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24.空気はね読めない方が幸せだ




 ブルシュティン前公妃・アグネシュカの屋敷に向かって馬車が走り出してからというもの、その男の話はえんえんと続いていた。


「僕の実家は宮廷紋章官の家柄なんですがね、いや家柄というほど気取ったものでもなくて、ただ単に親父もじい様もたまたま紋章官ってだけで、別にグラッセ家が紋章官の名門ってわけじゃないんですよ? ただそんな家に生まれたからには僕も紋章官になることを期待されてたわけですが、十代のころの僕は紋章にどうにも興味が持てなくて……不勉強で不勉強で、グリフォンと鷲の区別もつかないぐらいで。だって似たようなものに見えたんですよ、そのころは。それで親父が堪忍袋の尾を切らせて、僕を厳しいって有名な神殿へ放り込んだわけです。ひどいですよね。もっとひどいことには、その強引な処置に憤りを示してくれたのは僕の妹だけってことですよ。あ、妹の名前ってもう言いましたっけ?」


 立て板に水を流すようにしゃべり続けていた男、ギー・グラッセは言葉を切って、リッカへにこやかな笑みを向けた。でろりとすその長い服を着て、鼻先にかかるタイプの眼鏡をかけた彼は神官というよりも、うだつの上がらない学者のように見える。くりくりとした栗色の瞳には純真そうな光が宿っていて、ギーに悪意のないことはわかるのだが、リッカは彼の問いにひきつった笑みで首を振ることしかできなかった。

 なにしろ、空気が悪すぎて。

 何度も言うようだが、ここは馬車の中である。

 豪勢な四頭立ての馬車とはいえ、密閉空間は密閉空間だ。こういう空間に人を押し込める時には組み合わせがすごく大事ということを、リッカは改めて学んだ。

 ここにいる人間は四人。

 リッカと、先刻からしゃべり続けている宮廷神官ギー・グラッセと、凶悪な不機嫌面の白騎士ユーグと、酷薄に目を細めた青騎士セルジュである。

 騎士二人は互いに顔を背け合って、決してお互いを視界に入れないようにするというおとなげなさすぎる行動に出ていた。二人とも足を組んで、それぞれ反対側の窓を、窓の外に親の仇がいるのかとツッコミたくなるような形相でにらみつけているのだ。

 だが席の配置は妥当なところだった。向かい合った四人がけの座席で、リッカはユーグの隣にいる。つまりリッカから見れば、青騎士は正面、おしゃべりなギー・グラッセは右斜めの席ということになっている。肝心なのは青騎士と白騎士が決して隣り合わず、対面もしないことだ。

 馬車が出発した当初から空気がぴりぴりと肌に痛かったが、今では冷気が上乗せされ続けて寒気がするほどだ。そんな中、能天気にしゃべり続けられるギーは大物なのかもしれない。


(……もしかして沈黙になるのを避けようとしてくれてるとか)


 リッカは好意的な解釈を試みた。

 対するギーは何も考えていなさそうな笑顔のまま、大声で話を再開する。


「妹の名前はですね……なんと! マロン・グラッセって言うんです! 最悪のネーミングセンスでしょう!? 命名した親父の神経を疑うでしょう? 妹はですね、早くこんな冗談みたいな名前から解放されたいから結婚したい結婚したい結婚してやる、と一日に数百回は唱えるほど血眼になっているんですが、いかんせん面食いでしてね。望みが高くて……なかなか前途多難そうですよ。あ、ちなみに青騎士白騎士おふたかたみたいな冷たそうな美形顔が好みのど真ん中らしいです。やー、おふたかたって本当に顔の感じが似てますよね!」


 最後の一言に、ただでさえじりじりと氷点下へ近づいていた空気が、びしり、と凍りついた。

 リッカは心の中で絶叫する。


(違った! この人、空気読めないだけだあああっ!)


 すぐ横でユーグが怒りのあまりかすかに肩を震わせているのを見て、リッカは真剣に時間の巻き戻しを願った。願わくば空気読めない神官ギー・グラッセが失言をする前に戻って、よく動く口を上下に縫い合わせたい。

 だがリッカのあせりになど気づいてもいないのか、ギーの失言満載トークは止まらない。


「今回は任務ですから、もちろん妹に話したりはしなかったんですが、もし白騎士青騎士のお二人とご一緒すると知られたら僕は妹に首を絞められてしまうと思うんですよ。『うらやましすぎるだろ、死ね!』とかいう罵声が耳に聞こえそうです。僕、男ですから、美形な男性と一緒の任務でも嬉しくもなんともないんですがね、ははははは!」


 本人にとっては面白い冗談なのかもしれないが、馬車の雰囲気はますます悪くなった。ブリザードのごとき怒りのオーラが充満し、リッカは切実に陽光の温もりが恋しくなる。

 なんでもない家柄と言っておきながら、貴族で、しかも騎士として高位にあるユーグとセルジュに向かい、この発言はないだろう。普通ない。いくらシェーヌが恋愛関係においては身分差が取っ払われ、それにつられて全体の階級意識がゆるくなっている特殊な国だとしても、ここまで心証を悪くするようなことを下位の身分の者が言うのはありえない。

 ギー・グラッセの立場が特殊なのか、それとも彼自身が失言を失言と認識できていないかの、どちらかでなければ。


(……失言と思ってないんだろうな、たぶん! だが切実に勘弁してほしい! 私の心臓が虐待しないでと叫んでいる!)


