02.どうしてと自問自答は無意味だね
どうしてこうなった、と原因を追及すれば、リッカの自業自得であるのかもしれない。
この世界の結婚事情について上司に尋ねたのが、そもそもの間違いだったのだ。
家族が欲しいな、という割と切実な願いから出た質問だったのに人選がまずかった。
それはもう、べらぼうにまずかった。
人選ミスは核爆弾並の破壊力を持つと、学んでしまったほどである。
リッカ、23歳。異世界生活8年目の春のことであった。
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「リッカちゃーん! 聞いて喜べ! 激烈なる書類審査をくぐり抜け、選ばれし30名の見合い相手……その中の一人に君が大決定だ!」
この厄介事はハイテンションな上司の声で幕を開けた。
上司の名はメリザンド・メイエ。王立薔薇園付属研究所・所長の肩書きを持つグラマラス、ゴージャス、金髪ウェーブな美女である。非常に肉感的な肢体が男性を惹きつけてやまないが、本人は一定水準以上の筋肉を持たない男には目もくれない。いやむしろ、筋肉美さえ持ちえていれば老若男女を問わない勢いのマッスル信者だ。
リッカは無論、腹筋が六つに割れているわけでもなければ、服の上から上腕二頭筋が分かる砲丸投げ選手でもないので、メイエ所長からセクハラを受けたことはない。
癖はあるが頼りになる良い上司だったのだ。この瞬間までは。
「すみません、所長。話が見えないのですが」
「もう、リッカちゃんってばクールに決めようとしたって無駄だよ! 我が輩には君の喜ぶ内なる表情が見える! お見合いの話だよ! お見合い!」
「…………はて、お見合い。ええと、誰と誰の?」
「決まってるだろう! リッカちゃんと、白騎士のお見合いだ! ……ってアレ? 本当に分かってなかったのかい?」
「ええ、もう。これ以上になく初耳です」
ようやく早咲きの薔薇がほころび始めた薔薇園に、さわやかな春の風が吹き抜ける。
風にそよぐ金髪をふぁさっとかき上げ、メイエ所長はニヒルな笑みを浮かべた。ちなみにポーズはモデル立ちだ。無駄にかっこいい、かつ美しい。
「分かったよ、リッカちゃん。これは最近はやりの叙述トリックという奴に違いない。状況を少し整理してみようじゃないか」
「賛成です、所長」
ツッコミを入れたら負け、という研究所ルールが骨の髄まで染みついているリッカは素直にうなずいた。
「10日ほど前、いや正確には12日前か。君は我が輩にこう尋ねた。『この国の結婚に対する意識ってちょっと変わってますよね。私がもといた国では恋愛結婚かお見合い結婚かって言葉があったんですけど……あ、お見合いって制度あります?』と。よし、ここまでに意見の相違はないかい?」
「一字一句、私が尋ねた通りです。素晴らしい記憶力だと思います」
「うむ! では続けよう! 君に尋ねられた我が輩はこう考えた! 『そういえば今日はかの有名な白騎士殿の特別ルール庶民限定お見合い会の申し込み締切日じゃないか! リッカちゃんは白騎士のファンだと言っていたし、これはシャイなあんちくしょうなリッカちゃんが我が輩にできる精一杯の意思表示に違いない! 我が輩に期待されていることとはなんだ? そう! 上司の推薦状つきでお見合い申し込みを提出することだ!』と」
「ちょっと待ってください、所長。思考が飛躍しすぎです」
思わず研究所ルールを無視してツッコむリッカ。
これがツッコミを入れずにいられようか、いや無理無理。
それくらい論理の飛躍……というよりも異世界コミュニケーションのギャップが生じていた。むしろ異世界がどうとかではなく、メイエ所長の思考形態の問題な気もするが。
「ちょっ……ええと、まずいつから、私が結婚を望むほど白騎士ファンだという誤解が生じたんでしょうか?」
「え? 違うの? 『七人の騎士のうち、誰が一番好き?』って質問にはいっつも『白騎士』って答えていたじゃあないか」
