04.「母上、落ちついてください」
「まぁ、怖い目。そう睨むものではなくてよ。せっかくわたくしに似た綺麗な顔に産んであげたというのに」
孔雀の羽根であしらえた扇を口元にあて、シャルダン侯爵夫人……まぁつまりユーグの母は艶やかに笑んだ。銀細工のユリと謳われた清楚にして冷たい美貌は、本人の言葉通りそっくり息子に受け継がれている。
ちなみにバルコニーからの登場に関する問いは完全に無視だ。疑問の存在すら意識に入れていない。まぁこの客間と隣室のバルコニーは繋がっているからできないことではないのだが、いつから話を聞かれていたのかとユーグは頭痛がした。
「そんな目をするから、29名ものお嬢さんに逃げられてしまうのですよ。せっかくわたくしが選び抜いた子たちでしたのに、ろくに言葉も交わさないとはお見合いになっていないではないの」
やっぱり見合い中からいたのか、とか、逃げられたんじゃなく追い返したんだ、というような反論が浮かんだが、ぐっとこらえる。
ユーグは額に指をあて、心の中で10数えた。
母に反論しても良い事はひとつもおこらないと、生まれてこの方、学習させられ続けているからだ。常ならば黙って聞く姿勢を見せれば、だんだんとクールダウンしてくれるのだが今日の母は機嫌が悪いらしい。
吊り目がちの銀目をぎらりとまたたかせ、息子を睨みつけたのである。
「あら、可愛くない子ね。愛すべき美貌の母を無視する気?」
「……いいえ。滅相もない」
こういう場合、反論しても無視しても、ぎゃんぎゃんわめかれる。ユーグはできるだけ反論に聞こえないような声音で、静かに母に言う。
「母上、俺の結婚にばかりかまうのは、もうやめていただけませんか? 爵位は兄上が継ぐと決まっていて、俺は気楽な身の上だというのに」
「まぁ! 何を言っているの! あなただからこそ、わたくしは心をすり減らしているのですよ!」
まるでユーグだけを溺愛しているようなセリフだが、断じてそうではない。
「ああ! わたくしが殿方に生まれていればこうだろうという美麗な顔に生まれてきておいて、異性関係の話題で後れを取るなど許しておけるものですか!」
(……おい、さっきはせっかく綺麗な顔に産んであげたのに、とか言っていただろう)
ツッコミを入れそうになったが、ユーグはこらえた。ここはじっと我慢の子である。
「あの女が馬鹿にするのです! わたくしを! あなたが不甲斐ないばかりに! どうして青騎士セルジュができることをあなたはできないのです!」
ユーグは口の中で小さく「……そうくるのか」とつぶやいた。
青騎士セルジュとは『七人の騎士』のうちの一人。ユーグの同僚である。
同僚だが仲は悪い。お互いがお互いのことをいけ好かない奴と判断しており、ことあるごとに対立しているぐらいだ。顔を合わせるたびに首振り競争のように顔を背け合い、会話をするたびに嫌味の応酬となる。
なぜそこまで仲が悪いのか。
一言で言うと、同族嫌悪である。
もっとぶっちゃけて言うと、キャラが被っているからだ。
『七人の騎士』はそれぞれタイプの異なる美形が集まっている……白騎士ユーグと青騎士セルジュを別として。
二人ともクールな美形に分類されるのだ。
戦隊モノのお約束として青はクール美形であるし、青騎士セルジュもその例にもれない。そして白騎士ユーグも高潔にして潔癖なクール美形と(内実はともかくとして)認知されているわけである。
まぁ当人たちは雰囲気が似ていると言われれば、猛烈に怒りだすのだが。
そんなわけで白騎士ユーグと青騎士セルジュはライバル関係にあるのだが、その母親同士も昔からのライバルなのだ。
ユーグの母とセルジュの母……シャルダン侯爵夫人とデュノア侯爵夫人は結婚前から、それこそ社交界デビュー当時から熾烈な争いを繰り広げていた。銀髪と金髪のクールビューティー同士の華麗なるバトルは宮廷の注目の的だったという。
今でもライバル関係は継続しており、夫に領地にドレスに美貌に、果ては飼っている猫の愛らしさまで競い合う始末である。当然、息子の出来に関しても競い合っているわけで。
ちなみに、このお見合い会の発端となったのも、積年のライバル同士の会話からだった。
とある夜会にて、デュノア侯爵夫人はこうこぼした。
曰く、「うちのセルジュが後腐れのない貴婦人と火遊びしては、冷たく捨てて困ってるわぁ」という愚痴にみせかけた自慢である。《愛と結婚の女神》を信仰するシェーヌ王国では、不倫も女性との恋を遊びと割り切る冷たさも歓迎されないが、基本的に非難は女神と夫を裏切っている人妻に全て行く。青騎士セルジュがそういったアバンチュールを重ねているのは、宮廷では周知の事実であり、それだけ魅力ある青年なのだと憧れる者もいる始末だった。
