16.初デート誘うというかこれは拉致
とある五の月の昼下がり、薔薇の世話に魂を傾けていたリッカは唐突に拉致られた。
「芝居を見に行くぞ」
そうぶっきらぼうに言い捨てた偽の恋人ユーグの手による犯行である。犯行動機が不明だったので、ずるずる引きずられながらもリッカは尋ねてみたのだが、ユーグはリッカを見ようともしないで「いいから来い」とだけしか言わない。
仕方がないのでリッカは独自に推理してみた。
至った結論はこうである。これは俗に言うデートのお誘いというやつではないか、と。
つまり……
「ああ! 恋人ピーアールキャンペーンの一環か!」
「……なにを訳のわからないことをわめいている?」
ぽぽん、と手を打ったリッカを、なんだか冷たい目で見下ろしているユーグである。永久凍土のブリザードは今日も顕在だ。だがしかし、連日なんだかんだで会っているリッカは慣れにより知覚鈍磨が生じつつあった。こたえた様子もなく、ああ納得したーとでも言いたげな笑みを浮かべている。
「すべて了解。オールオッケー。私はこう見えて意外と演技派なんで期待して良いんで、まかせてくださいな」
「なにが言いたいのかさっぱりわからんが、これだけは言えるぞ。お前にはまかせられん」
「ひどい!? 仮にも恋人にそんなこと言ってると、女神様が天罰をくだすと私は思うな!」
「女神ロゼルディーアが司るのは誓約による婚姻だ。試しの期間にある者に、天罰を下す権限はない」
「理路整然と受け答えされた! ひどい!」
「…………よし、わかった。少し黙れ」
そんな感じでリッカは馬車に詰め込まれ、ドナドナの子牛よろしく運ばれていったわけである。シャルダン侯爵家の豪華馬車はソファふかふか。お隣が不機嫌そうに頬杖ついたユーグであっても関係なしに、夢心地な座り心地だ。
赤いクッションにふかふかともたれながら、リッカは顔を横に向けてユーグを観察してみた。むすくれた表情の白騎士様は、いつもの騎士服ではなく灰色を基調とした普通の服を着ている。よく見れば上等な生地ではあるが、服のデザイン自体は町人が着ているものと変わらない。
(貴族の若様のお忍びルック……。髪の色がゴージャスすぎてあんまり忍べてないけど)
そんな感じの失敬な感想が出てくるリッカである。馬車が揺れるたびに跳ねるユーグの銀色の髪が綺麗で、なんだか触りたくてうずうずしてしまう。
「…………なんだその目は」
「いや、髪が綺麗だなぁ、と。なでくりまわして良いかな?」
「却下する。俺は猫ではない」
「大丈夫。似たようなものだと思うから」
「………………お前、最近まったく自重していないだろう?」
「ええ、まったく」
「………………っ!」
ひくつくこめかみを押さえたユーグの向こうで、窓の景色が流れていく。いつのまにか全く見覚えのない区域に来ていたリッカは軽く首を傾げた。
「おやー、なんだか見知らぬ土地に来てしまったような」
「王都内だぞ馬鹿者。河港沿いの劇団通りも知らんのか」
「はっはっは。なにせ河港には輸入品の薔薇の苗を積んだ船が来た時しか行かないし……お芝居なんてとんと縁がないよ」
「胸を張って言うな」
「というかさ、私、土いじりの野良着のままなんだけど。この格好で芝居って見ていいの?」
「これから行く劇場は格式ばった場ではないが……その服では不自然だ」
ユーグはそう言って、今まで膝の上に乗せていたシルクの布張りの箱を差し出した。直径60センチくらいのでかいケーキが入りそうな、円形の箱である。濃い赤色のリボンがかかっているのが無駄に可愛らしい。
「この中に服がある。着替えろ」
「今、ここで?」
「どうしてそう破廉恥な発言をするんだ、お前は! 俺が馬車を降りたらに決まっているだろうが!」
「いやだって、着替えろとしか言ってないし」
「お前はいちおう女だろう! もっと慎みを持て!」
頬に朱をのぼらせてどなるユーグと対照的に、リッカは難しい表情で考え込む。名探偵のように渋く、顎を指で挟んでの決めポーズだ。
「私が慎みを持つことで綺麗な薔薇が咲くなら……持つかな」
「咲く! だから持て!」
一切の根拠なく、ユーグが叫ぶ。
本気で怒鳴り散らしてしまうようになったあたり、リッカに気を許している証拠である。出会って一週間かそこらということを考えれば、これは驚異的なことだった。女嫌いの白騎士の生態を知る者ならば、信じられない話だ。
