第6話
恭一はそのあとどんどん熱が上がり、咳がひどくなった。
誰かにうつってはいけないと、恭一は部屋からほとんど出させてもらえなかった。
当然、ハルと遊ぶことも許されず、だいぶ長いこと、恭一とハルは顔すらも合わせていなかった。
(ハル…一人で何してる)
恭一は布団の中で、なかなか下がらない熱と止まらない咳にうなされながら、一人そんなことを思っていた。
(俺がいないとお前はずっと一人なんだろ…)
恭一は学校に行けばたくさんの友人に囲まれ、遅い時間まで遊ぶことが多かった。
しかし、ただの奉公人の娘であるハルに、友人がいるはずもなかった。
(ハル…今何してる…俺を放ったまま…あのあとお前は…)
恭一は熱と薬のせいで、だんだん目がうつろになり、いつの間にか眠りについていた。
どのくらい眠っていたのか、かたん、という物音で恭一はふと目が覚めた。
襖の奥に、なんとなく人の気配がする気がした。
「ハル…?」
恭一は何の根拠もなく、それがハルのような気がして名を呼んだ。
襖の先の人は、何も答えない。
「ハルなんだろ…?女中だったらすぐに部屋に入ってくるからな」
恭一は咳込みながらよいしょと起き上がって、もう一度訪ねた。
「ハルだろ?おいで、少しなら大丈夫だ」
すると、襖がすすすと音を立てて開き始めると、ハルが半分顔を覗かせてこちらを見ていた。
「おいで。お前も退屈なんだろ?」
「…」
恭一がそういうので、ハルはととと、と小走りで恭一の元へ寄って、すぐそばに座った。
「お前、俺と遊ばない間じゅう何してた?」
「…何もしておりません」
「ふうん…」
恭一がそう返事をすると、げほげほと咳込んだ。
「俺も寝てるだけで…何もできなかったよ。退屈だ」
「…」
「まだ熱も下がらないから…当分遊べないよ」
すると、ハルは下を向いてつまらなそうな顔をした。
恭一はそんなハルの顔をぼんやりと見つめる。
「ハルお前…なんでこの間俺を置いて行ったんだよ」
「…!」
「あのあと寒くて…死にそうだったんだぞ」
恭一はそう言って、枕元に用意されている水を口元に運んだ。
唇を湿らせただけどほとんど飲まずに、また元の場所に戻した。
ハルはその間ずっと黙って恭一の手元を見ていた。
「ハル、どうなんだ…」
「…」
「ハル…」
すると、ハルがおもむろに口を開いた。
「そうした方がいいと…思いましたので…」
その言葉を聞いて、恭一は顔が真っ赤になった。
そして、あのとき自分が辛くて悲しい気持ちになるどころか、全身が火照り気持ちが高ぶっていたことを思い出した。
「な、何言ってるんだよ…お前は…」
「…」
恭一は思わず顔をそらしたが、そっとハルの方を向いて顔を覗き込んだ。
ハルは切れ長の目をこちらに向けて黙って恭一を見つめていた。
真っ白な肌に、まるで紅をさしているかのような真っ赤な唇が印象的であった。
恭一はそんなハルを見ているうちに、次第に胸の鼓動が激しくなっていくのがわかった。
そして今までのハルとの「遊び」がどんどん脳裏によみがえり、そのときの感覚が欲しくてたまらなくなった。
「…っ」
しかし恭一は布団のきれをぎゅっと握りしめ、それに耐えた。
「…ハル」
「…」
「もう同心ごっこ…できないからな」
「え…」
ハルは思わず声を出した。
「女中が…縄を捨てたって」
「…」
「だから…俺の風邪が治っても、もうできない」
「…」
恭一もハルも、下を向いて黙りこんだ。
「俺…もう一度寝るから、お前は部屋に戻れ」
「…」
「治ったら、また別のことして遊んでやる」
「…」
恭一はそう言ってハルを見ると、ハルは着物の裾をぎゅっと握って下を向いていた。
「ハル…」
「あの…」
恭一がハルに呼びかけたとき、ハルは下を向いたまま、何かを話しだした。
「え…?」
「縄なら…ございます…」
「え…何を…」
恭一がハルに尋ねようとした瞬間、恭一は目を見開いた。
ハルは、おもむろに自分の着物の帯をしゅるしゅるとほどいていたのである。
「ハル、何してるんだ…!!」
恭一は焦って顔をそらした。
衣擦れの音が鳴り終わったとき、恭一はおそるおそるハルの方を見た。
しっかりと留めてあったハルの着物は二つに分かれ、襦袢など身につけていないハルの真っ白な肌があらわになっていた。
恭一は初めて見る少女の素肌に、固まった。
「ハル…何してる…そんな恰好をしたらだめだよ…」
そう言いながらも、恭一はハルのみだらな恰好に釘づけになった。
すると、ハルは着物の両方の衽を持って自分の体を隠し、下を向いてうつむいた。
恭一ははっとして目をそらした。
「ハル…さあ着替えて…」
「こ、これを…」
そう言って、ハルは自分の帯を恭一の目にあてた。
「何する…!」
「こうすれば、見えずに済みます…」
恭一はハルの帯で目隠しされ、何も見えなくなった。
「な、何も見えないよ…ハル…」
「…」
「…!!」
真っ暗闇の中、恭一は自分の身に何が起こっているのか一瞬わからなかった。
しかし、先ほどのハルの衣擦れと同じ音が聞こえたのと、急に腹の辺りが寒くなったことで状況を把握した。
「ハル…何してる…!!」
「帯がもう一本…必要になりましたので…」
ハルは、恭一の帯までもほどき、病気の恭一をほとんど裸の状態にしていたのであった。
恭一はハルに自分の裸体を晒している現状に、ひどく恥じらいを感じた。
目隠しのせいで、そんな自分をハルがどんな目で見ているのかわからないことが、さらにその気持ちを大きくさせた。
「ハ、ハル…恥ずかしいよ…」
「…」
ハルは何も言わない。
どんな顔をしている?どんな風に思っている?