対して、ユーグに女の影はない。真っ白である。
シェーヌ王国においては、それはそれで問題なのだ。なぜなら運命の相手を見つけるために恋愛をすることは推奨されているからである。
あまりの潔白さにデュノア侯爵夫人が「あなたの息子、男色趣味なの?」となかば本気で言ってしまい、シャルダン侯爵夫人が啖呵をきってしまった、という事の次第なのだ。
まきこまれたユーグはいい迷惑である。
絶対に見合いしろ、と母に泣きながら命令され、一日だけならとしぶしぶうなずいてしまったのが運の尽き。
まさか一日に見合いを30件つめこんでくるとは、彼も予想だにしていなかった。
「ああ、今思い出しても腹立たしいわ……。あの女の勝ち誇った顔! なによ、青騎士なんて冷血青トカゲってあだ名までついてるくせに!」
腹立ちまぎれに手にした絹のハンカチを裂き始めた母に、ユーグはげんなりと息をついた。
「母上、落ちついてください」
「なにを冷静ぶっているのです! それもこれも、あなたが不甲斐ないから……!」
「……わかりました。わかりましたから。……女としばらく付き合うフリをすればいいんでしょう。そうすれば阿呆なことを言う輩も消える」
ユーグは疲れていた。
その上、母の金切り声攻撃にやられて、正常な思考回路が麻痺していたに違いない。
こんな、重大なことをうっかり言ってしまうなど。
その言葉を聞いた途端、きらんっ、と闇夜の猫のごとく母の目がきらめいた。
「本当ね、ユーグ。聞きましてよ。わたくしはこの耳でしかと聞きましてよ。お見合いに来て下さった娘さんから、お付き合いする方を選ぶと。ねぇ、セバスチャン!」
「はい、奥様。この老いた耳にもしかと聞こえましたぞ」
影のようにひかえていたセバスチャンが重々しくうなずいた。
あせったのはユーグである。
「……待ってください、母上。すると言ったのは付き合うフリだけです。それに、見合いに来た娘から選んでは、結婚を進めるのと同義とみなされてしまうではないですか」
「まああああ! 騎士ともあろうものが、一度言った言葉を違えるというのですか! そんな情けない人間に育てた覚えはありませんことよ!」
「いや、だから言っておりま……」
「坊ちゃま! 爺は……爺は、悲しいですぞ!」
「お前までか! セバスチャン!」
なんだかだんだんメロドラマの様相を呈してきた。
セバスチャンにまで裏切られたユーグは、孤立無援なまま戦っても埒が明かないと諦めた。こうなったら、とりあえずこの場は従っておき、割合に常識人な父に応援を請おう。
そうしよう、と決めるとユーグはがっくりとうなずいた。
「…………分かりました。今日会った娘の内、一人としばらく付き合います。……ですが、結婚を了承したわけではありませんよ」
地獄の底から響いて来るような、うらめしい声である。
対する母親の声は、天界の小鳥のように軽やかだった。
「そうそう、一度言った言葉は守らなくてはね、ユーグ。……あらまぁ大変、ずいぶんと時間が過ぎてしまったわ。お見合いを再開しなくては。セバスチャン」
「はい、奥様」
「最後のお見合い相手は誰だったかしら?」
「リッカ・サイトー様。王立薔薇園付属研究所でメイエ女史の助手を務められている方です」
「ああ! あの子ね! うふふふ、これは素晴らしい巡り合わせかもしれないわ!」
母のふくみ笑いは、ユーグにとって嫌な予感を引き起こすベルである。
なんかもう無表情になるぐらい全てに疲れて、ユーグはなげやりに続きをうながした。
「……いったい、何がどう素晴らしいのですか」
「うふふふふふふ、聞いて驚かないでね。なんとその子は……」
意味深に言葉を切って、満面の笑みを浮かべる。
「その子は、8年前に異世界からやってきたんですって!」
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この部屋は香水の匂いがするから場所を移しなさいとユーグに命じ、彼を追い出したあと――――シャルダン侯爵夫人はセバスチャンに問いかけた。
「どうかしら、全てうまくいくと思う? わたくしは、ここまでは計算通りだと思うのだけれど」
忠実なる老執事は静かに目を閉じ、真摯な声で答える。
「この老体には分かりかねる事柄でございます、奥様。ただ……」
「ただ、何? 珍しいわね、あなたが言い淀むなんて」
「いえ、少し照れましたのです。……ただ、女神様に祝福されるかどうかは、お二人しだい。これからお二人が過ごされる時間しだい、としか申し上げられません、と」