「それは単に白が一番好きな色だから……。あと研究所内には白騎士ファンの集いだけが存在しないので、無理に合わせる必要がないから……」
「ええ! ひどい! じゃあ我が輩の主催する『黒騎士ヴァル様を応援し隊』に入っても良かったってことじゃないか!」
『七人の騎士』というのは王立騎士団に所属する七人の部隊長のことである。それぞれ隊のカラーから白騎士だの黒騎士だの呼ばれていて、まぁ一種のアイドル状態だ。顔が良い男がそろっているのだからしょうがない。『七人の』の後に続く言葉がサムライとか小人の方が嬉しいなぁとか思ってる枯れた嗜好のリッカは、ぶっちゃけ適当に『白騎士』が好きと言ってこの話題をしのいでいた。
ちなみにメイエ所長お気に入りの黒騎士ヴァル様は、言うまでもなく素晴らしい肉体美の持ち主である。端的に言うと、マッスルな魔王みたいな外見をお持ちだ。
「そもそも所長、何ですかその特別ルール庶民限定お見合い会って。野菜の即売会なみの牧歌的な響きですよ」
「読んで字の通りなんだね。白騎士殿がいつまでたっても色恋沙汰のひとつも起こさないで男色疑惑をかけられたことに泣いたお母さん……つまりシャルダン侯爵夫人がね『息子は男色趣味じゃないわ! 運命の相手にまだ巡り合っていないだけよ!』って社交界で啖呵きっちゃってね。そして企画されたのが選りすぐりの庶民の娘さんを集めたお見合い会ってわけさ」
普段からはありえないほどローテンションにつぶやく所長に、嫌な予感がひしひしするリッカ。テンションが上がりすぎてもトラブルが起きるが、下がった時にはそれ以上のいやーな、やっかいーな、まずーい事態が発生する、という法則があるのだ。
「……そういえばシャルダン侯爵夫人って……」
「大の薔薇好きで有名な方で、研究所の大口支援者だねー。パトロンさんだねー。王立って言ってもここ、歴史が浅いから彼女を怒らせると大ダメージだねー。……でも、しかたないよ……リッカちゃんが好きでもない人とお見合いするぐらいなら、我が輩がお断りしてくるから……」
「いや、行きます! 行きますから! 喜び勇んで行きますから、そんなことなさらないでください!」
そうして、数日後。
リッカはシャルダン侯爵邸応接間にて、溜め息をついているわけなのである。
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ドレスやら何やらの手配は全て所長がしてくれた。所長は、お偉方との会議をさぼってリッカの付添い人をやる、と主張していたが全力で阻止した。
(仕事だけは真面目にしてください、所長。シャルダン侯爵夫人を怒らせないようこちらも死力を尽くしますから)
リッカの心からの叫びである。
だから、母親や時には両親につきそわれている娘さんたちを見て、寂しいと感じるのはお門違いなのだと思わねばならない。
「準備が整いましたので、これよりお見合いを始めさせていただきます。それでは一番のカードをお持ちのお嬢様、こちらへお越しください」
執事の言葉に頬を染めて立ち上がったのは、桃色のドレスをまとった娘だった。娘に負けず劣らず着飾った母親と、でっぷり肥った裕福な商人風の父親もついていく。
最初の親子が出て行くと、先ほどよりもはるかに話し声が大きくなった。
執事が姿を消したからだろうか。リッカは無遠慮に投げつけられる視線を感じ、みじろぎする。「あの子、一人で来てるわ」「孤児なのかしら、可哀そうね」ひそひそ言うんなら、聞こえないように言ってもらいたい言葉ばかりである。
すぅ、はぁ、と深呼吸ひとつしてリッカは立ち上がった。
もう訪れることなどないのだから、侯爵家の庭が見たいと思ったのだ。貴族の館を訪問した際、庭を見たいというのは別にマナー違反ではない……と所長に聞いていた。
断られたらやめとけばいい、そんな気持ちでリッカは控えているメイドに歩み寄る。
磁石につく砂鉄のように重みを増す視線を、無視しながら。