考えれば考えるほど、恥ずかしい気持ちが膨張していく。
しかし、それと同時に何か別の感情がどんどん溢れているのも確かであった。
「ハル…俺を見ているのか…?」
「…見ております」
はっきりとハルにそう言われ、恭一は羞恥心と興奮で頭の中が混乱しそうになった。
「わたくしよりも…少し色が浅黒くて…」
「えっ…」
「でも、胸元や体つきは…わたくしとそう変わりません…」
「はあ…はあ…っ…」
「あ、お腹のところにほくろがありました…」
「はあ…はあっ…」
「それ以外にわたくしと違うところは…」
「はあ…はあ…はあ…っ…はあっ…」
「違うところは……」
ハルが具体的に自分の特徴とハルとの違いを指摘する。
恭一は頭がおかしくなりそうであった。
今、ハルはどこを見ている?
俺のどこを見ているんだ?
隠そうと思えば隠せるのに…恥ずかしくてたまらないのに…
「…どうしてほしいと思ってらっしゃいますか…」
「え…?」
「わたくしに…どうしてほしいのかと、聞いております」
ハルが少し挑発的に聞いてくる。
目隠しをされ、恥ずかしい恰好をさらけ出している俺より、今の自分の方が優勢だとでも思っているのだろうか?
使用人の娘という立場のくせに…
でも…
でも………
「そ、その帯で…」
「…」
「はあっ…はあっ…」
「この帯で…?」
「いつものように…俺を…」
「《俺を》…?」
「し…し…縛って…」
「…」
恭一は恥を捨てて、欲望を口に出した。
しかしハルが何も言わないので、恭一は一気に不安感に駆られた。
「ハ、ハル…?」
「いやです…」
「…!!」
思いがけないハルの返事に、恭一は言葉を失った。
目隠しのところに汗がたまっている。
布団もなんとなく湿っぽさが感じられた。
「お、お前…俺にこんな恰好させておいて…はあっはあっ…ハル…っ」
それなのに、不快極まりないこの状況でも、恭一はますます高ぶるのであった。
早くハルに縛ってもらいたいのに、この焦らされている今の感覚を終わらせたくない自分がいた。
「…うそです」
「え…」
「神妙にお縄を頂戴しろい」
しかし、ハルが律儀にいつもの台詞を言ったかと思った瞬間、恭一は体中に電流が駆け廻るかのような感覚に襲われた。
「ああっ…!!」
ハルは、恭一の体を恭一の帯できつく締め上げていた。
裸の恭一の体に、直に帯が食い込んでいつもとは違う痛みを感じる。
「ふっ…ふっ…」
耳元で、ハルの小さくも荒い息遣いが聞こえる。
それが恭一の溢れる感情をますます高ぶらせた。
「ん…んんっ…ああっ!」
痛いと思えば思うほど、恭一はどんどん興奮する。
ハルもこんな気持ちなのだろうか。
自分をこんなふうに縛りつけて、強く締めつけるたびに、ハルも自分と同じように体を熱くさせているのだろうか。
「…痛いのですか…」
「…え…」
「…痛くて…耐えられないですか…」
こんなに細い腕のどこからこんな力が出るのか、ハルは両腕をふるふると震わせながら、静かに尋ねた。
「…痛いよ…痛くて痛くてたまらない…」
「…」
「…はあっ…はあっ…」
「…」
「…で、でも…」
恭一は見えない目をハルの方に向けた。
「も、もっと…痛くしてほしいんだ…なぜだかわからないけど…ハル…」
恭一は、自分で何を言っているのかわからなかった。
痛いのに、苦しいのに、それを欲している自分が理解できなかった。
けれど、そう言わずにはいられなかった。
もっと、ハルに痛めつけられたい。
この息苦しさを、もっともっと感じていたい。
ハルの息遣いを耳元でもっと聞きたい。
ハル…ハル…ハル…!!
