ロリコンではなくてミニコンなのだよ。
ワゴン車の運転席で、叔父さんがあれこれと話しかけてくる。高校を卒業して、東京で一人暮らしを始めることになった俺に住居を紹介してくれ、ついでだからと、引越しの手伝いまで買って出てくれる、とても人の善い叔父さんは、見た目は背がやたらと高く、しかしでっぷりとしていて…巨大な恵比寿様みたいな人だ。
「亘君も凄いなあ、ボクなんてその年の頃、まだ親の脛かじっとってよ?」
「はあ、俺もこんなんなるとは思いませんでしたけど、うちの事情も事情ですから」
「ああ、あの子はなかなか強烈やもんなぁ」
そう言って、叔父さんが顎の肉をぷるぷるさせながら笑った。
あの子、というのは俺の妹で、これがまた強烈なブラコンなのだ。ついでに音楽の趣味も酷く、メロディック・デスメタルとかいうのが好きで、よくご近所から「うちの子の耳がめんでまうわ!」といった熱烈なラブコールを受けていた。その前に俺の耳がめんでまうわ。
「東京いうても、このあたりはそうやかましくもないから。亘君も仕事に打ち込めるやろ」
「住むところを紹介してくれたうえに、引越しの手伝いまでしてもらって、叔父さんには感謝の言葉もありませんよ」
そう言ってみて、やっぱり照れ臭くて頭をぼりぼりと掻いた。
「いやなに。そこの管理人の親父さんには、昔世話になっとってな。そういう関係やから、あまり気にせんといてぇな」
叔父さんがぐるりとハンドルを切り、ワゴンが辻を右折する。
「ほれ、ついたで。降りぃな」
それからしばらく進んで、車が止まった。叔父さんはクラクションを三つ鳴らして、さっさと運転席からまろび出る。太っているのに動きは軽妙で、初めて見る人は必ず目を見張ってしまう動きだ。
「んんーっ!生き返るわぁ」
ワゴンから降りて背伸びをすると、長旅に凝った背筋が伸びて心地よい。車にはあまり乗りなれていないから、神戸から東京という長距離をほぼノンストップでくるのは堪える。
そこで車の前に回って、俺がこれから厄介になるアパートを見――――
「うおっ?!」
―――たら、そこには巨大な洋館があった。
高さ四メートルほどの、何式だか分からないけど様式美な雰囲気を漂わせる鉄柵にぐるりと囲われ、その敷地は下手な学校が二つは入るだろうか。あまりにも広くて、ぱっと見てその広さが掴みきれないくらいだ。
まるで映画のセットのような、精巧な作りの様式美溢れる門扉。それから中庭があり、巨大な洋館は遥か先。
洋館も遠目ではあるけど、確実に学校の校舎くらいのサイズはある。そんな陳腐なスケールでしか説明できないのが情けない。
…ドーベルマンとか放し飼いされてるのかな。
「………ここ、本当に都内ですか?」
首がギリギリと音を立てそうなほど、硬直した身体を動かして、ぼんやりと洋館を眺めていた叔父さんに声をかけると、叔父さんはカラカラと笑った。
「都内いうても、二十三区外やしなあ」
いや、そういう意味じゃないですよ、叔父さん。
「それにしても、きぃひんな。合図は教えとってん」
「だ、誰か来るんですか?」
ドーベルマンを連れた老執事が出てきても、不思議じゃないどころか期待通りってくらいですよ、叔父さん。
「最初やし、管理人と挨拶せんとあかんやろ?せやから昨夜電話で合図決めとってんけど…ま、とりあえず荷物をだそか」
「そ、そーですね…」
嫌に冷静な叔父さんとワゴンの後ろに回り、荷物をあれこれと引っ張り出す。荷物の主な構成物質は衣類と本と本。そして本。家電やら家具やらはあとから宅配便で届くことになっている。
「さすがに作家先生ともなると、本が多いなぁ」
「それ、積み込むときも言ってましたって」
「ほーか?まあ、ええやん。減るもんでもなしに」
「天ぷらするにしても間が長すぎです」
「はは、亘君は厳しいなぁ」
「天ぷらするのに間が必要なんですかっ?」
「そりゃそうや。ボクの好みはやっぱりこう、短い間でパンパンパーンとやね…」
「俺は少し間をずらして、今かい!てのがいいですね」
「天ぷらよく作るけど、そんなに奥が深かったんだー!」
「いや食べる方じゃないから!」
俺の横でボケたので反射的に右手が動いて、額をズビシと叩こうとしたら、裏拳ならぬ裏手の平が空を切った。あれ?叔父さん縮んだ?
