03.「…………女など信用できるか」
贅沢なほど大きく取られた窓のおかげで、室内は春の日差しで満たされていた。
内装が白やアイヴォリーを基調としているからだろうか、客間全体がきらきらしく光を帯びて眩しいぐらいである。
にも関わらず、そこに漂う空気は極寒の地のように凍てついていた。
息をはくことさえ躊躇われるような沈黙が降り積もり、一秒ごとに絶対零度へ近付いていく雰囲気、と形容してもいいかもしれない。
部屋にいる人間は二人。
件の白騎士ユーグ・シャルダンと、その29番目の見合い相手である。
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こんなはずではなかった。
29番目の見合い相手である娘はうつむいて、ふるえる膝を見つめながら思う。
彼女は白騎士ユーグ・シャルダンに昔から憧れていた。他の多くの娘たちと同じように、パレードや巡回中のユーグを遠巻きに眺めては、きゃあきゃあと騒ぐような、そんな娘だった。
容貌には多少の自信があった彼女は、このお見合い会に即座に応募した。30名の内に入ったと聞いた時は天にも昇る心地だったのだ。美しく、高潔で、どんな美女にも見向きもしないという白騎士が、この見合いで自分を見初め、誰も見たことのない微笑みを向けてくれるのではないかと。
そんな甘い夢想は、ユーグの冷たい眼差しで一瞬にして打ち砕かれた。
《愛と結婚の女神》を信仰するシェーヌ王国において、お見合いとは互いが運命の相手となりえるかを判ずる神聖な儀式である。男女が一対一で語らい、互いの魂に惹かれ合うものが存在するかどうかを見極めるのだ。
挨拶しか交わさぬまま見合いが終わるということは、その失敗を意味していたが、彼女はもうこの場から解放されることを切望していた。部屋の前までつきそってくれた両親が、扉を開けて入ってきてくれはしないかとさえ、願うほどに。
「…………時間の浪費だな」
静寂にしみいるような低い声で、ユーグがつぶやく。
誰もが見惚れずにはいられないものの、誰もうかつに声をかけられない冷たい美貌が皮肉の笑みに歪んだ。
「君は俺の運命の相手にはなり得ず、君にとってもそれは同様だった。それだけのことだ。それが分かった時点で見合いの意義は果たされたと思うが?」
29番目の娘にその言葉を拒否する意思は、僅かにも残ってはいなかった。
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娘が退出した後の客間で、ユーグは長い長い溜め息をついてソファに沈み込む。
こぼれかかってきた長めの前髪を払うのさえ、億劫そうな様子だ。
娘と入れ替わるようにして部屋に入ってきた執事は、なんとも言えない顔で労わりの言葉をかけた。
「だいぶお疲れでございますね、坊ちゃま」
「…………ああ。……無駄に疲れた。セバスチャン、酒」
「いけません、坊ちゃま。お見合いはあと一件、残っております」
「俺が酔わないことは知っているだろう。問題はない。……気付けでも飲まんとやっていられん」
文句は言うが、客間のキャビネットにある酒を取りに行こうともしない様子からして、本当にお疲れならしい。執事は苦笑に似た溜め息をもらした。
「――――そういったお顔をお見せになれば、皆様の反応も違ったでしょうに」
まだ午後のお茶にも早いような時間である。
いくら午前中から始めたとはいえ、29人との見合いがもう終わっているというのは、どう考えても自然なことではない。29人が29人とも、ほとんど逃げ出すようにして早々と見合いを切り上げた……いや切り上げさせた結果だ。
「…………女など信用できるか」
吐き捨てる口調もぐったりしていて勢いがない。
ブリザードのような雰囲気で相手を威圧し、自分の要求を呑ませるのはユーグの得意技だが、お見合いという状況下で駆使するのは骨が折れたらしい。そもそも、女性不信まるだしな発言からも分かる通り、彼は女嫌いなのだ。
「坊ちゃまも必ず、運命のお相手を見つけることができますよ」
慰めるように言われ、ユーグは苛立つ。
慰めが必要なほど、自分が可哀そうな思考形態をしているとは思わないからだ。
「『人生において最も崇高な目標は、運命の相手との愛に満ちた結婚である』。…………おかしいと思わないか、セバスチャン」
「いいえ、坊ちゃま。女神様の第一教義でございます」
「…………どう考えても、他にいくらでもそれより崇高な目標があるだろう。剣技を極めるとか、主に忠義を尽くすとか」
「では、坊ちゃま。それでは国王陛下の目指すべき道を示していないではないですか」
「…………へ、陛下はシェーヌ王国を良き国にするという最も崇高な目標を、すでに掲げ、実現されているだろうが」
「坊ちゃま、万民に当てはまるからこその、至高の教義なのでございます。人によって指し示す道が違えば、それは教義とは呼べません」
執事頭であるセバスチャンにこんこんと諭され、ユーグは唸るしかなかった。まったく正論である。……いや、正論なのか? うまく丸めこまれているだけのような気がするぞ。とぶつぶつ呟きながら額に手をあてるその様は、少しだけ子供っぽい。
手でくしゃりとかき上げても、さらさらこぼれてくる銀糸の髪。窓から入ってくる陽光を受けて銀色にも見える、混じり気のない灰色の瞳。とどめとばかりに白雪のように美しい肌をしているときたものだから、色素の薄い美形の最終形態と言っても過言ではない。
おまけに勤務中は純白の騎士服か、エナメルホワイトのプレートメイルを装着しているのである。そして女性たちの黄色い声にもそっけなく(女嫌いだから)、浮いた噂のひとつもない(女嫌いだから)と、くれば城下町に『クールなユーグ様をひそかに観察し隊』が結成されるのも当然のことであろう。
だがしかし、ユーグの本質はクールとは言い難かった。
「……なあ、セバスチャン。何故だか知らんが、今日はやたらに『坊ちゃま』と連呼するよな。本気でやめてくれないか。俺はもう27なんだが」
「それはできかねます、坊ちゃま。坊ちゃまがご結婚されるまで『坊ちゃま』とお呼びし続けるようにと、奥様から厳命されておりますがゆえ」
「完全な嫌がらせだろうが、それは!」
顔に朱をのぼらせ怒鳴りつけるユーグ。執事は申し訳なさそうに白い眉を下げた。だが、それはただのポーズで、実際のところ顔色ひとつ変えていない。
(ユーグお坊ちゃまはお小さい頃から、気を許した相手にだけ怒鳴りつける癖がおありでした……。このお年まで爺めを信頼していてくださるとは、感涙でございます)
老執事セバスチャン、心の声。
彼の名誉のために付け加えておくが、なにもセバスチャンはユーグをおちょくってばかりいるのではない。直接怒鳴りつけられたのはかれこれ10年ぶりぐらいである。
「……っ、悪かったセバスチャン。母上の命令にお前が逆えるわけがないというのに、無理を言ってすまない。……だがな、母上が見ていない時くらいは『坊ちゃま』はやめてくれないか」
その瞬間、誰もいないはずのバルコニーから高笑いが響いてきた。
古典的なオーッホッホッホッという高笑いである。BGMはカツンカツンというハイヒールの靴音。
「甘い! 砂糖菓子のように甘いわよ、ユーグ! このわたくしを欺けるとお思い?」
「…………………………母上、いつからそこに?」
実の母であるシャルダン侯爵夫人の登場に、ユーグは疲労度が倍増しするのを感じた。