ガーゼやらが、たくさん巻き付けられていたり、貼り付いていた。
身体は痛かった。
でも、違和感があった。
しかし、その違和感の正体がわからなかったのだ。
看護師や医者が、駆けつけてきて、いろいろ聞かれたり、触られたりした。
また、そこでも違和感があった。
医者にそう言うと、とても苦々しい表情に変わった。
医者が、お母さんと看護師を連れて部屋を出ていく。
出ていけば、部屋は静まり返った。
何日眠ったのだろう。
私は、あのトラックに轢かれてしまったのだろう。
黒いパーカーの女の子が、言っていた言葉。
私は、きっと、由利に呪われてしまったのだろう。
しょうがないかもしれない。私も、由利に酷いことをしてしまったから。
「でも、由利も酷いよ…」
横たわったまま、窓を眺める。
夏の晴天の空しか見えなかった。
これじゃあ、大会に出れない。
せっかく頑張ってきたのに、大会までに怪我が治りはしないことは、素人の私でもわかる。
後輩達は、きっと「ざまぁみろ」とでも思っているのだろう。
そう思っていると、お母さんが帰ってきた。目の下が腫れぼったくなっているのは、泣いたからだろう。
お母さんが、私にいろいろと説明してくれた。
私は、トラックに轢かれてから、一週間眠っていたこと。
その間に、何度か先生や、部員達がお見舞いに来ていたらしい。
「怪我は、どうなの」
私は、お母さんにそう聞くと、
「右腕とかは、打撲で、擦り傷がいっぱい入ってるから、すぐには治るの」
「ただね…」
そう言うと今にも泣きそうな顔になった。
「下半身不随の可能性があるって」
お母さんは、大きな声で泣きじゃくった。
プロローグ 終