「はは、さっそく仲ようやってるみたいで、安心したわ」
後ろから叔父さんの声がして振り返る。
叔父さんは、重いはずの本が詰まったダンボールを軽々と抱えていた。
視線を俺の右脇に戻す。
お、頭のさきっちょ発見。
というわけで、視線を下にうつす。
「こんにちわっ!」
炸裂するようなスマイルがそこにあった。
「こ、こんにちは…」
間近にいるのに大きな声で挨拶されて、ちょっと後退り。
俺の横にいたボケ担当は、ショートボブの茶髪頭に兎のマスコットがついた黒いカチューシャをつけた、あえて一言で形容するなら、ふにふにとした女の子だった。睫毛はこれでもかと長く、目はビックリするくらい大きい。あくまで人間としての範囲でね?小柄な身体もあいまって、人形のような印象を受ける。ただし、とびきり元気な人形。
そしてそのとびきり元気な女の子は、開襟シャツに赤いネクタイを締め、プリーツスカート姿。中学生か高校生か。身長のおかげで、そのあたりの判別をつけるのが非常に難しい。
「手伝いますよーっ」
そう言って、女の子が足元にあったダンボールにしがみついた。
うん、そのダンボール、小さいけど文庫が八十冊くらい入ってるから、わりと重いんだよね。
「ん、んんんんん~~っ!」
女の子はぷるぷる震えはじめた。
「あ、ほら、俺の荷物重いし。ていうか初対面の人に手伝ってもらうのも難だし、頑張らなくていいよ?顔、真っ赤になってるし」
「て・つ・だ・い・ま・す・うぅ~!」
そう言っても、俺の愛読書が詰まったダンボールは巨岩のようにびくともしない。いやあ、そろそろこの子の血管が一本くらい切れるんじゃないだろうか。
「それ実は先端だけで、地面の下に五メートルくらいめりこんでるんだよ」
「ええーっ!?そうなんですかっ!?」
口から出任せを言ったら、踏ん張ったまま口をひし形にしてこっちを向いた。効果音をつけるなら、ガビーン!てとこですか。
うん、この子可愛いわ。
「だから無理に手伝わなくていいって」
「え~っ…でも手伝いたいんです!管理人的に!」
ぐっ、と小さな握り拳をつくってみせて、女の子は燃える瞳で答えた。そしてすぐにダンボールという異次元物質との格闘戦を再開する。
ん?いまこの子なんて言った?
はたと気がついて、再び後ろを振り返る。
「うん、この子が管理人や」
叔父さんが何でもないように頷いた。
まじまじと脇に立つ女の子を見る。
「うよ?」
ぱちくりと瞬きで応えてくれた。
「この子が?」
「そや」
もう一度さらに見る。
「に、にへへ…」
笑うとふにゃーってなるなぁ…思わず顔がにやけるのを慌てて直して向き直り。
「いや、この子、子供でしょ」
下手すりゃ中学生かも知れないし。
「それ言うたら、亘君も子供やん」
「住人と管理人を比べてどうするんですか」
じっとりと叔父さんを睨んでみたけど、叔父さんは何処吹く風で、重いダンボールをまた一つ車から降ろす。
「あ、あ、ボク、十九歳ですっ!」
「同い年かぁ」
とてもそうは見えませんよ。そのまま外見が変わらずに、年を取っていきそうな気配すらある。そしたら妖怪ロリっ子と呼んでやろう。
「そーなんです。池田さんと同い年なんですよー!」
「十九ったらまだ保護者が必要な年齢だろうが!ていうか何で制服みたいな格好してるんだっ」
ぺちん!
