かくも生きるということは、ままならないものなのだろうか。
「さて、見取り図がないから行き当たりばったりになるけど、敵は二人に押されてこちらにくるか…まあ、おそらく別の階段から一階におりて、中庭に出るだろうから…」
二階に着いて、最初の部屋に突撃、無人だったのをいいことに、一度そこに陣取ることにした。扉に黒田さんが張り付いて、他の四人で部屋の中央に車座になる。部屋の内装はさきほどの部屋と大差ないところを見ると、どちらも客間なんだろう。空き部屋だったのか、この部屋の方が、若干ながら空気がかび臭い。風通しくらいしておけばいいのに。もったいない。
「挟み撃ちにするんじゃないんですかっ!?」
「うまくすれば、それで終わりだけどね。まあ、さすがにそんな巧いことは行かないだろうから…」
二階にあがってきてからも、建物の反対側からは賑やかな騒音が聞こえてくる。二人とも順調に進んでいるようで何よりですね。
「そこまで考えていて、敢えてこの行動を取る理由は何でしょうか、素直に吐かない場合はありとあらゆる直接的手段に訴えますが」
「や、挟み撃ちにすれば一網打尽だけど、搦め手の二人の方が火力があるから、大手の俺たちが却って危険になるかも知れませんから。この作戦の肝は、香奈美ちゃんと黒田さんを危険に晒さない、というところにありまして」
陽一郎さんの馬鹿みたいな活躍も、東雲さんのどこぞの凄腕スナイパーばりの腕前も、美羽の超人的な破壊力と、玉代さんの尋常でない戦闘力の前ではさすがに霞む。それぞれの組み合わせをずらせばバランスは取れるけど、そうすると玉代さんが額に青筋を浮かべて俺に詰め寄るし、じゃなくて、搦め手のリスクを考えるとあまり取りたくないからね?
「なるほどぉー!池田さんは天才ですねっ!」
「いやいや、そんな大したもんじゃないよ」香奈美ちゃんと黒田さんと、さらに俺の安全を考えての作戦ですから!(キリッ)
「あ、あの、その…外がだいぶ騒がしくなってきたんですけど…」
扉側で待機していた黒田さんが、おずおずと手を挙げながら報告してくれた。なるほど、たしかに搦め手の二人がだいぶ近づいているようで、怒声と悲鳴、そして時折の銃声がはっきりと聞こえるようになってきた。
「悠長に話していられる時間は、そろそろ終わりか」
は~、と長い溜息をひとつついて、俺は立ち上がった。それに倣って、三人とも立ち上がる。そして申し合わせたように、それぞれが銃を構える。俺を除いて。いやあ、正直なところ、撃ちたくないよね、普通に考えてさ。
「先頭は僕が務めよう」
「お任せします。その後は先ほどと同じく、最後尾は東雲さんで。扉を出たら右手に直進、あっちの二人と合流したら、またその場で方針は伝えるから━━━━」
「突撃ですねっ!」
香奈美ちゃんが言葉尻を素晴らしく前衛的に締めくくってくれた。
「ま、要約すれば、そういうことで」
その顔が頭を撫でて欲しそうだったので、なんとなく頭をぐりぐり。香奈美ちゃんは「ほへへ~」とか危ない声を漏らしながら、喜色満面でぐりぐりされ続ける。
「それじゃ、行きますか」できれば今すぐ帰りたいですが。まあ、ここまで来たら、野となれ山となれの心意気で。行くしかないじゃない。
俺の目配せに陽一郎さんが頼もしそうに頷き、一気に扉を開いて躍り出る。それに俺、香奈美ちゃん、黒田さん、東雲さんと続く。
廊下に出て視界を転じ、行く先五十メートルほどの距離に、敵集団が密集している。廊下は幅四メートルほどと、千石荘ほど広くないため正確な数は把握できないが、ときおり奥で人が吹き飛んでいるのを見るに、敵の注意は完全に逸れている。だというのに。
「うおおおお!玉代さんいま行きますぅぅぅぅぅ!」
大音声で叫ぶアホ一名。
アホのおかげで敵の後ろ半分が一斉にこちらに振り返り、銃を構える。
当然そうなりますよねー。と思った俺の両頬を、超高速で何かが通り過ぎていく。何かと振り返るまでもなく、眼前で敵が構えた端から銃を弾き飛ばされ、次いで足に着弾して転倒していく。そこに陽一郎さんが飛び込んで、一気に乱戦になる。と、眺めていたら、「ふごっ」背中に強い衝撃を受けて、俺もその最中に叩き込まれた。
「ぐっどらっく」
怒声飛び交う中、何故か東雲さんの声が耳に入り、したり顔で親指を下に突き下ろす姿が容易に想像できた。「冗談じゃねー!」突き飛ばされた勢いを殺しきれず、前転しながら体勢を立て直し、当然ながら銃を取るより、ずっと腰に吊るしてお飾りになっていた太刀を抜き放つ。
「肉弾戦は勘弁してくれ!」
真剣ですよ?むしろ戦いにくくて仕方がないじゃないか。この年で殺人者になる気はさらさら無いんだから!
