僕のつぶやきと彼女の結論。
『だから、――さんのそういう考え方が、斜に構えてる感じなのよ』
『そうかな。まあ自分がペシミストだっていう自覚はあるけどね。だからこそ何の根拠もなしに楽観的でいられる君のような人が苛立たしい』
『それは、私と話すのが苛立たしいってこと?』
照明をほのかに落とした部屋の中、青く光るパソコン画面から顔を上げる。
「そうじゃないから、逆に楽しいから、困っているんだよ」
ひとりごちて、再び画面に目を落とすと、彼女にしては弱々しい語調のレスポンスがついていた。
『もし、もしそうなら、これから話しかけるのは控えるから言って。言いづらいかもしれないけど』
数か月前から始めたソーシャルネットワークサイト。水色の鳥がトレードマークのそれは、ネット上で発信した140字程度の「つぶやき」が誰とでも共有できるというものだ。大学院での研究報告を共有するのに無理やり登録させられたようなものだが、今では雑談用に作った二つ目のアカウントにアクセスしている時間のほうが何倍も長い。
そのきっかけは彼女――アイコンも初期設定の卵の画像のまま、140字制限ぎりぎりの長文弁論を垂れ流していた僕のアカウントに興味を示してくれた、画面の向こうのとある女の子との出会いだった。
彼女は、自分の顔写真を加工したアイコンを使用していて、SNS上の知り合いも多いようだった。そのような社交的な人物が、どうして自己満足のためだけのつぶやきを続けていた僕を目にとめたのかは分からない。最初はただの気まぐれだったのかもしれないし、むしゃくしゃしていて、誰か偏屈な相手に当たりたい気分だったのかもしれない。
うん、それは大いにあり得る。ストレス発散をするに当たっては、あとくされない(つまり現実には会うことも話すこともない)、自分とは真逆の考えと価値観の人物に、自分の考えと価値観を知らしめることが効果的だからだ。
たぶんそこまで深くは考えていなくても、「気にくわないやつに文句を言って溜飲をさげたい」という気持ちは誰もが持ったことがあるのではないか。
僕はいつも政府だとか、社会だとか、日本人だとか、外国人に対しての否定的なつぶやきばかりをつぶやいていた。自分の中の考えを整理するためにやっていたら、自然と否定的なつぶやきばかりになっていた、というほうが正しいだろう。なにしろペシミストだから。
そんなつぶやきにつっかかってきたのが彼女だった。
ある日突然、フォロー0人、フォロワー0人だった僕のアカウントに初めてレスポンスがついた。
そのつぶやきは今でも覚えている。秋葉原の事件などを例に出して、日本人の事故現場における異様さと、海外におけるその反応について説いたものだった。
つまり簡単に言うと、日本人は人が倒れたり怪我をしていたりしても、携帯で写真を撮るばかりで誰も手を貸そうとしない、その画像が海外のネットで物議を醸している、という内容だ。
彼女はそんな僕のつぶやきに、主観と勢いだけで反論してきた、なんというか、イノシシのようなイメージの人物だった。
『そんなことないと思います。――さんの考えや、その考えを出すにあたって参考にした資料には偏りがあると思います』
それに関しての僕の返答は短く一言。
『どうしてそう思う?』
僕の口調に安心したのか、むっとしたのかは分からないが、次のレスポンスからは彼女の口調もくだけたものになっていた。
『だって実際にそうだから。私はよく人前や雑踏で倒れることがあるけれど、放置されたことなんて一度もないよ。写真を撮られたことも、そういうときは周りを見ている余裕はないから断言できないけれど、たぶんないと思う。――さんも自分が倒れてみたら分かるんじゃない』
よく人前で倒れるとは一体どういったことなのか。しかもこちらに人前で病気や事故になることを勧めてくるとは!
