はなちらず
家人にはほおっておいてくれと釘を刺し、酒を片手に庭池を渡す石橋まで這いずってゆくと、高津は桜吹雪の空の下、切子に清酒を満たしてぐいと一献傾けた。池の上には花びらが、波に揺られて行ったり来たりしている。
「ああ、儚いものだなぁ」
杯を掲げて舞い落ちる花びらを掬い、酒を再び傾ける。
同郷の金子がアッツ島で玉砕したと聞いたのは前の年の春の頃だった。高津は別の戦地で両足を失い、帰国したが魂だけは金子と共にあり、勝つまで帰らぬと誓っていた。
しかし、アッツ島守備隊は壊滅させられ、続いて同年内に要の四島も玉砕、年が明けても戦局に僅かな光明すら見いだせず、誰もが口を開けば己の玉砕の日はいつかといった有様だった。
杯の中の花弁が清酒の中で泳いだ、この酒は金子が戻った際に共に飲もうと、高津が大事隠し置き、取っておいたものだ。食品や物資は戦局とたがわず、どこもかしくも不足している。一日一食ですらままならない。それでも高津は酒を売らなかった。
「桜は散り際が一頭抜きん出て美しい。俺はお前との約束を果たすために今日まで生きてきた。金子よ、お前は立派に散ったというのに、俺は恥さらしも良いところだ、己の身を切る心魂も座っておらん。だから、俺を連れていってくれ、あの世で一献頼む」
無い足で石の上を這いずり、池にその身を落とす。水しぶきが音と共に飛び跳ねた。
さあ早く、連れていってくれと望む高津が、一向に息が苦しくならない事に気がつき眼を開けると、その身が桜の花で埋もれていた。吹き上がる桜が高津を包み、巻き上がってはらりと舞い落ちる。
茫然と空を見上げていたら、高津の頬を雨が打った、高津は未だ石橋の上で座っていた。何故だともらし、側らの瓶を傾けても酒は出ない。
覗き見ると酒の代わりに桜の花びらが詰まっており、傾けたことで干し芋の小さな欠片が顔を見せた。
それは金子の好物だったと思い出し、幼い頃分け合って食べたことを思い出した高津は雨がその目に映らなくなるほど泣いた。