「ええい、やりにくいなあ、もう!」
峰を返し、目の前の数人に一撃ずつ叩き込んでいく。鋼鉄の棒で叩くんだから、勢いによっては骨くらいは簡単に折れる。こちらも加減している場合じゃないから、相手には悪いけど、死ぬよりはマシだろうということで、遠慮はしない。
「亘、亘ぅー!元気してるかーっ!」
敵陣の向こう側から、元気のいい声が聞こえてくる。言わずもがな、美羽だ。
「別に絶叫しないでも、インカムがあるだろうが」
敵のパンチをバックステップで避け、反動をつけて踏み込みざまに袈裟懸けの一撃。鈍い手応えが返っている。おそらく鎖骨が折れただろう。
『おまえなあ、オレがせっかく大声あげてんのに、無線でボソボソ返すだけとか、セイイってもんが足りねーよっ!』ボコッギャー!ドカバキ!
乱闘の音入りで、インカムから返事がはじき出された。インカムを使ってわめいているので、大声を張り上げられるほうが幾分マシだ、と気がついた。主に聴覚的な理由から。
「どりゃああああああ!玉代すわあぁぁぁぁん!!」
思いの丈をぶちまける雄叫びをあげて、陽一郎さんが極太の腕を振るいながら突き進む。
繰り返すけど、廊下はさほど広いわけではない。
筋骨隆々の大男が暴れると、それだけでスペースが埋め尽くされる。
陽一郎さんがパンチというよりは、ラリアット気味の攻撃を繰り出し、敵が二人まとめて吹き飛ぶ。某ゲームの暴力市長ばりのダブルラリアット状態だ。当然、俺が横に並べるはずもない。
「ふむ…」
「何をしたり顔で見物していやがるんですかこの怠け者」
「うおっ!」背後、それも間近からいきなり声をかけられて、思わず飛び退きながら振り返ると、暗黒メイド東雲さんがそこにいた。「び、ビックリさせないでください。たぶんそのうちショックで死ぬと思うんで」ハイそこニヤリと怪しく笑って返さない。
「お嬢様の安全のため、とっとと戦場の華と散ってください」
「そう言われましてもね、あそこで筋肉ダルマが大暴れで、俺の入る隙間がないんです」
俺が陽一郎さんを指しつつそう言うと、東雲さんは無言で三秒完全停止、ひとつ小さく頷いてから、すたすたと前に進む。まさかの暗黒メイド無双か!?と戦慄の光景を期待したら、
「玉代さあぁぁぐあっ!?」
ライフルを振り上げ、ストック部分で陽一郎さんの後頭部に全力の一撃を見舞ってくれやがりました。
敵も東雲さんの突然の行動に動きが止まる。当の東雲さんは、倒れ伏す陽一郎さんの頭部に止めのストンピングをくれ、さしたる感慨もなさそうに、無表情のまま俺の方に戻ってくる。そして通り過ぎざまに俺の肩を叩いて、頷きながら目で語った。
「死んで来い」
俺にはそうとしか受け取れなかったですハイ。
「やりゃいいんでしょ、やりゃあ!チクショーッ!」
愚痴もとい気合の声と同時に、太刀を下段に構えて踏み込む。なるべく前に出ておかないと、後退しすぎて香奈美ちゃんたちを危険に晒しかねない。それでは流石の俺でも、矜持が傷つくといものだ。
「ファッキンジャーップ!」
とても分かりやすい罵声をあげながら、筋肉ダルマのような黒人が踊りかかってくる。その迫力たるや、まるで熊にでも襲われたかのような気分だ。実際に襲われたことないけど。
顔の造形と語彙は粗雑ながら、動きはしなやかで洗練されている。上体をかがめ、両脇を締めるスタイルは考えるまでもなくボクシングのものだろう。ということは。
「っでえぇぇぇぇぇぇぇい!」
太刀を肩に担ぐように構えなおし、渾身の気迫でもって対峙する。黒人ボクサーはその瞬間に軽妙なフットワークで、俺の右に回りこんできた。なるほど、そのくらいの頭もちゃんと回るわけだ。ただし、残念ながら間抜けだ。
「オウッ!?」
当然ながら上段の構えはフェイントで、上半身はほぼそのままに、俺は水面蹴りを繰り出す。相手はボクシングスタイル、ほぼ確実に下半身への攻撃、特に蹴りに関しては慣れというものがないはず。そして俺の予想は的中し、俺の雑な蹴りが見事にあたり、体勢を崩した。