「へぷっ!」
と、俺の手が軽やかな音を立てて、管理人らしき女の子の額にツッコミを入れた。
イカン。初対面なうえにまだ名前も知らないヤツを相手に、何をいきなりつっこんでいるんだ俺は。
「ってゴメン!つい漫才みたいなノリで叩いちゃって…痛かった?」
しゃがみ込んで、叩いてしまったオデコを覗くと、女の子は大きな目をぱちくりと瞬かせた。
「あはっ、だいじょぶ!ボク、こう見えても頑丈なんですよっ!」
女の子は、にぱっ!と笑みを炸裂させたが、俺はじっとりとその笑みを見つめた。
「いや、そういう問題じゃないし」
「うよ?」
そう言って、管理人だという女の子は首を傾げる。
「あ、こういう服装は好きで着てるんですよっ!ちなみに高校の制服はセーラー服だったのです!」
にぱっ!と辺りの照度が二段階くらい上がるような笑みで、管理人らしき子はそんなことを言う。
うーん…何だか頭が痛くなってきたな。頭痛薬は確かシザーケースに入れていたな、と腰に吊るしたそれを手でまさぐる。
「ほれ、亘君。これで荷物は最後やで」
そう言われて、叔父さんの方へと振り返ると、叔父さんが木刀を放ってよこした。
「っと、叔父さん、剣道家が木刀をそんな風に投げないでくださいよ」
叔父さんは巨大な恵比寿様にして、剣道家なのだ。というか、俺の親父も母親も剣道家で、ついでにブラコンの妹も剣道をやっていて…要するに我が家は剣道一家だったりする。
「はっはっ、ボクは弟ほど真面目やないから。さ、後は荷物を部屋に入れるだけや。ちゃちゃっとやってまお」
そう言って、叔父さんは山積みになったダンボール(主成分は本)をバシバシと叩いた。
「そういえば、俺の部屋ってどこだろ…」
考えてみれば、間取りもなにも知らないんだった。我ながら冒険心溢れる引越しと言えなくもない。
「池田さんのお部屋は、一階の一番奥、窓は南向きのステキなお部屋ですっ!」
ズビシ!とその部屋があるであろう方向を指差す。いや、遠すぎてよくわかりません。正直なところ。
「げ、元気いっぱいだね」
「はいっ!よく皆さんにもそう言われますっ!」
ふたたび、にぱっ!と会心の笑顔で返される。こうも素直というか、さっぱりと切り返されると、それはそれで困る。
「ま、まあ、とりあえず荷物は俺と叔父さんで運ぶから…君には重すぎだろ?」
「そんなことは~……うー…」
うーと唸って、ふたたびダンボールと格闘を始める管理人さん。いやあ、万が一持ち上げられたとしても、絶対途中で落とすでしょ。
俺がどう言って諦めさせようかと思案している間も、管理人さんはウンウンと唸っている。
「そうだっ!」
と思ったら、やおら立ち上がって、手をパシンとひとつ叩く。見えないはずなのに、頭上で電球が光る様が見えました。
「倉庫に台車があったはずなのです!あれを使えば、荷物運びもらくちんですよっ」
そして、ズビシ!と人差し指をたてて、自信満々の笑顔になる。
「お、それは確かにあると助かるかも」
むしろそういう道具を持ってこなかった方が不思議だ。まあ、実家を出るときは、家族総出で手伝ってくれたからなぁ…うっかりだ。
「それじゃあ、いますぐ持ってきますから、待っててくださいねっ!?」
「う、うん。転ばないように気をつけてね?」
「だいじょぶですよーっ!」
炸裂スマイルを残して、女の子はパタパタと駆けていった。
……絶対コケると思うんだよなぁ…キャラ的に。こう、ずべしゃーっと勢い良くね?
