荒願掛け
禄朗は駆けた。枯れ枝を踏み折り、落ち葉を払いながら。急勾配の山中で迷い、方向を失っていた。木枝の隙間から里が見える、すぐに参道に出られそうなものだ、だが一向に光明はみつからない。行けども行けども落ち葉にまみれた森から抜けだせない。
里山の頂上には今すぐにでも崩れ落ちてしまいそうな、傾いだあばら家の姿を見る事ができる。大人達は荒屋と呼ぶ事すら憚られる木片の残骸を、神さんの家と呼んだ。かつては、祭事が行われていたのだという。
里からも近く、並抜けて高い山ではない。にも拘らず、今や完全にその道は廃れ、荒れ放題にされていた。村中に別の社が建てられたからだ。禄朗はいつからか、その神さんの家に行ってみたいと考えていた。
神さんに頼みたい願いがあった。村の神さんは願いを聞き入れてはくれはしなかった。だから、山上の本当の神さんならと信じて。
一年前の去りし日、禄朗の妹は肺病を患い、幼い命に幕を下した。禄朗が生まれてから両親は長年に渡り子を生す事が叶わず、禄朗が七つ歳になる頃にやっとできた妹だった。一入の喜びは、やがて暗い影と成り替わり、家に凝った。
禄朗はどうにかかつての暖かな家を取り戻したかった。そこで来る祭りの日、一人山を駆け、神さんの家へと向かった。
行きは簡単に辿りついた。火成岩を割り、荒々しく根を喰い込ませる木々を目印に、荒れた参道から残骸の姿を見通す事ができたからだ。
木板や柱の残骸に戸惑いながらも、禄朗は「神さんお願いじゃ、おらの妹帰しておくれ、おらはこの先、贅沢はいわね、我侭もこれっきりじゃ、お願いじゃ」と手を合わせ願う。
びゅうと風が吹き、振り向けばそこにはもう火成岩はなく、枯れ木の賑わう尾根と化していた。
禄朗は焦り、山を下る。額から玉のような汗が噴き出していた。どうあっても降りる事が許されない。
やがて日が傾き、遂には諦め尾根に登り、神さんの家へと戻る。そこには、真新しい社が何故か平然と建っていた。社の中から、おにい、おにい……と妹の声が聞こえた。妹が、妹が帰ってきた。
社に走り寄り「おらじゃ、おらじゃ」禄朗が声を張り上げると、社の木戸ががたりと外れ、中から何かが跳ね出て、着地と共に這いだすと、緑郎の足元に留まった。
それは真っ白な女の幼子で、口から血泡を噴きながら鬼居、鬼居と禄郎を責め立て、血涙を眼に溜め追い回した。
妹は三つになる頃に、家から小便にでたところ、禄朗が嫉妬から入れまいと閉め出して、それが元となり風邪をひき、肺病をこじらせるとやがて逝ってしまっていた。
やがて村中の社あと一歩のところで鬼の形相で事切れ、倒れ伏している禄郎の亡骸を村人が発見した。