「おやすみさん!」
そこに後頭部めがけて太刀を振るう。致命傷を恐れるなら別の部位でもよかったが、残念ながらそこまでの余裕もない。黒人はうめき声すらあげることなく、俺の一撃で倒れ伏した。
「次ぃ!」
柄にもない、と思われるかも知れないが、これでも剣道一家に生まれ育った身だ。戦闘モードくらいは搭載している。…ただし、あくまでスポーツとしての範囲だったけど。
今度は二人同時に左右から襲いかかってきた。いまの一撃で、俺が刃を向けないというのを理解してくれやがったのか、左のちょび髭と右のサングラスに怯みの色はない。
ちょび髭が先んじて拳を繰り出し、それとワンテンポずらしてサングラスが続いてくる。ごく初歩的な連携だけど、その分効果は確実なわけで、「アホかっ!」ちょび髭の拳に全力で峰打ちをくれてやり、「おらぁっ!」サングラスの攻撃には肩から当たりに行って、そのまま押し込む。
相手のパンチに全力で体重が乗っていたら、俺の作戦も大外れだったけど、予想通り全力のパンチじゃない。俺の全力の体当たりに力負けして、サングラスの体勢が崩れ、すかさずそこに突き蹴りを見舞ってやる。
「誰も剣術しか納めてない、とは言ってないからな」
白目を向いて倒れるサングラスに、そんなことを言い捨ててみる。そしてここで大変残念なお知らせがあります。我が家では剣術以外にも棒術、そして体術も伝えている。徒手空拳ができないわけじゃないんです。まさか古流剣術が、本当に剣術だけで終わるわけがないじゃない。ま、一番得意というか、みっちりやったのは剣術だけど。
「で、まだわんさか沸いてくるわけね」
すでに目の前には、新たな敵性外国人(もれなく筋骨隆々で汗臭そう)がずらり。ファイナルファイトだってこんなに敵出てこないぞ!とわけの分からない文句を言いたくなったけど、そんな暇もあるはずがなく、手にした太刀をこれ見よがしに構え直す。
はあ、終わりが見えないなぁ…どうしたら楽ができるか、少し思案してみよう。馬鹿のひとつ覚えで突っ込んでくる外人の攻撃をひらり。
ざっと見て相手は三十くらい。よくもまあ、これだけ密集したもんだと関心するけど、当面の問題はその数だ。避けざまに相手の腕に太刀をずびしと一撃。
とてもじゃないけど、その半分も相手にはできない。何せ俺って一般人ですから。続く敵が間合いを計りながら、キックボクシングスタイルに構える。
ということは、どうやったら楽をできるか、というところを突き詰めればいいわけだ。相手のジャブに合わせて高速で籠手を撃つ。当然ながら痛いですよねー。
この場合、後ろに期待はできない。期待したかった陽一郎さんは、味方殺しの暗黒メイドの魔手によって没してしまった。苦痛の表情を浮かべるキックボクサーに袈裟懸けの一撃。南無。
当然ながら暗黒メイドには期待ができないし、香奈美ちゃんと黒田さんの安全を考慮すると、不本意ながらいまの立ち位置は間違っていない。それでも健気にも立ち向かってこようとするキックボクサーの顔目掛けてホップ・ステップ・ジャンプ!
となると頼れるのは前方にいるであろう二人になるわけだ。考えるまでもない答えだけどね!キックボクサーの顔面に蹴りを入れ、そのまま勢いに任せて前方に躍り出る。そして次の行動はこれだ。
「おいコラクソチビ美羽ぅーーーーーーーーーーッ!」
たぶん生まれてこの方初めて出すくらいの大音声。声を張り上げながらも、太刀をどんどん振り回していく。そうしないと俺の危険が危なくてバイオレンスだからね!
「ンだとコラァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
鼓膜が破れそうな衝撃が走る。俺も敵も等しくその爆音に動きが止まった。なんという必殺技だ。そして時は動き出す!