「おい、お前、ここで何やってんだ」
「ん?」
などと管理人さんの後姿を見送っていたら、何処からともなく声をかけられた。意思が強そうなというか、勝気そうというか…そんな女の子の声。
「おいこら!オレの質問に答えろ!」
声はすれども、姿は見えず。
まさかまたちびっ子か?とりあえず視線を下方修正して、ふたたび周囲をチェック。
「あ、いた」
明るい金髪が腰まで届くほど長く…というとエライ美人さんを想像してしまうだろうけど、そこは身長百五十センチサイズ。言うなれば美人の卵、とどのつまり形容するなら可愛いわけだ。
釣り目がちな目は青く、西洋人のようだけど、顔立ちはほぼ東洋人のそれ。恐らくダブルなんだろう。ハーフっていうと“半分”ていう意味になるから、海外じゃ差別用語にされているらしい。つまり“混血”というのも適した表現ではないわけだ。だから何って話だけど。
さて、そのダブルな子は、デニムのツナギにコットンシャツと、ラフな格好もあいまって、どう見ても中学生か、もの凄く、鼻血が出るくらい頑張っても、高校一年生くらいにしか見えない。
それにしても、さっきの子よりさらに小さい。ひょっとしてここは小人の国か?しかしこの子はやたらと口が悪い。活字だけだと、男の俺と区別がつかないじゃないか。
「何処に目ぇつけてんだこのボケ!」
金髪の子は下からすくい上げるように睨みを利かせる。
訂正しよう。目つき悪いです。この子。
「おいこら、お前、いまオレのことちっさいって思っただろ?」
「いや、そんなことはないよ?…たぶん」
「たぶんって何だボケェーッ!」
何かブチン!とかいう音が聞こえそうな形相で、金髪の子がそう叫ぶのと同時に、ソレが飛んできた。
「しまったつい本音がっ!?」
反射的に身体を仰け反らせてソレを避けたけど、さらに一歩退いて、金髪の子がフォロースルーに入っている姿で、ソレが何かわかった。
ローリングソバット。
もしくは跳び後ろ回し蹴り。
数ある蹴り技の中でもその華麗さにおいては郡を抜い「うおっあぶねっ!?」
飛びざまの突きが飛来して、ふたたび咄嗟に避ける。
「チッ、二度も避けるたぁ、お前プロだな!?」
そう吐き捨てながら、突きの終わり際、隙ができるべき瞬間に空中で身体を捻り、裏拳、膝、水平チョップと手足が飛んでくる。この子、人間台風ですか?
「素人だったら一撃なのかよっ!」
俺はさらに飛び退り、間合いを取ると、金髪の子の前方宙返りからの踵落しが、雷光のような速度で地面にめり込み――
バガンッ!
――という工事現場でも聞けなさそうな破砕音を立てて、地面をえぐった。
「ちょっ、それ死ぬ!?」
というか地面がえぐれるとか、どんだけのエネルギーがその足にこめられてたんですか。ていうか貴女人間ですか。工事現場でバイトしたら喜ばれるんじゃないですか。
「お前、その手に持ってるのは飾りか!?避けてばかりいないで、かかってこい!」
金髪の子がびしぃっ!と、俺が手に持つ木刀を指差した。
「いやそんな無茶な!どこをどうやったら地面抉るような猛者と戦えるんだよ!」
「男の癖にごちゃごちゃとうるさい!」
ズバッ!という風切り音とともに、金髪の子の拳が突き出され、俺は大慌てで避ける。当たったら即死確定だよ畜生。
「うよ?」
「おお、香奈美ちゃん。なんかエライことになってんけど、ボク止めた方がええかな?」
いや叔父さん、冷静に観戦してないで止めてくださいお願いしますじゃないと俺死んじゃいます。
「う~…お願いしちゃいますっ!美羽さんがああなると、玉代さんでも来ないと誰も止められないんですよっ」
ああ、そんな長台詞はやめてくれ。その間ずーっと避けてる俺の身にもなってくれ。そろそろ限界が…
「とは言っても、あそこまで密着しとると、どうにも手が出し難…あ、」
ズバーン!と、およそ人が人を殴打した時に鳴ってはいけないような鈍い音とともに、俺の顎に金髪の子の回し蹴りがクリーンヒットした。
――何?俺、ひょっとして巻き込まれ型?