そのとき、自分を締めつけていた帯が一瞬緩んだと思ったら、すぐにまたぎゅっと固く結ばれ、恭一は完全に身動きが取れなくなった。
そしてそのあとすぐ、首筋のところに激痛を感じた。
「あああっ!!」
恭一はあまりの痛さに大声を上げ、目元に涙を浮かべた。
それは目隠しの帯にどんどん吸い込まれていった。
「ハ…ハル…今噛んで…」
ハルは、恭一の首筋を思い切り歯で噛んでいたのであった。
ハルは黙って、今度は恭一の胸元を噛み始めた。
「ああっ…い、痛い…痛いよお…!!」
恭一は泣き叫ぶように声を上げるが、ハルは何も言わない。
「い、痛い…ハル…痛いよ…ハル…ハル…!!」
ハルは恭一の体のいたるところを噛みながら、どんどん力が入っているのか、掴んでいる恭一の腕に爪を立て始めた。
十本の指が、恭一の体内に飲み込まれるかの如く、深く突き刺さっている。
恭一が激しい痛みを感じるごとに、恭一の瞳から涙があふれ出し、目隠しの隙間からどんどん頬を伝った。
それなのに、それなのに…
「痛い…ああ…ハル…」
「…もうやめましょう…」
「え…」
「あまりに痛そうです…血が…出ています…」
「いやだ…」
「え…」
「いやだ、ハル、もっと続けろよ…お前だって…」
恭一は、ハルの息遣いがどんどん荒くなっているのに気付いていた。
お前だって、こんな風にするのが、楽しいと思っているんだろう?
やめてほしくない、もっと、もっと…!!!
「ああああああっ」
そのとき、恭一は今まで感じたことのない激痛に襲われ、悲鳴を上げた。
ハルは、恭一の胸の小さな突起にかじりついていた。
ハルが口を離すと、つつ、と鮮血が滴り落ちた。
「あ…あ…あ……」
恭一は口から唾液を垂らして、がたがたと震えている。
失神しそうなほどの痛みが、恭一の全身を覆い尽くした。
「ハ、ハル…あ…ああ…」
恭一は、手探りでハルを求めた。
「あ、熱い…すごく痛いのに、熱いんだ…体がすごく…ああ…」
「…」
恭一は今ので頭が真っ白になった。
何も考えられない。
けれど、内側から焼けるように熱いものがこみ上げ、全身が快感で打ち震えた。
そのとき、ぴしゃっという音が聞こえたのと同時に、胸の傷口がびりびりとしびれた。
「んんっ…」
ハルが、枕元に置いてあった水を、恭一めがけて放ったのであった。
恭一は冷たさと傷口のしびれるような痛さで、唸り声を上げた。
「うう…ん…はあ…はあ…っ」
「…」
ハルは何もしゃべらない。
ハルは何をしている?
俺を見ているんだろう?
裸で、傷だらけで、水浸しの、無様な姿の俺を…
笑ってるのか?
哀れんでいるのか?