僕はこの荒唐無稽な人物に、なぜだかそのとき不思議な好意を抱いていることに気付いた。自分の周りには絶対にいない人物だから? ただこういう人間を論破するのが楽しそうだと思ったから? そのときのあの感情を説明しようと思っても、今の僕には分からない。
関わったら、絶対面倒なことになりそうなのに。時間の無駄は一番嫌いなことなのに。そもそも人と慣れ合うためにこのアカウントを作ったわけじゃないのに――。
言い訳はいくらでも頭の中をぐるぐる回るのに、僕の指がパソコンのキーを叩くほうが早かった。
『おもしろい。君の考え、もう少し詳しく聞かせてくれないか?』
それから僕と彼女のやりとりが始まった。僕が発信したつぶやきに、彼女がのっかってくるというパターンで、飽きもせずに毎日毎日。
テーブルに置いておいたコーヒーに口をつけると冷めていた。ため息をつきながら、シンクにコーヒーを流しに行く。
シンクに小さな水たまりを作ってから流されていくコーヒー色の液体を見ながら考える。このへんが潮時、なのかもしれないな。
フォロー1人、フォロワー1人、つぶやきは二桁から四桁になった僕のアカウント。
いつの間にか、殺風景なワンルームの部屋に帰るのが苦痛ではなくなっていた。ただの電子機器だと思っていたパソコンが、誰かと誰かをつなぐ見えない糸なのだと知った。
だけどそれは、僕の望んだ変化じゃない。
たったこれだけの長さの文を打つのに十分以上時間がかかったのは初めてだった。『なんてね、冗談だよ』と打ちそうになる指を抑えて、なるべくそっけなく響くように文を打った。
『そういうわけではない。君と話すことは楽しかった。でももう、こういったやり取りは終わりにしよう。……実は修士論文に手こずっているんだ。しばらくこちらでつぶやく余力はなさそうだ。来年か、もしくは来年度、君が覚えていたらまたここで会おう。それじゃ』
一時間たっても彼女からの返事はなかったので、僕は大学の研究室に向かった。日曜日だけどやることはたくさんある。修士論文に忙しいことは嘘じゃなかった。
でも僕は、ただ怖かったのだ。彼女に対しての興味と好意が、だんだんと変化していくことが。異性に対してのそれを、一般的に何と呼ぶのかは知っている。それは僕の辞書にはない単語だったから。
――「恋」とか、「恋愛」なんて、したことがなかったから。
乗り込んだ電車はすいていた。平日の朝は「座れることが売り」のこの私鉄でさえぎゅうぎゅう詰めになるから、なんだか得した気持ちになる。
横長の窓ガラスから斜めに差し込む陽射し。陽をうけてぽかぽかとあたたまる深緑色の座席。さっきまでの憂鬱な気分は眠気と共にだんだんと遠のき、抵抗むなしく僕のまぶたは完全にとじた。
――と思った、そのとき。
声にならないざわめきが波紋のように端の座席から広がり、僕は目を開けた。
乗客はみな一様に同じ方向を見ている。車両の一番端、優先席の人物を。
その人物は座席から落ち、仰向けで、海老反りをするかのように身体をびくんびくんと跳ねさせていた。
なんだ? なにかのパフォーマンスか? と眠気のまわった頭で一瞬考えたあと、血の気が引いた。パフォーマンスなんかじゃない。これはなにかの発作で、痙攣だ。つまりこの人物は急病人だと。
僕と時を同じくして、周りの乗客もそのことに気付いたようだった。みな無言で目配せしあったあと、優先席に最も席の近かった、僕を含む六名がおもむろに立ち上がった。
そこからの行動は迅速だった。気道を確保し、声かけをする女性。駅につくとすぐさま手を振って車掌に合図をする男性。
みな普通の一般市民だろうに、この行動はなんだ。あの女性は実は看護師だとか? 男は実はレスキュー隊員だとか? この街には、僕が知らないだけでたくさんの救急隊員が一般市民のふりをして暮らしているのか?
――そんなわけがない。こんな状況になったら、みんな相手を助けようと、自分にできることを精一杯やるはずだ。
僕は誰も携帯を取り出していないのを確認すると、119番に電話をかけていた。
「……はい。電車の中で急病人が――あ、はい。今は〇〇駅です。倒れて痙攣して……少し泡も吐いているようです。はい。倒れたのはついさっきです。ええと……十代後半から二十代くらいの女性のようですね」
自分が直面している現実のはずが、どこかふわふわした、映画のワンシーンを客席から見ているような妙な非現実感があった。
そして気付いた。携帯を持つ手が震えていたことに。
ああ、いくら自分は知ったふうな口をきいても、自分で現実に直面しないことには、そのときの二酸化炭素が飽和したような空気感も、体温も下がることも、汗がひくことも、何も分からない。
経験していないことでいくらペシミスト、リアリストを気取っても、それは楽観的な彼女となにも変わらない。攻撃性がないぶん楽観主義者のほうがマシなくらいだ。