という思考を最後に、俺の意識は闇の中。
頭がぐわんぐわんする。
やや気持ちが悪い。
ついでに顎が痛い。
目が覚めて思ったこと、以上三点。
「うよ?目が覚めましたかっ!?」
ぱちり、と目を明けると、超至近距離に管理人さんの顔が。大きな目がさらに大きく見える。その距離ヤバイよ、あともう少しで皮膚や粘膜が接触しますよ。
「うおぉっ!?」
身体は後退ろうとしたが、布団に寝かされていた俺は、びくぅ!と反応して、枕に頭をめりこませるのがせいぜい。
「だいじょぶですか?痛いとこないですかっ!?」
管理人さんが顔をぐぐーっと近づけてくる。
「いやその前に顔!」
俺は思わず管理人さんの顔をぐぐーっと押しのけようとする。しかし管理人さんはそれに構わずさらに顔を近づけようとしながら、
「あらまはいはいんれふはっ!?い、いいいいまおひははんほ!?」
いや、口に手がひっかかっちゃったのは悪いけど、何言ってるのかサッパリ分かりません。
「日本語になってないっていうか、とりあえず離れよう!お互いにまだ一定の距離が必要だと思うんだッ!あとは心の準備くらいさせて!?」
俺の言葉に、ようやく管理人さんがゆっくりと身体を離して、じーっと俺を見つめる。
「それだけ元気があればだいじょぶそうですねっ!あ、そーだ!おなか空きません?いま何か持ってきますねっ」
そう言って、管理人さんはひらりとプリーツスカートをひらめかせ、ぱたぱたと部屋を後にする。
……本当にあれ、私服なんだ。
いや、それよりも何よりも、質問の答えを待たずに行動しないで。腹は減ってますが。
何なんだ、現状がまったく把握できない。そもそもいま何時だ?そう思って、ジーンズの尻に入れてある携帯電話を取り出す。
「げ、もう二十時じゃんか」
確か目的地に到着したのが昼過ぎで…軽く六時間は寝ていたのか。
寝ていた?何で?
額に指をあてて、思い出そうと努力してみる。
「あ、なるほど…」
金髪の子の足が絶妙な角度と壮絶な勢いで、俺の顎にめり込んだんだった。
道理で顎が痛くて気持ち悪くて頭が痛いわけだ。
納得したところで、周りを見渡してみる。
横になっていたのは布団ではなく、ベッド。しかもやたら古風な造りのもので、アンティークショップなんかに置いていそうな…すんません、そんな小洒落た店に入ったことないんで分かりません。イメージだけ伝わればいいなって思いました。
そんなベッドに始まり、ベッド脇の小さな棚、その上に鎮座するランプ、タンス、テーブルセット、天井に吊るされた明かり、部屋のすべてが高級ホテルさながら。一言でまとめると様式美?部屋の隅に詰まれたダンボールと袋に入れられた木刀だけが、唯一現実感を持っている。
「何だこの肩の凝りそうな部屋は…」
自慢じゃないが、神戸の我が家は純和風で、西洋テイストがあるのは風呂とトイレとキッチンくらいだ。ここまで洋風な部屋にいると、尻のあたりがざわざわしてくる。
やたらと分厚いベージュのカーテンをひらりとめくると、これまたグルグルとした曲線を主体に組み立てられた窓枠様がその神々しいお姿を…
「何じゃこりゃあーーーーーーーーーッ!」
思わずその窓を押し開いて、外に向かって絶叫。
うん、ちょっとスッキリ。頭に響いたけど。
なんて一人で満足していると、扉の向こうでドタバタと慌しい足音が聞こえた。
そしてバン!というよりズバーン!という音を立てて、トレイを手にした管理人さんが入ってくる。ドア壊れますよ?