それとも、こんな姿の若旦那に、絶望しているのか…
「はあっはあっはあ…っ!!」
恭一は、何を考えても、どんなに今の自分が見るに堪えない様だとわかっていても、惨めになるどころかますます興奮冷めやらない。
しかし、この溢れる感情を、どうすればいいのか、恭一にはわからなかった。
ハルがどんなに自分の体を傷つけても、それを自分がどんなに欲しても、体の内側からとめどなく湧き出る何かを、どうすることもできなかった。
「…ハル…っ…」
恭一は思わずハルの名を呼んだ。
「ハルっ…助けて…」
恭一は身動きが取れず、何も見えない状況で、体をくねらせながら、ハルを呼んで涙を流した。
痛くて仕方がないのに、ハルにそうされると痛みをもっと欲しくなるんだ。
ハルにこんな恰好を見られると、恥ずかしさと嬉しさで、頭がおかしくなりそうになる。
でも、でも…
「ハル…!!」
恭一は、目隠しをされ、体を縛られた状態のまま前のめりになって、ハルの胸に飛び込んだ。
「どうしたらいいのかわからないんだ…!お前にそうされると体が死にそうなほど熱くなって…嬉しくて…何かが溢れそうになるのに…」
恭一は息を切らしながら叫ぶ。
「これがなんなのか…どうすれば自分の気が済むのか、全然わからないんだ…!!」
恭一はひたいをハルの胸元に押しつけて、すすり泣いた。
「全然嫌じゃないのに…つらいんだ、つらいよハル…ハル…!!」
そのとき、恭一はふっと温かいものに包まれる感じを覚えた。
真っ暗闇に変わりはなかったが、ぼんやりと光が差し込むような、不思議な感覚であった。
「…もです」
「え…」
上の方から、かすかにハルの声が聞こえたような気がした。
「わたくしも…ハルもです…」
はっきりと、ハルがそう言ったのが聞こえた瞬間、恭一は自分の唇に何か柔らかいものが触れたのがわかった。
今まで知らなかった、甘美な感触が、恭一の唇を優しく包み込んだ。
「恭一さま…」
自分の名を呼ぶ声が聞こえる。
無機質で、かわいげがないと思っていた、ハルの声が…
「きゃあああああっ!」
突然、襖のところから女の悲鳴が聞こえた。
恭一は何も見えないが、どかどかと音を立てて、何者かがこちらに近づいてくるのがわかった。
そして、自分を包み込んでいたハルの体が自分の元からふっと離れた瞬間、ぱんという破裂音が部屋中に響き渡った。
「お前…!!なんてことをしているんだい…!!」
若い女中の声は、驚きと興奮と軽蔑と怒り、さまざまな感情が入り混じって震えていた。
そのあと何度も、ハルを叩く音が続いた。
「何を考えているのやらと思っていたら、こんな淫らなことで頭がいっぱいだったってことなのかい!!ああ、けがらわしい!!子供のくせに!!」
女中は頭に血が上っているのか、叫び続ける。
そして、恭一の痛々しい姿を見て、さらに甲高い声を上げた。
「こんな暴力まで…お前、恭一さまからお離れ!さあ!!あっちへお行き!!」
女中がハルを怒鳴りつけると、ハルはたたたと足音を立てて、部屋から出て行ってしまった。
「ハ、ハル…」
恭一がハルを呼びとめようとすると、突然女中が覆いかぶさってきた。
「恭一さま、こんなひどいお姿に…うう…」
そう言って、女中は泣きだした。
そして、目隠しの帯と縛っていた帯をほどいた。
恭一はまぶしさで目を細めたが、涙で濡れていた頬や瞼が空気に触れ、ひやりとした冷たさを感じた。
「こんなにお泣きになって…さぞお辛かったでしょう、なんとひどい…」
女中は恭一の乱れた着物を直し、湿っぽい布団に寝かせた。
さっきまで全く気にならなかったのに、恭一は今になって全身に不快感を覚えた。
「お熱がまだあるというのに!ああ、信じられませんわ!ハルのやつ…あの子は悪魔ですよ!!」
怒りがおさまらない女中は、叫びながら恭一の顔を拭った。
恭一は黙っている。
「傷の手当てを致しますからね、でもその前に…」
そう言って、女中は立ち上がり、部屋から出ようとした。
恭一は慌てて上体を起こし尋ねた。
「どこへ行くんだ…?」
「旦那様のところです」
「えっ…?!」
「今回のことを、ご報告に参ります!ハルに罰を与えてやらないと…!!」
「待って…!!ハルは…!!」
恭一は女中を止めたが、熱と傷のせいで体が言うことを聞かなかった。
その間に、女中はすたすたと行ってしまった。
「ハル…ハルは悪くない…ハルは…」
恭一は、一人で必死に訴えたが、もう遅かった。
◇
ハルはその後、無抵抗の恭一に対して淫らな行為を働いたこと、たくさんの傷を負わせたことなどの理由で、罰として長いこと部屋の奥に閉じ込められた。
今回の事件のせいかどうかは何の根拠もなかったが、恭一の病気がなかなか治らなかったことも、ハルへの罰が重くなった理由の一つであった。
病気が治った後も、恭一はハルと遊ぶことは言うに及ばず、顔を合わすことすらも禁じられた。
恭一は父親に、何度もハルの無実を訴えたが、父親は聞く耳を持たなかった。
「お父さん、ハルと遊びたいのですが」
「だめだ」
「なぜです?!」
「また先日のようなことになったら、どうするつもりだ!」
「ですが、ハルと遊ぶように言ったのは、お父さんですよ!」
「当たり前だ!お前たちのような子供が、そのような関係になるなんて夢にも思わないだろう!馬鹿者が!」
「違います、お父さんが思っているようなことは一切ありません!」
「同じことだ!そもそも、お前を使用人の娘なんかと遊ばせた私が間違っていたのだ」
「お父さん!!」
「恭一!いい加減にしなさい!もうハルは外には出さん。お前も奥へは絶対に行ってはならないぞ!」
このようなやりとりが、もうだいぶ前から続き、恭一とハルはあれ以来、一度も顔を会わせることはなかった。