「今なんつったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
美羽の鬼気迫る…を通り越して、殺意溢れる怒声とともに、前方で人の山が爆ぜた。
轟音ととともに次々と人が舞い、ある者は窓を突き破り大空へ旅立ち、ある者は壁、そして天井と熱烈な抱擁でその思いの丈を表現していく。うん、ちょっと早まったかも。
目の前の外人さん(ぼさっとしていると、わりとユニーク)が呆気にとられている隙に、ちらりと後ろを見ると、東雲さんがニヤニヤとこれ以上ない極上のいやらしい笑みを浮かべていた。見るんじゃなかった腹立たしい!
およそ徒手空拳による打撃音とは思えないような、ドゴン!とかボガァ!とかむしろ破砕音と言いたくなる音とともに、吹き上がり叩きつけられていく西洋人を眺めながら、辞世の句をひねり出す。
おかしいな、俺の人生、もう終わる?
句になってねえ。
「邪魔だクソどもがぁーーーーーっ!」
およそ女の子が発してはいけないセリフを叫びながら、小さな竜巻のように猪突猛進してくる美羽。さあ困った、どうやってこれをやり過ごす、もしくは巧いこと治めるか。有象無象がこの扱いだから、きっと俺は特別待遇ですこぶる酷い目に遭うに違いない。そんなスペシャルいらないぜ。なんてことを考えている場合じゃない。およそあと数秒で、怒れる魔人美羽様が俺の眼前に躍り出てきて、その瞬間、俺の人生が強制終了させられるのは間違いない。つまり早急に次の策を練って対応しないと、素晴らしいまでに“策士、策におぼれる”を地で行ってしまうわけだよ孔明さん。
思い出せ、美羽の攻撃スタイルは何だ?答えは簡単だ。小さな身体を補うために、“飛び上がって”の攻撃から入ることが多い。そして今の状態なら、間違いなく勢いに任せて飛び掛ってくるはずだ。使われる技は、おそらく得意と思われる回し蹴りが最有力候補。そして記憶をたどる限り、美羽の利き足は右。
「つまり答えは━━━━━」
「もっぺん言ってみろゴルァァァァァ!!」
目の前の人山が爆ぜ、弾丸の如き勢いで美羽が現れる。
美羽は突っ込んできた勢いをそのままに予備動作に入る。
側転から前転、体勢を整えて、低く構える。
予想はドンピシャリ。
あとは間に合うか。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
前方に身を投げるようにして、空中で反転。
俺の頭部を打ち抜くべく、美羽の足が放たれる。
跳び後ろ回し蹴り。
回転力と全体重を乗せることによる相乗効果から、数ある蹴り技の中でも抜群の破壊力を誇り、そして最も美しいであろう技。初代タイガーマスクの得意としていた技の一つだ。
「御免こうむる!」
俺は美羽の凄まじい回転速度を踏まえて、美羽が反転する寸前から避ける動作に入っていた。
ゴッ、とおよそ人体が作り出したとは思えない風切り音を発し、美羽の右足が空を切る。初対面のときは反射的に仰け反って避けたが、今度は屈み込んだ。そして、このあとが重要だ。
フォロースルーで美羽の身体が開ききる。そして、前方に飛んだのだから、当然その状態で前、俺の方へと飛んでくる。ここにカウンターの一撃を加えれば、流石の美羽もたまらないはず!
刹那のタイミングで、屈む動作を切り替え、身体を伸ばす。
一瞬でもずれれば、まさに命はない。
伸び上がりざまのアッパーカット、それが俺の狙う一撃だ。この勝負、いただく!
「うお━━━━━」
がぼっ。頭部に生暖かい衝撃を受けるのと同時に、視界が真っ暗になった。
カウンターをもらったのは俺の方だった。
踏ん張ることなどかなわず、俺は後ろに倒れこむ。
「ふごっ」
そして頭部を痛烈に打ちつける。星、星が飛びました!
頭を抱えて転げまわりたいところだけど、のしかかられていて動けない。
ん?
のしかかられて?