「だだだだだいじょぶですかっ!?お腹から血が出てきちゃいましたかっ!?死んだらダメですよっ!」
いや、このネタに反応するとは、あんた強いね。同い年だけどさ。
「いや、流石に死んだりはしない」
俺が真顔で切り返すと、管理人さんは「あはっそーですよね?」と苦笑した。うーん、そこは一つ、コケて欲しかった。
「これ、夕飯で作ったんですけど、よかったら食べてくださいっ!」
と、管理人さんはトレイをベッド脇の棚に置いた。トレイの上には、パンが二つにビーフシチュー、生ハムの添えられたポテトサラダ、さらにはトマトソースの煮魚。その脇には紅茶と……何処のレストランですかここは。
「あ、はは…ありがたく頂戴します」
家が和風なだけあって、洋食というのにはあまり縁がないんだけど、というか素直に苦手だったりするんだけど…出されたからには食べないとね。
ひょいぱくと魚に手をつけ、サラダやらシチューへ。生まれてから十九年、給食以外で食べたことのないパンを口に放り込んで。
「……うま」
勝手なイメージだけど、洋食というとどうしても味が濃かったり、脂っぽかったりという風に思っていたけど、そんなことはまったくない。味はしつこくなく、サラダにかかった油もさっぱりとしている。
「美味しいですかっ!?」
管理人さんが期待に目をキラキラと輝かせて、ぐいーんとズームアップしてくる。
「あまり洋食食べたことないけど、かなり美味いと思うよ」
「うよ?食べたことないんですか?」
俺の言葉に、管理人さんが目を瞬かせた。
「あまり、ね。うちって和風な家だから」
そう言って苦笑する。管理人さんは「ほえー」なんて漏らして、俺が料理を食べるのをじーっと見ている。
「ところで管理人さん、叔父は…」
じっと見られていると恥かしいので、何か話しをしようと、ふと気が付いたことを口にした。
「荷物を運び終わってしばらくして、『まー、骨に異常はないし、亘君、アホみたいに打たれ強いから大丈夫やろ。何かあったら病院にでも入れといて』と仰って、さっくりと帰られました!」
満面の笑みで、とても元気に答えてくれた。ああ、この子いい子だよ。絶滅危惧種に指定したいくらいだよ。
「…さいですか」
まあ、あの叔父さんならそんなもんだよなあ。なんて思いつつ、「ていうか、あの金髪の子、何だったんだろ…」なんて思わず独り言のように呟いた。
「美羽さんですか?美羽さんはうちの住人さんですよっ」
今、なんと?
「あっ!自己紹介がまだでしたっ!ボクは千石荘の管理人をやってる、千石香奈美っていいます!」
あの人間を超越した一撃を繰り出す子が、ここの住人…?
「え、と…」
ニコニコと満足気な千石さん。
「い、池田亘です。よろしくお願いします」
と、とりあえず自己紹介を返して、下げた頭を上げきる前にぼそりと。
「…あの金髪の子もここの人なの?」
「そうですよっ」
間髪入れずに即答された。
色々と前途が危ぶまれる。ひょっとして、実家よりもここの方が賑やかなんじゃないのか…?
「本当は夕飯のときに皆さんにご紹介しようと思ったんですけど、それは明日の朝にとっておきましょう!」
千石さんは両手を組んで、ウキウキソワソワとさも楽しげだ。
「何はともあれ、千石荘へようこそ!」
ゲームかなんかだと、ここでオープニングのアニメーションとかが入るんだろうなぁ。