 冷気による心臓麻痺を防ぐべく、リッカは果敢な行動に出た。

 コードネーム・別口話題提供による空気緩和作戦。

 ……すなわち、無理やり話をそらす。


「ところで! ギーさんは神官ですよね!? これから行く館のアグネシュカ様が出した条件の意味って、わかりますか!?」

「ああ、『リッカ・サイトーがこの世界に来た時に初めて出会った人物を連れてくること』でしょう! 変な条件ですよねぇ! まあ、その条件のおかげで僕が同行できるわけですけど。偽者だってバレても『勘違いでした、あはは』で済ませられますし。あれ? なんでしたっけ、そうそう条件の意味ですね! いやぁ、神官の僕にもわかりませんよ。僕が考えるにドゥルリアダが抹消した機密文書には書かれてたんじゃないですかね。もしくは伝えられることのなかった王家の秘密とか! くうう、なんだかわくわくしてきませんか!?」


 あまりに不敬なセリフに我慢の限界がきたのか、それとも律儀にもギーの話に耳を傾けているリッカが質問までしたことに苛立ちを覚えたのか……おそらくは両方だろう。それまでは仏頂面でこらえていたユーグが口を開いた。


「わきまえろ、ギー・グラッセ。王家を愚弄するつもりならば、この場で斬るぞ」

 

 大多数の人間がこの一言で震え上がること間違いなしのドスのきいた声だったが、少数派に分類されるギーには効果がないようだ。眼鏡の奥で栗色の瞳を丸くして、きょとんとするばかりである。


「愚弄ですか? あれぇ、おかしいですね。僕はそんなつもりはないんですけどねぇ。どうにも神殿で開花させられた探求魂というやつが、こう、うずいてしかたなくてですね……」

「わかった、もういい。黙れ」


 三つの単語で冷たく言い捨てて、ユーグはそれで終わらせようとした。眉間にシワをよせたまま再度、窓の方へ顔を背ける。

 だがどこまでも空気の読めない男、ギー・グラッセは本当に果てしなく空気が読めなかった。


「ああ! 理解しましたよ! やきもちを焼いているんですね! 恋人であるリッカさんが僕としゃべっているものだから!」


 優雅に長い足を組んでいたユーグの身体がいきなり傾いた。ごん、という鈍い音が彼のひたいと窓ガラスが衝突したことを伝える。


「大当たりですか! いやぁ、すみません! 僕はなにせしゃべるのが大好きなたちでして、口から先に生まれてきたものですから勘弁してくださいませんか。横恋慕しようなんて気持ちはこれっぽっちもありませんから!」

「…………ち、違うぞ。違うからな。嫉妬などでは断じてない」


 顔を赤くして否定するのが逆効果だと、いつまでも気づけないのがユーグである。


「えええ、なにが違うと言うのですか。白騎士殿が恋人を熱愛しているというのは、今や、王都では周知の事実。宿屋のおかみさんも、鍛冶屋のあんちゃんも、金羊通りの古本屋の本棚の上を縄張りにしている猫まで知っているはずですよ!」


 猫は人間の色恋になど関心はないだろうが、ユーグが気にするのはそこではない。


「……熱愛……周知の事実……」


 呆然としたまま、その言葉だけがこぼれ落ちる。

 そんなユーグの様子をちらりと見やり、青騎士セルジュは彼にしては珍しく楽しげな笑みを浮かべた。


「ロジェとオリヴィエが大声で老若男女に触れ回っていたぞ。奴らに知られた時点で覚悟を決めていないとは、甘いことだなユーグ・シャルダン」


 なぜこのタイミングでわざわざ口を挟むのかと、リッカは頭をかかえたくなった。

 そこまでユーグが嫌いならば最後まで没交渉を決め込んでいてほしい。それなら空気は悪いが平和だったのにという思いである。

 怖いもの見たさで隣をうかがうと、ユーグはこめかみをひくつかせて殺意のある眼差しで青騎士をにらみつけている。斬り合いが始まってもおかしくはない雰囲気だ。

 白騎士と青騎士の仲が悪すぎるのは嫌というほどよくわかったので、血を見るのだけは勘弁してもらいたいリッカである。

 そんな彼女は冷や汗をかきつつ、救いを求めるように視線をさまよわせた。車内には空気悪化要員しかいないことはわかっているので、目線が向かう先は必然的に外だ。

 救いは、窓の外にはあった。


「ああ! ほら! 聞いていた通りきらきらした黒い石の壁が見えますよ! 目的地のお屋敷に着いたんじゃないでしょうか!」


 不自然なほど大声になったのは仕方ないだろう。この馬車から一刻も早く降りたいリッカにとって、到着はまさしく天の助けだったのだから。



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