「う、ひゃあ!」
美羽の悲鳴などお構いなしに、自由の利かない頭を派手に動かして視界を確保する。
「………ああ、うん」
見えるのは美羽の顔。
頭は両足に挟まれていた。
「これは事故だな」
つまるところ。
俺の顔面に美羽の股間が突撃してきたと。
視点を切り替えれば、美羽の股間に俺が顔を突っ込んだと。
そういうことか。
「お前の突っ込んでくる勢いが良すぎたな」
キラッと爽やかに微笑んでみた。
「死ねーーーーーーーーーーーーーーー「おべらっ」ッ!!!」誤魔化せませんでしたっ!と、思うのと同時に意識は途絶。
目が覚めたら自分の部屋だった。気絶する前の記憶があやふやだったけど、様子を見にきた香奈美ちゃんの話を聞いて、つつがなく思い出さないほうが幸せだった事実を思い出した。いや、ある意味思い出してよかっ…げふんげふん!や、俺も健全な男子であってですね?なんて、言い訳をしてみたところで、いまの状況が変わるわけもなく。
「えー…っと、なぁ」
「あんだよ」
ベッドの脇に椅子を寄せてこちらを凝視していた美羽が、不貞腐れた顔で返事をよこす。
解説しよう!美羽の全力の打ち下ろし鉄拳を顔面に頂戴した俺は丸二日間気絶、千石荘の人たちの暖かな配慮から病院には担ぎ込まれず、そのまま悪化してたらどうするんだチクショウ!という事後の感想はさておいて、目下のところダメージが抜け切らずに動けない俺を、香奈美ちゃんに呼ばれてやってきた美羽が、いつ止めを刺そうかと虎視眈々、狙いをつけているのだ。概ね間違いはない!
「まだ殴り足りないとか、そんな気分か」
「そ、そんなんじゃねえよ!」
俺がぼそりと言うと、美羽が顔を真っ赤にして怒る。うむ、我ながら美羽を怒らせることに関して、世界最高水準の技量を持っているようだ。
「あのあと、どうなったんだ?ほれ、何だ、大使館とかそこにいた連中とか」
記憶違いでなければ、大使館は治外法権だったはずなので、そこを襲撃した俺たちは下手をすれば逮捕→即刻死刑というコンボをくらってもおかしくはない。しかし雰囲気からするに、千石荘はすでに日常を取り戻しているようだし、事態はどうなったのか。素朴かつ素直な疑問だ。
「東雲の根回しで、公表できないようにしたとかなんとか…そんなことを玉代が言ってた」
不機嫌そうに…というよりは、拗ねたような様子で、美羽はつまらなさそうに言う。まるで妹を相手にしている錯覚を覚えなくもない。方向性は違えど、変人という点では同じ括りだろうし。
そこであの暗黒メイドの、美人なんだけど無愛想すぎる顔を思い浮かべる。
「なるほどね、あの人ならやりそうだ」
「そ、そんなことより、身体だいじょぶか?、痛くないか?」
「ん、ああ。面白いくらい身体に力が入らないな。脳ミソだけ起きてて、身体の電源が落ちてるみたいだ」
珍しく俺を気遣う美羽を思わず凝視して、率直なところを語ってみた。
「そっか…あの、さ」
「うん?どうした」
「いや、その…悪かったな、ほとんど加減せずに殴っちまって」
「ああ、やっぱり全力じゃなかったか。全力だったら、今頃俺は空のお星様になってただろうなぁ」
あはは、と乾いた笑いを発したら、身体中にビシビシと鋭い痛みが走った。うん、笑うのは極力やめておこう。ていうかどれだけポンコツしてるんだ、この身体は。
「ま、あの状況はああでもしないと、どうなったか分からなかったからなぁ…すまんかった」
本当なら頭を下げようと思ったけど、残念ながら身体の電源が落ちているので、口で言うだけになる。まあ、心が伝わればオーケイということで。
「ん、あ、ああ、その、それなんだけどな」
「ん?どれだ?」
「お、お前ってさ、背の低いヤツは嫌いかっ!?」
「は?どうした、唐突に」
「い、いいから答えろよ!」
「や、背が低い女の子は可愛くていいんじゃないか?」ロリコンという意味ではなくな。
「ほ、ほんとか!?」
「あ、ああ。とりあえず顔近いぞ」
「あ、いや、そのっ…ゴメンっ」
(ああ、何だかいい雰囲気になってるなぁ)
扉を少しだけ開けて、その隙間からこっそりと中を伺うのは、家政婦…もとい管理人の千石香奈美。そしてその姿を気配を消して見つめているのは、亘の言うところの暗黒メイドこと東雲真希。
前者は半ば無意識的に、後者は完全にでばがめもとい野次馬でもなくて…要するに香奈美の保護者としてこの場にいた。
(何だろうなぁ、覗き見なんて良くないのに…気になる。うん、すっごく気になっちゃうよ…何でだろ?)
