悪手喝采
喝采が始まる。
失敗した時、上司に苦言を呈された時、朝の電車に乗り遅れた時、必要なものを買い忘れた時。いつだったか、私が喝采を初めて耳にしたのは。
夢を追いかけて劇にひた走り親に勘当された時か、恋人に別れを告げられた時か、友人に罵られ殴った時か、もう覚えていない、いずれにしろ何か強烈な絶望感に抗いきれず、鬱いだ時だ。
折れかけた心、沈む気持ち、惨めな敗北感、重苦しい躰、それらを一挙に吹き飛ばす、盛大な喝采が私の体を震わせた。
舞台に初めて立ち、できる限りを表現し尽くし、やり遂げた後の浴びるような喝采。経験したものしか味わえない、心臓が波打ち、筋肉がほぐれ、魂が震えるあの喝采。
あの感動がどんな時でも支えになる。喝采は私の気持ちを奮い立たせた。
どんな絶望にあっても、心の底から吹き上げる喝采の激しさが私の気持ちを押し上げる。
だから私は平気になった。何を言われても、どんなに失敗を重ねても、付き合いの、仕事の誤りも、喝采があれば怖くない。
私は全力で駆け上がる、人生の階段を脇見もせずに、失敗が怖くない私には、どんなリスクもありはしない。
起業し上手く軌道に乗った仕事は、面白いように私にとって都合よく進んだ。今まで駆け引きが恐ろしく、拒んでいたあらゆる事への挑戦を、恐怖がなければ簡単に決意できる。
しかし、儲かって仕方がない、絵に描いたような好調が、一度の失敗で瞬時にして崩れさった。
勢いだけではどうにもならず、利益が減り始めるとマイナスまでは早いものだ。人生そんなに上手くは行かない、やはり運だけではどうにもならない。
それでも私には、喝采があった。失敗するたびに盛大に、激しさを増して行く喝采。
さざなみから夕立に、夕立から地鳴りに、地鳴りから雷音に、だから私は諦めない、金の切れ目が縁の切れ目、やがて人は離れ、今や私は孤独の人だ。
喝采を浴びても拭いきれない絶望が、これまでにない程の強大さで、私の心を底へと引いた。
足は自然とダムへと向かった、上からの眺めは絶景だ。
吹き上げる風が肩を揺らし、水紋が誘うように揺れ光っている。
ざわめきが訪れる、波の一つ一つに顔が浮かんだ。
観客だ、久しく忘れていた感情が蘇る。心の底が震えていた、一世一代の大晴れ舞台、ここで引いてなるものか。
体中の感覚が研ぎ澄まされる、やがて波音のような静かなざわめきが起りはじめた。
喝采が始まる。