てんぐかぜ
じめじめとした夏特有の暑さが、佐川を苦しめていた。こんな日に営業周りなど、そんな弱音を吐きそうになり、ハンカチで額の汗をひと拭きすると、太陽を横目に見てため息を一つついた。
フライパンの上でじりじりと焼かれているような気持ちだ、行き過ぎる車に無意味にクラクションを鳴らされ、苛立ちが一気に大きくなった。
「はあ、あほくさ。この仕事向いてへんのと違うやろか」
生暖かい風が吹き、不意に出た言葉をさらっていった。先に見える自販機に気がつき、佐野は足を進める。
営業車で寝そべり、ただ待っている先輩の顔が頭の中を横切り、つい舌打ちした。
「あいつ、ほんまになにもせえへん、一辺しばき倒したろか」
収まらない苛立ちが、暑さと相まって怒りを誘発し、血管が波打つのを感じていた。
どうにか自分の中の不快感を諌めようとして、脇にある小路を目にした佐川は、狭い板壁の間に体を滑り込ませ、ポケットから携帯用の灰皿とタバコを出した。
「やってられんわ」
火をつけようとライターを口元に寄せると、再び生暖かい風が吹いて、火を消してしまう。
何もかもが腹立たしく、板壁を一度殴ると、佐川は立ち上がって「なんとでもせえや」と叫んだ。
すると、風と共に生臭い水が飛来して、佐川の顔面を余すところなくべしゃりと汚し、次いで空にはしわがれ声で、「よしやよしや」の言葉の後に、大音量で高笑いが響く。
佐川がいくら首を回して両の眼を開いても、声はすれども姿は見えない。滑りのある液体はどうやら唾のようだ。
すっかり毒気を抜かれた佐川は、唖然としつつもこのままでは仕事にならないと、営業車に肩を落として帰ると、路肩に停められた車は引っ繰り返り、社の先輩が鼻血を出してもがいていた。
空いた窓から引っ張り出すと鼻を折られた彼は一言、「天狗が出た」と気の抜けた煤け声で答えた。