香奈美は胸に鈍痛を覚えて、そっと小さな手をやる。その様子に、真希が小さくため息をつき、そして行動に出た。
「お嬢様、ここで手をこまねいていては負けるだけでございます」
口調は慇懃に、しかしやったことは。
振り返ろうとする香奈美の尻を蹴り、扉の向こうへと押しやった。
香奈美は声をあげることもできないまま、ごろりと綺麗に一回転、床に両手を突いて馬の体勢、というと味気ないので舞台役者が神に懺悔するかの如く。心の準備も何もないまま、亘の部屋へと珍妙な登場の仕方を果たした。
たぶん、文字通り目が丸くなってるんだろうなあ、と思わずにはいられない。ごろりとやってきた香奈美ちゃんは、超高速で前と後ろとを見やり、両手で頭を抱えて「あ、あわわわ」とか言っている。それと同時に美羽はバッと俺から飛びのいて、不自然なほど距離を置いた。いやまあ、さっきの至近距離の方が不自然か。なんていうか、ちょっと動いたらキスできる距離だったからな。
「なななな」
「あわわわ」
二人して壊れたラジオ状態、とりあえず俺は不覚にも美羽に対してドキドキしてしまっていたので、その状況から脱せられてラッキーなんだけど、いまこの状態はどうなんだ、どういうことなんだ!
「あ、あああのあのあのですね!」
「おお、おおぉう、何だ!」
二人とも顔を真っ赤にして、見ていてとても面白いなぁ、ウフフ!
しかし、このまま珍妙なやり取りが続くのかと思ったら、うまいこと言葉にならないのか、二人して餌を投げ入れられた池の鯉。そしてうつむいてモジモジ。何だ、こいつらコントやってるのか?
「━━━━━━だ、」
「だ、だ?」
ようやく香奈美ちゃんが口を開いた。言葉を発するまえにゴクリ、と身体全体を使って唾を飲み込んだあたり、なんというか可愛いなぁ。小動物的な意味で。
「ダメです!」
ばっと顔を上げ、美羽に言い放った。
「ダメったらダメです!絶対絶対絶対、ぜーーーーーったいダメです!」
ずびし!と人差し指を突きつける香奈美ちゃんは、関を切ったというよりは決壊したダムのように、ひたすらダメダメと繰り返す。何のこっちゃ、なのだけど、美羽には意味が通じているらしく、「だ、ダメって何だよ!香奈美には関係ないだろ!」と少し涙目で切り返す。
そろそろ俺にも分かるように、話を進めてもらえないものだろうか。何ていうかホラ、描写しにくい?みたいな?
ひとしきり「ダメダメ!」と「ダメって何だよ!」の応酬を終えて、二人は肩で息をしながらじっとりとにらみ合い。あれ、なんか俺が思ったよりもマジ?
「か、関係ならありますよっ!」
ぜーはー言いながらも、香奈美ちゃんは宣言した。
「ボクだって、亘さん好きですもん!」
顔を真っ赤にして絶叫して、すぐにうつむいた。
………はて、いま何と?
「お、俺だって好きなんだよ!」
……Just said?
英語にしてみた的な?しかも中学生レベル?みたいな?
え?何?何なのこれ?
ドッキリ?ドッキリなの?
もしくはこれを受けて天から裁きの雷が落ちて、俺、爆発四散して死んじゃうの?
いや待て、落ち着け俺。別に今まで告白されたことがないわけでもないだろ、落ち着くんだ。状況が若干面白いもといおかしいだけで、そう焦る必要もないじゃないか。それにそもそも、これはアレだ。寝たふりでもして、いまのを聞かなかったことにしてしまえばいいんじゃないの的な逃げの姿勢で臨むっていうのはどうだろう!?
「亘はオレの方が好きだよな!?」
あー、そこでそう振りますか、目線が合っちゃいましたか、寝たふりさせてもらえませんでしたか残念です、ああ残念です!
「なな、そんな聞き方はずるいですよっ!」
「誰が亘を好きだろうと、肝心なのは亘が誰を好きかだろ、ずるくもなんともねーよ!」
おお、珍しく美羽がまともなことを言っている。恐るべし、恋する乙女パワー。その対象が俺だ、というのが目下のところ最大のポイントですが!
