ほたるび
蛍を見に行こう、思いつきではあるけれどそう計画し、親には内緒で二人とも家を抜け出し、章は壱也と清流の小川に向かった。切っ掛けは壱也のお祖父さんが昔からそこには蛍が沢山いたんだと教えてくれたからだった。
雲ひとつなく絢爛な空が望める夜の道、体にまとわりつく湿気を振り払うように、二台の自転車が颯爽と走り抜けてゆく。
西に沈んだ太陽の、夏の日差しが空気に溶け込み、名残のように今だ暑さを残していた。電灯のダイナモがタイヤに噛む事で鳴る、ジジジという音が虫の合唱と重なり、奇妙な一体感を醸し出していた。
この坂を越えれば、小川が目に映る、二人の心は好奇心で逸っていた。
「蛍ってどんなんだろうな、章は見たことある?」
壱也に話しかけられて、章は息を切らせ、額の汗を拭いながら答えた。
「い、いっちゃん速すぎるよ。もう少しゆっくりにしてくれないと」
「お前が遅いんだって、相変わらず体力ねえなあ、お、あれって」
「何、ちょっと置いていかないでくれって」
壱也が何かを見つけたのか、腰を上げてペダルを漕ぎ、坂を駆け上がる。ゆっくりと走る章を置いて先に行ってしまった。
章は爆発しそうな肺に無理をかけて坂を登りきると壱也の背中を追い、更にその先を視線に捉える。
小川のすぐ近くの堤周辺には、電飾をばら撒いたような沢山の光がゆらゆらと空に浮かんで明滅していた。
坂を下ると火照った体を冷ますように水気を含んだ風が吹き上げてきた。章の心はそれとは逆に湧き上がっている。
「いっちゃん、酷いよ置いてくなんて」
「それよりもさ、凄いよな。蛍ってまだこんなにいるんだ」
クリスマスの電飾の明るさと違って、蛍の光は優しげだ。二人は自転車を堤脇に止めると時間を忘れて無言で蛍が踊るのを目にしていた。
気がつけば二人は背中から二つの強烈な光に照らされている。重苦しい音の後に、そこからひとりの男が顔を出した。
「壱! お前また章君誘って心配させて、さあ今すぐ帰るぞ」
壱也の両親だ、そう気がついて、章と壱也は焦って言い訳を始めた。
「違うんです、今回は僕が」
「章は黙ってろって。父ちゃん、ほら見てよ、凄いだろこの蛍」
「そうか、お前たち蛍を探しに来たのか。素直に言えば付き合ってやったのにな、でもなあ、暫く蛍はここらじゃ見かけないはずだぞ」
父親にそう言われ、二人は互いに目を合わせた。あれ程沢山の蛍がいたのだから。
「小川の上にダムができてから、見られなくなったんだ。さあ、こうしてても見つからんだろ、二人とも帰るぞ」
振り返るとあれ程賑やかだった光が全て消えていた。
本当に見たんだと言っても嘘をつくなと両親に怒られ、なんだか悔しくて、後日昼に訪れると、堤と小川の水はすっかり枯れていて、生き物の影はなかった。
けれど、二人はあの優しげな赤い光を忘れることはできず、次は必ず捕まえてやろうと堅く誓った。




