妖精の庭
灰色の現実が遠のいて、シヨンは草木のトンネルの中にいた。
花の甘い香りが鼻腔をくすぐり、楽しい気持ちが沸き上がる。
風が吹けば七色の花粉が尾を引いて流れ、豊穣な蜜の在処をシヨンに知らせる。
我慢ができず全力で翔け、妖精達が遊び暮す花畑へと飛び込んだ。
シヨンは坂を駈けた。夕刻を告げる鐘がなる頃、貧民街にほど近い裏路地の錆び付いた門扉の向うに、美しい秘密の道が現れるのを知っていたからだ。
数分間程しか、覗くことのできない秘密の道は植物が蔓延る楽園のような世界だった。
数日前、暗い街を射抜くように指す夕日が奇跡的に反射して一点に集められるその場所を、シヨンは偶然発見した。
灰色の空を新緑の美しい蔦葉から、ぶどうやいちごなどの果物がたわわに実り、円状にどこまでも奥に続いている。
その重なりから抜けた光が薄く地面を照らし、窪みに溜まる水と細かな瑞々しい葉をエメラルドのよう輝かせ、彩っている。
あれは妖精の庭に通じているのかもしれない、シヨンはかつて母から聞いたおとぎ話を思い出していた。
僅かな間だけ現れる、妖精たちのお茶会が繰り広げられる美しい庭。
シヨンは紅潮する頬をそのままに、足を進めるべきかをずっと悩んでいた。目前の道は見える時間が徐々に狭まり始めていたからだ。
あと数日もすれば、道は閉ざされてしまうかもしれない。あの世界へと踏み出せば、貧困から助かるかもしれない。そんな思いがシヨンの胸の内を揺らしていた。
悲鳴を響かせる門扉を押し開き、決心して足を一歩踏み出す。
景色が溶け合って二重になり、元に戻る。
身が引き裂かれるような奇妙な感覚を残して、門扉の前に立ち尽くしていた。
シヨンは冷たく辛い現実からは逃れられないことを知った。
石のように厳い、矍鑠とした男が一人、暖炉の前で微睡んでいる。
高望みせず超現実的な人生を歩んだ彼は、生きていくのがやっとの生活を続け、他人からすれば面白みの無い人生を送っていた。
しかし、彼の心は満たされていた。眠りにつき、再び意識を取り戻すと、彼は百年の苦しみをも吹き飛ばすほどの幸福感に包まれるからだ。
理由は彼にはわからない、しかし、今でも何故か、少年の頃の奇妙な体験を忘れることはなかった。
なぜならば二つに分かれ、置いてきた少年の魂は今も妖精と共にあるからだ。