「う、そ、そうですけど…」
まあ、こればかりは香奈美ちゃんも、何も言えないよなあ。でもここで香奈美ちゃんが時間を稼いでくれないと、俺がこの状況を打破する策を弄する時間がですね?いやでもだからといって、香奈美ちゃん無理して頑張れ!とかは思わないけど。
「つーわけで、答えろ亘!」
ずびしぃっ!とゲージ一本くらい消費しそうな必殺技の如く、美羽が俺を指差す。ていうか海外じゃそれ失礼なんだぞ。マジで。
「あー…」ぼりぼりと頭をかきたいところだけど、手をあげるのもだるいので、とりあえずそんな空気だけ出してみて。ここは真面目に思ったままを言わないとな。
「ものすごく正直なところだな」
ごくり、と二人が生唾を飲み込むのが見て分かる。いや、大したこと言わないから。そんなに肩肘張らないでくれ。
「会って一週間もしないで、好きがどうかなんて分からん!!」
ズガガーン!と、二人に雷が炸裂した。至極まっとうな意見なはずなのに、二人はどちらかが選ばれるとばかり思っていたのかも知れない。
「もちろん二人の気持ちは嬉しいというか何というか、面映いというかだな」
あー、顔が上気するのが分かってしまう、この物悲しさ。
「答えを先送りにさせろとか、そんなこと以前に、好意以上の気持ちがあるか分からない。だから…答えようがない!」
実家から持ってきた安物の置時計が、秒針を刻む音が聞こえるほどの静寂。あー…ストレートに言い過ぎたかな?いやでも、曲解されてもよくないし、俺の思うところはそのまま伝わった…はず。
よほどショックだったのか、理解しきれていないのか。いや、理解しきれていないというよりは、俺の言葉が頭の中に入ったかどうかも怪しいくらい、二人は硬直したまま。
さらに何か言ったほうがいいか、と思って思案しようとしたところ、香奈美ちゃんがぷるぷると動き始めた。
「こ、ここここ好意はもっ、もももってるんですかっ!?」
わーすごい焦ってるどもってる。そしてそれに応じようと思ったら、さらに顔から火が出そうなくらい熱くなってきた。俺もやべー。
「お、おう。二人ともかなり可愛いからな。そりゃ暴力的だったりドジだったりするけど、そんなことは瑣末なことだろう」美羽の破壊力が人外レベルなのを除けば。
「かっかわっかかかかわっ」
あ、美羽が顔面真っ赤にしたまま倒れた。
「ふきゅう…」
次いで香奈美ちゃんがへちゃーっと、床に突っ伏した。
とりあえず…窮地は脱した、のかな?結果的に。
ふー、とため息をひとつついて。
あとはもう一人をお招きして、ひと段落になるだろう。
「で、そろそろ出てきてもらっていいですかね、黒幕さん」
俺が声をかけると、開け放たれたままの扉の影から、すっと現れた。
「ふふふ、家政婦は見た」
したり顔の暗黒メイドが。
「はぁ…絶好調ですね」
「とんだ下衆野郎ですね」
会話がかみ合ってナーイ。でも気にしナーイ。
「思ったままを言ったまでですよ。それが下衆だと言うなら、甘んじて受けますが」
「チッ」
「ご期待に添えず、もうしわけありませんでした」
思わず口元が緩んだ。暗黒メイドをやり込めたのは、ひょっとしてこれが初ではなかろうか。仕返しとか考えると後が怖いけど、健全な精神状態を保つためにも、いまはそれを考えないようにしよう!
「で、実際のところはどうなんですか。このコウモリ野郎」
「さっき言ったとおりですよ。とりあえずこの環境に慣れてもいないし、混乱したまま、気が付いたらこれですよ」
ふー、とため息混じりに言った。本当なら肩をすくめて見せるなり、両手をあげて降参のポーズでも取ってやりたいところだけど、指一本動かすのもしんどい状態なので、そのため息にあれこれと詰め込む。
「何でも言うことを聞く」
「へ?」
「何でも言うことを聞く」
ああーっ、なんかドサクサでやってはいけないことをやって、そんなことを約束してしまった覚えがありありと思い出された!
「え、ええ、確かにそんなことを言いましたよ…」
このあと何を言うつもりだ、この暗黒メイド。考えろ、そして備えるんだ。
一、「いますぐどちらか決めろ」
二、「どちらかっていうか香奈美ちゃんにしろ」
三、「むしろ香奈美ちゃんにしろ」
四、「というか香奈美ちゃん以外に選択肢はない」
うーん、それ以外に考えられない。ということは、イエスと言うしかないのか。いやまあ確かに香奈美ちゃんは小さくてふにふにしてて可愛いし、料理もできて家事もできてふにふにしてて可愛くて、あれそういえばこの屋敷も香奈美ちゃんの物だから逆玉?逆玉なのではないでしょうかニーチェさん。
「」
東雲さんが口を開く。
ゴクリ、と生唾を飲み下し、東雲さんの言葉に備える。
「私の下僕になりやがってください」
━━━━━━━━━━。
━━━━━━━━━━━━━━━━━。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━。
は?