いくら恋人のフリをして、毎日王立薔薇園で顔を合わせていたとしても、ユーグは本来ならばもっと、女性に対して不信感が根強い男なのである。
それだけ猫被りをやめたリッカの言動が、型破りだったということだろう。
騒々しい二人を乗せた馬車は着々と目的地を目指していた。
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「ふへぇ……けっこーすごい人出だなぁ」
「気の抜けた間抜け面をさらすな。きょろきょろするな。大口を開けてそうしていると、まるで三歳児のようだぞ」
「うわぁ、見事に子どものやる気を削ぐ叱り方をする……。しかも三連続でこなくても」
「お前は子どもか? ああ、そうか。精神年齢が子どもなんだな。分かった、俺が悪かった」
慣れないことをしているせいかユーグはいつにもまして喧嘩腰である。
大衆劇場にあるボックス席に納まった二人だが、リッカはきょときょと身を乗り出しているし、ユーグもユーグで落ちつかなげにそわそわしている。開演前のざわついた雰囲気に紛れて、言い争いはさほど目立たないのだが。
ボックス席といっても劇場自体が庶民向けなので、貴族向けの本格的なボックス席とはほど遠い。貴族向けを高級ホテルのスイートルームだとしたら、今二人がいるのはウサギ小屋である。それでも地階のぎゅう詰め席と比べたら、格段に値が張るのでこういう席を利用するのは小金持ちの町人とか、稀に来る新劇好きのお忍び貴族だ。
そこそこ綺麗に取り繕ってあるこのボックス席は、ひたすら狭い。二人並んでいるだけでかなりの圧迫感があり、意識して離れていないと肌が触れそうな距離しか取れない。
ユーグはそれを気にしているのだが、すっかりおのぼりさんなリッカには通じていないようだ。贈られた清楚な亜麻色のドレスに絹の手袋という格好で、階下にひしめく頭の数を数えている。
「身を乗り出すな。落ちるぞ」
「だーいじょうぶ。騎士の反射神経で引き戻せると信じてるので」
「……むしろ落とすか?」
「いやいやいや、冗談だから。……あ、そろそろ始まるっぽい雰囲気が」
リッカが言っている間に、幕がするすると上がっていく。舞台の中央に一人の男が立っているようだった。舞台衣装独特の派手な飾りがついたブーツがまず見え、長い足、剣を吊るした腰が目に入って来る。
幕が完全に上がり切り、男の全貌が見えた時、ユーグは思わずうめいた。
「………………アルシバル。お前……なぜそこにいる」
見間違いようのない不自然な紫色の頭髪をした紫騎士が、舞台中央に堂々と立っていたのである。
「わあ、男装の麗人っぽい美人な役者さん。知り合いとはうらやましい」
「奴はれっきとした男で、俺の同僚の騎士であって、断じて役者ではない」
「え、でも芝居がかった口調で滔々と語り出してて、それがすごい板についてるようにしか見えないんですが……」
舞台では古風な衣装に身を包んだアルシバルが両手を広げ、客席に語りかけている。
『無知なる群衆よ、汝らはいつの世にも歴史の観客である。玉座と、玉座を取り巻く者たちが織りなす極彩色の織物を、表の一面だけ見せられているにすぎぬ。……ああ、ああ、無知とは、げに幸福なるかな! 汝らが憎み、石を投げた血まみれの女王が、その生涯を賭してなにを望んだか……。知らぬとはなんと幸福であろう……』
本職の役者としか思えない朗々たる口上だ。
だがしかし、ユーグはこう答えるしかない。
「奴はあれが素だ!」
「しっ……静かに。とにかく劇を見てるしかないって」
「くっ…………アルシバル、あとできっちり説明してもらうぞ」
人を凍りつかせて殺せそうな視線で、ユーグは舞台を睨みつけた。熱っぽいモノローグを語りながらもガラス細工のように醒めた目をしたアルシバルと、視線が合ったような気がするのはユーグの勘違いではないはずだ。
ちょうどその瞬間に、アルシバルは器用に片眉だけ上げて見せたのだから。
『さあ、歴史というタペストリをめくることを選ぶのか? そこには女神の祝福を決して享受しえぬ哀れな男女の、恋物語がつづってある。薔薇狂いの女王ヴィヴィアンヌと、のちの名君たる異母弟アルベール。選択をしたならば、二人の葬られた幸福な記憶からたどってみるがいい。無知を捨てるは、愚者か賢者か……それは分からぬがな』
長いマントをひるがえして、アルシバルが去る。入れ替わるようにして舞台に転げ出てきた二人の子どもが、芝居の真の始まりを告げていた。




