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25.夜会服ドレスコードは守ります

 



 黒曜石のように黒い石材で作られた城壁にすっぽりと包まれた屋敷は、屋敷自体にも黒が当然の顔をして鎮座していた。柱に、窓枠に、階段の手すりに、家具の脚に。シックな内装にブルシュティンの特産である琥珀をあしらった彫刻や飾りが映え、現実感を失いそうなほどに美しい。リッカにとって、この屋敷は歴史ある美術館に見え、人が生活する場にはどうしても思えない。

 そんな屋敷の高級感あふれる客室で、リッカは猫脚のソファに座り、おとなしく待ち人を待っていた。心に重くのしかかるのは、晩餐会という耳慣れないものに対する恐怖である。

 それもこれも『貴族のお屋敷一泊ご招待』というのには、もれなく屋敷の主人と同席の晩餐がセットになっているせいだ。正式なご招待、とはそういうものだそうだ。

 リッカが今いる屋敷の主人といえば前公妃アグネシュカ。

 前『公妃』様である。

 ブルシュティン公国最高権力者の妻だった人物だ。位の上では現在のシェーヌ王国において、王妃イオシフィナの次に高貴な女性となる。しかも敵サイドということが濃厚な人物ときたのでは厄介きわまりない。

 そんな色んな意味で厄介すぎる前公妃様と、晩餐。


「……回避できるものなら、ぜひとも回避させてほしい……」


 リッカは重苦しいため息と共に、小さくつぶやいた。誰にも聞かれないように言ったつもりだったのに、扉のわきにひかえている小間使いの少女が「なにか御用でございますか?」と丁寧に尋ねてきたので、慌てて首をふる。癖の強い黒髪をきっちりと結い上げた少女はブルシュティン人らしく、シェーヌ公用語の発音に少しだけなまりがあった。

 

(ブルシュティンの人はたいてい公妃サマ命だから気をつけろ、って言われたけども。この子に悪意があるようには思えないんだよなぁ……)


 近くには屋敷に潜入中の『名無しの影』がいることにはいるが、召使いのあやしい動きには注意するようにとも言われている。そうは言われても、リッカには特に不自然な点はないように思えるのだから仕方ない。どこに潜んでいるのかまったく気配のつかめない『名無しの影』に頼るほかなかった。


(それにしても……神出鬼没な名無しの影さんたちでも屋敷にさらわれた子どもたちの行方がわからないなんて……邪術ってすごい反則技としか言いようがない)


 果たして、あの空気読めない神官ギー・グラッセが邪術をどうにかして調査を行えるのか不安があったが、そこは信じるしかない。くだんの神官殿は持ち前の図々しさを発揮して使用人たちをふりまわしつつ、馬車が到着した昼過ぎから今にいたるまでなにごとかをしているらしい。

 らしい、というのはリッカには調査を手伝いたくとも手伝えない理由があったからだ。

 すなわちアフタヌーンドレスから、イブニングドレスへのお召し替えである。

 さっきまで客室と続きになっている身づくろい用の小部屋で、晩餐用のドレスアップをメイドさんたちがしてくれたのだが……庶民のリッカにもみんな熱心に対応してくれていた。

 その『熱心な対応』の成果が、葡萄蔓の琥珀細工でふちどられた鏡に映っている。


(……何度見ても、服に着られてる感がぬぐえない)


 イブニングドレスは、昼に着るドレスと違って格段に露出度が高いのが常識だ。だから今までに着たことのある見合い用のドレスとも、ユーグに贈ってもらった観劇用のドレスとも趣きがまったく異なる。襟ぐりがこれでもかと大きく開けられた、胸を強調するタイプのドレスだった。

 深いエメラルドグリーンの布地は腰から下はたっぷりとしたスカートとなっているのに、上半身は身体にぴったりと沿っている。身ごろにあしらわれているのは、緑の濃淡で刺繍された薔薇の蔓。鈍い金色のレースで作られた短い袖があるにはあるが、肩はほとんどむき出しの状態だ。胸元に深紅の薔薇を一輪飾り、後頭部を一箇所だけ結った髪には借り物のエメラルドと金でできた髪飾りが燦然と光り輝いている。

