獣渡り
春の雪解けで、緩んだ地表が支えていた岩が崩落し、道へと流れ込んでしまったために、それを片付けに私達は山へと登った。
程高くない里山の嶺には鉄塔が立ち、送電線が張られている、塔の周囲は土台が設置され、コンクリート材で固めてあるので問題はない。
そこから僅か下の岩壁が崩落し、道を埋めていた。私達はそれぞれ個々に、石を台車に乗せ、トラックに運び入れ、道路を占める岩石の破片を徐々に片付けていった。
昼時を迎えると、私は握り飯と水筒を手に現場を離れ、林の向うに顔を出す、ちょっとした斜面の草原に腰を下ろした。
すると間も無く、林の中から煙が登っているのに気がついた。
なんだ、火でもついているのかと慌てて煙の元へと向かうと、何が原因なのかわからないが、抉れた土の上に古木が倒れ、根が太陽を拝んでいた。
太い幹には瘤が膨れ上がり、その中に虚ができていて、幹の中央は半ばで折れて時間を経ているのか、変色をきして無残にささくればっている。
木の生命を支えていた、青い葉の付いた残る部分の枝も枯れかかっていた。良く見つめると、白い煙は穴の中から立っている。なんだこれはと倒れた古木の傍らに立ち、厚い樹皮でできた口をそっと覗き込む。
始めは白子に見えた。何か白く、柔らかなものが穴の奥で蠢いている、次第にそれが輪郭を帯びると、得体のしれないものとわかった。
白い獣たちが、うねっていた。尺がおかしいが、象牙のような角の鹿、白蝋のような艷めいた狐、絹のような肌の蛇、白筆のような尾の狸。
やけに体が柔らかく、組みつほぐれつ、小さな獣が生き生きと、穴の中で蠢いている。
淡い日の光に照らされて、獣一匹が細胞一つ、さながら蠕動を繰り返す巨木の内臓のようで、その動きは規則性を感じさせ、ひとつの意思で動いているようだ。
こちらの存在に気がついたのか、瞬間それらの目が開かれた。捉えた私を離さない、上へ下へと沈み浮かんでいるというのに、鮮やかな朱色が爛々と輝き、私の体を射竦める。
動物の感情などわからないはず、だのになぜか強烈な圧迫感、責める意思が感じられた。
まるで見るなと威圧されているようだ、次第に強くなる圧力に押され、腰が笑って膝をつくと、虚から湧いたひやりと冷たい風が、鳥獣の鳴き声と重なり破裂して、白い獣の集まりが穴から空へと飛び抜けた。
顔を押える暇さえなく、あっという間に散らばって、白い獣達が跳ね回り姿を消すと、古木は無残に散らばって、干からびたような腐りかけの木片のみが山なりに残るばかりだった。
獣が触れた頬に、伝うものを感じ拭うと、泥のような樹液が手の甲を濡らした。
顔色が悪いと察せられたが、見たものをそのまま信じられなかった私は、午後も黙して作業を続けた。
同僚に何があったのかは言わず、その日を無事終え、翌日同じ場に向かうと、再び崩落が起きていて、一帯の木が一日で枯死したようになり、倒れてしまっていた。
以来獣臭さが身にまとわりつき、枕元に白い獣が立つようになってしまった。
今でも泥が付いた頬にはきっちりと痣が残っている。