思わずそう口に出しそうになったけど、東雲さんがぽっと頬を赤らめる。無表情のまま。
「あんですとーーーーーーーっ!?」
その声で香奈美ちゃんと美羽が目を覚ました。
「な、なんだ…あれ、うーんと…?」
「どど、どーしたんですかっ」
二人とも俺を見たあとに、いつの間にか現れた東雲さんへと視線を転じる。
「申し訳ありませんが、この男は私の下僕とさせていただきます」
「「えーーーーーっ!?」」
そ、そうだ、思い出した。この暗黒メイドが暗黒っぷりを出してくるのを見て、香奈美ちゃんが言ったじゃないか。
「うよ?真希さんの毒舌が出るなんて、珍しいですねっ」
「たぶん気に入られたんじゃないでしょうかっ!?」と。
そんな伏線いらねえぇぇぇぇぇぇぇ!
頭抱えてぶっ倒れたいけど、ポンコツしている身体がそれを許さない。げんなりして目を閉じるのがせいぜいだ。
「だ、だだダメですよ!横取りしちゃダメですっ!」
しゅたっと挙手して、香奈美ちゃんが俺と暗黒メイドの間に立つ。
「そ、そうだぞ!やるんなら、まずオレを倒してからにしろ!」
さらに香奈美ちゃんの前に、美羽が立ち塞がる。心強いのか何なのか、頭が賃金のベースアップを要求してくれる。要するに動いてくれません!
「暴力もダメですっ!」
慌てて香奈美ちゃんが美羽を止めようとするも、暗黒メイドがその小さな身体を丁重にヒョイと持ち上げ、脇に追いやられる。ああ、なんて可哀相な管理人。
「分かりました、それでは障害は実力で排除させていただきます」
ズゴゴゴゴなんて効果音を周囲に撒き散らしながら、暗黒メイドがその名に相応しい、暗黒のオーラを身にまとう!
「手加減はしねえぞ!亘はオレんだ!」
ドギューン!俺の胸がじゃなくて、美羽も負けじと眩いオーラを発する!ていうかお前ら科学技術発展のためにNASAにでも行ってきてくれ!
「うわーん、ボクの話を聞いてよーっ!」
そしてついに泣き出す管理人!それを合図に、美羽が跳躍し、電光石火の回し蹴りを放つ。間一髪のところで暗黒メイドは身をかわし、手刀で叩き落しにかかる。
美羽は蹴りの勢いをそのままに、空中で身体を捻るという、超人的な動きで暗黒メイドの手刀を避ける。
ズバン!と派手な音を立てて、手の軌道の先にある壁と天井に亀裂が走る!隠されていた暗黒メイドの真の実力がここに!マジ勘弁!
「おらあぁぁぁぁぁ!」
そして着地ざまに全体重を乗せた打ち下ろしの右!
ベゴン!と床をえぐったその一撃は、しかし暗黒メイドには当たらず、両者を間合いを計った。
「怪我人がいるから静かにね?」
しかし、俺の呟きも虚しく、両者の放った一撃で、さらに部屋が破壊される。
とりあえず。
「ねえ、香奈美ちゃん」
「は、はひ!?」
よほど不意だったのか、声を裏返して香奈美ちゃんがくりっと振り返る。
「部屋、変えて?」
あと、俺をこの部屋から運び出してくださいお願いします。いやもう本当に。
これから毎日、こんなノリなのかと思うと、素晴らしく先が思いやられる。
ていうか、静かな環境がほしくて実家を出たのに、より酷くなっているというこの現実。
かくも生きるということは、ままならないものなのだろうか。なんつって。アハーハハハハハ…
「はぁ…」
「あ、あのっ!こんなところですけど、そのっ…これからもよろしくお願いしますねっ!」
オロオロとしていた香奈美ちゃんが、笑顔を引きつらせながらそう言って。
何故か実家に帰ろうとか、違うアパートを探そうとか。
そんなことは考えていない自分がいた。
たぶん、香奈美ちゃんの笑顔も含めて、実はこの騒々しいのがけっこう気に入っていたり…
「するかボケえぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「ひーん!ゴメンなさいっ!」
「あいや、そーいう意味じゃなくってね?泣かないでーっ!そこの二人も注目するな!あーもう、勘弁してくれよおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」