僕はそんな単純なことに、やっと今気付いた。彼女はもしかして、こういうことをずっとずっと、伝えようとしてくれていたかもしれないのに。
今彼女ともう一度話せたら。「君の言うとおりだったよ」と伝えたい。
僕と数人の男性が協力して、女性の肩と足を持ってホームに運びだした。すぐに駆け寄ってくる車掌と駅長。僕は救急に電話をしたことから、自然と説明係になっており、この二人に病人の車内での様子と、救急車がまもなく到着することを伝えた。
「今は痙攣はおさまっているみたいですけど、さっきまでは激しくて……」
運び出すときに足側を持った僕が照れずにいられたのは、急病人の女性がボーイッシュなパンツルックをしていてくれたからだ。ボーイフレンドタイプのだぼっとしたジーパンにスニーカー。ぴったりめのトレーナーとサスペンダー。ベレー帽と、べっこう縁の大きな眼鏡。個性的な格好ではあるけれど、色合わせが凝っていて、なかなかこの女性はおしゃれな人物なのだと分かった。顔のほうは、目を閉じているせいでよく分からないけれど。
「大学生くらいかねえ? うちの姪っ子もそのくらいなんだよなあ」
駅長が、なにか胸にくるものがあったのか、「はあー」と声に出してため息をついた。
「そうなんですか」
「姪っ子はてんかんの発作もちでね。駅の階段で発作を起こしてそのまま落ちて、頭打って何日も意識不明になったことがあるんだよ。この子も、てんかんの発作かねえ。なんにせよ、倒れたのが電車内で本当に良かったよ」
電車はもう、僕と病人の女性を取り残して出発してしまっていた。一時の奇妙な連帯感を感じたあの乗客たちとは、きっとまた同じ電車ですれ違うこともあるだろう。でもきっと誰も相手の顔なんて覚えていないから気付かない。ただ、今日感じたこの気持ちだけは、心のどこかに持ったまま生きていくんだ。
「経験する」というのはそういうこと。「共有する」のと同じこと。「経験」していないのに相手を論破することだけを考えていた僕は、彼女と「共有すること」を拒絶していたのと同じだったんだ。
「……そのとき、助けてくれた人はいなかったんですか?」
「いたよ。ちょうど階段で姪っ子の隣を歩いていた女の子が、姪っ子の腕をとってくれたんだそうだ。一緒に落ちて、その子のほうも怪我をすることになってしまったけれどね」
「そうですか。変なこと聞いてすみません」
「いや。姪っ子はいろんなところで迷惑をかけているから……。でもそのたび私に言ってくるんだよ、おじさん、人は本当にやさしいね、ってさ……」
駅長が目頭を熱くさせ、制服の袖でぐいっとぬぐったところで、今まで意識をなくしていた女性がぱちりと目をあけた。
「あ」
僕は思わず、声を出してしまった。
彼女は、彼女の顔は、僕がネット上で毎日会話をしていた「彼女」のアイコンと一緒だったからだ。
彼女はきょとんとしたあと、もつれる舌で言葉を紡ぎだした。
「……やっ、ぱり、わたしの、言ったとおりだった、でしょ?」
そして満足げに微笑んだのだった。
「私は気付いていたんだから、最初から。ペシミストのあなたが実はいちばん優しいんだって」
彼女は、つぶやきとまったく同じ口調で僕につっかかってくる。文章ではなく、耳に優しい、意外と女性らしい声で。いまだにそのことが信じられず、でもなんだかこうして会話しているのが初対面とは思えないほど自然だから、柄にもなくロマンチックなことを考えてしまう。
「そんな馬鹿な」
「でも当たっていた。私は何度も発作で倒れているけれど、救急車までつきそってくれた人、初めてだもの」
「それは、行きがかり上……!」
目に涙をいっぱいためて、「ここでお別れしたくない、お願いついてきて」とのたまったのはどこの誰だ。目の前にいるあんただ。
「諦めてあなた、私と付き合いなさい」
ちょっと待て。それは文法的におかしい。というかいろいろとおかしい。まず一番おかしいのがこの状況である。
「あのさ、とりあえずそういうことは、救急車じゃない場所で、さらにいうと救急隊員がいない場所で言ってくれると嬉しい」
彼女がはっとして、事の成り行きを口をはさまず見守ってくれていた救急隊員のほうを向いた。
救急隊員は顔を逸らせて耳をふさいで、
「見ていません、聞いていませんからどうぞ続きを!」
どうぞ続きをと言われても。
「ね。やっぱり人ってぜんぜん捨てたもんじゃないでしょ」
彼女はそう言って、今日二度目の、満足げな笑みを見せた。
『信じられないことかもしれないけれど、これは僕が体験した実際の出来事だ。彼女との出会いは、実にささいなありふれたものだったけれど、彼女との約一時間の別れと再会、そこから交際に至るまでの顛末は、このSNS上の神様がもたらした運命なのかもしれない。なんて、ペシミストからロマンチストになった僕が初めてつぶやいてみる。』