01.はじまりの合図をするは執事様
「それではお集まりの皆様、お時間までごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
執事はそう言って、定規で測ったかのようにきっちり45度のお辞儀をした。白ひげが蓄えられた口元には笑みのひとカケラもないが、物腰はどこまでも丁寧だ。
しんと静まり返っていた室内は、執事の礼を皮切りにしてざわめきに満たされた。
豪華絢爛な応接間である。
50人を軽く超す人々がいる今も窮屈な印象はまったくない。
深紅のベルベットが張られた柔らかな長椅子、最高級の材質と細工の施された一人掛けのソファ、陶磁器の茶器が湯気を立てるテーブルとセットの椅子。そういったものに腰掛けているのは着飾った若い女性たちだ。その傍らにはこれまた正装をした母親。時には父親もついている娘もいた。
これから舞踏会デビューする娘たちが父母に励まされている図に似ていたが、決定的な相違がある。
それは娘たちが貴族の令嬢ではない、という点だ。
遠目には華やかに見えるが、大多数の娘がまとうのは庶民でも手の届く範囲のドレスである。中には豪商の娘などもいて、彼女らは貴族にも勝るとも劣らない質のドレスで装っていたが、緊張のためか所作がぎこちない。
どの娘も不安と、隠しきれない興奮に頬を紅潮させているのだが、一人だけ様子の違う娘がいた。すみに置かれた椅子に陣取って、お茶を片手に周囲を興味深げに観察している娘だ。その周りにだけ、母親の姿も父親の姿も、付添い人の姿さえ見えない。
結い上げた黒髪に黒目の、やや小柄な娘である。顔立ちはそう悪くないのに、どうにも地味な印象を与えるのは、若い女らしい華やぎが表情から欠落しているせいだろう。妙に悟ったような目つきや落ちついた仕草がなんというか渋い。
彼女の名前はリッカ。
本名は斎藤六花という、生粋の日本人である。
(ここで一句。『香水と おしろいむせる 応接間』。……うまくないなぁ。情緒もない上に笑いも取れないよ、これ)
内心の声だけ聞くとすごく余裕に思えるが、リッカもそれなりに緊張していた。
ただ、色々あった関係で人よりちょっと達観しているだけである。いわく、こういう場所であせっても仕方ない、と。
(これから一人ひとり始まるって言われたから、私の番が来るのはまだまだ先。……というか、日が暮れてからになりそうだなー。いやだなー)
リッカは手のひらで小さなカードをいじくった。ここへの招待状と共に入っていたカードにはこの国の数字で『30』と刻まれている。
つまりリッカは30番目ということだ。選別された娘たちは全員で30名なので、彼女が最後なのは間違いない。
なんの順番かといえば……お見合いの順番である。
この王国で一、二を争う美貌を持つと謳われる白騎士ユーグ・シャルダンとの。
事態を再確認してしまうと、いくらリッカといえども頭痛がした。
彼女は一度だけ、式典パレードで白騎士を見たことがある。この世のものとは思えないほどの美しさに、なるほどさすが異世界だと感心した覚えさえあるのだ。
そんな尋常じゃない美形と、これから会う。
ただ会うだけではなく、もしかしたら結婚するかもしれない相手として。
(正直、逃げたい。……ああ、どうしてこうなった……どうしてこうなった……)
脳内で無現リピートしつつ、リッカは深い深い溜め息をはいた。