揺蕩う海月
久方振りに海が見たくなって、私は海岸線に車を走らせた。
曇天で今にも雨の降りそうな空が私の心持ちを現しているようで憂鬱になる。
天候が原因なのか、人も車も疎らで、夏の賑やかさが嘘のようだ。
活気というものが消え失せていた。暫く薄く開けた窓から波音を聞きながら走り続けていると、砂浜に女の姿が映る。
灰色のワンピースに麦わら帽子、吹き荒れる風のためか、右手を頭に乗せ、荒れる海を眺めていた。私は路肩に車を止め、女の元へと向かった。楕円に曲がる海岸線の岸向うに伸びる灯台が、巻き上げられた砂に巻き込まれ、白くけぶって見えた。
私が女の隣に立ち、どうしたのですかと聞くと、女は海月を見ていたのです、と答えた。なるほど、波打ち際には何匹もの海月が打ち上げられている。女は誰に話すでもなく、昔、海月を飼っていたんです、と話し始めた。
「水槽に漂う海月を見ているといつでも自由に手が届く気がする、なんだか、重い悩みなんかも考えすぎなんじゃないかと思えるんです。
でも、彼はわかってくれなかったんです。こんなものに金をかける意味がわからないって。もっと身になるものに金を使えって。
それで彼、水槽に洗剤を入れて。泡の中でみんな死んでしまったの。だから私は、彼が寝ている間に洗剤を混ぜて、同じ目にあわせてあげようって」
女の話に寒気を感じた私が視線を外すと、打ち上げられた海月が青白い男の死体に変わっていた。
唇が乾く、横目に捉えていた女の麦わら帽子が透明の膜に、髪が触手へと変貌を遂げ、体は萎れてべしゃりと潰れた。
やがてそれは端から溶け始めると、白い泡を残して砂の中に吸い込まれるようにして消えた。
相変わらず、砂浜は静かなままだ。死んでいるかどうかもわからない海月が波に触れ、ゆらゆらと触手を蠢かせる。泡は波がさらっていった。
そういえばと、女の後ろには足跡がついていなかったと気がつく。さまよう自分は海月と同じ、だから妙なものを見る。
私は自分にそう納得させ、口に入り込む塩辛い砂を吐き出して、静かに海岸を離れた。