 髪飾りはユーグが持ってきたものだったが、リッカはこれをなくしたらと思うと、正直、気が気ではない。

 大部分を背に垂らした黒髪をゆすって、リッカがもう一度ため息をついた時、扉が鳴った。

 小間使いの少女が開けてくれた出入り口を見ると、騎士の正装に身を包んだユーグが腕組みをして不機嫌面で立っていた。こちらを見ようともしていないのは、『恋人』の迎えに来たエスコート役という肩書きがよほど気恥ずかしいのだろう。


(あっちの正装は楽でいいなぁ……いつもの騎士服に金色のブローチと金鎖たすくらいで)


 聞かれたら怒られそうなことを考えつつ、リッカはよいしょとばかりに立ち上がる。ヒールの高い靴が歩きにくくてしょうがなかった。


「お出迎え嬉しいよ、ユーグ。ありがとう」


 軽い調子で声をかけたところでようやくユーグがこちらを向いた。

 が、綺麗な銀がかった灰色の目を見開いて固まってしまったので、リッカは『ああ、やっぱり』と心中で苦笑いする。


「うーん、こんなに胸元も背中もガバッて開いた色っぽいドレスが似合わんのはよくわかってるから、そんなに驚愕しないでほしいなぁ」

「………………」

「……おーい? ユーグ?」


 目の前で手をひらひらさせてやると、ハッと我に返ったユーグと目が合った。


「今すぐ服を代えてこい!」

「いやそんな耳たぶまで赤くして怒鳴られても、代えの晩餐用ドレスなんてないよ」

「なんだと……!? ではせめて布をはおるなり、なんなりしてその破廉恥な胸を隠せ! あの忌々しいセルジュ・デュノアやギー・グラッセに見せるな!」

「人を猥褻物みたいに言わないでくださいな……。というか、この国のドレスコードではそれはしちゃいけないんじゃなかったっけ?」


 確か透けるように薄いショールを肩にはおるのはありだが、胸元を完全に隠すのはNGだった気がして、リッカは問いかける。

 ユーグが、ぐっ、と言葉につまったのを見て、知識が間違ってなかったことを確信した。


「でしょ? ユーグもなんでそんなこと言うかな、舞踏会やらなにやらでこーゆードレスは見慣れてるんでしょーに」


 どんなに仕事一筋の真面目な堅物でも、ユーグは侯爵家の次男坊でれっきとした貴族の一員だ。夜会やら舞踏会やらの社交を、完全に避けることは不可能だろう。

 ユーグは言葉につまったまま、なにやらうなっていたが、その内ぷいと横を向いた。


「……晩餐が終わったら、すぐに着替えろ。いいか、すぐにだぞ!」

「はいはい、わかってますよー。私だって似合わんもんをいつまでも着ていたくはないし」


 その言葉に、ユーグは難しい顔をして黙り込んだ。視線を廊下の端から端まで行き来させてから、ぼそりとつぶやく。


「………………似合わんとは言っていない」

「? あれ、なにか言った?」

「…………」


 ユーグはさんざんためらったあと、もう一度口を開きかけ……リッカの背後を見て口元を引き結んだ。なにごとかと思ってリッカが振り向くと、扉の影から興味津々で目をきらんきらんさせている小間使いの少女が見て取れた。

 もちろん二人に見られていることに気づくと慌てて顔をふせ、私はなにも見てませんし聞いてませんよアピールをしてくれたのだが、気まずいものは気まずい。リッカの方でもかすかに顔に熱が集まってくるのを感じていた。


「……もういい、行くぞ」

「……了解しました、騎士様」


 差し出された腕にぎこちなくつかまって、リッカは上等な絨毯がひかれた廊下を歩き出した。




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