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13.半月や子猫はひざに騎士は右

 


 金色の半月が低い位置に浮かんでいた。欠けていく頃の半月だから、ちょうど真夜中に出てきて、だいたい日の出の時刻ごろに一番高いところに昇る。


「……どう考えようと寝入っている時間だろうに。俺に非常識な振る舞いをせよとは、やはりあの女ダヌキは性格が悪い」


 苦い言葉をはきだしたのは、噴水のふちに腰掛けたユーグである。さらさらと水が湧いては下段にこぼれるだけの噴水は、古くには水場として利用されていたことを示す簡素なものだった。彫像のひとつもないが、月明かりを映してゆらめく水面はそれだけで美しい。

 溜め息をついた拍子にこぼれかかった銀髪を、ユーグはぐしゃりとかき上げた。せっかく月光に似つかわしい色をしているというのに、扱いがひどい。

 王城に戻り、騎士団長に事の次第を確かめたユーグには、その場で命令が下された。臨時で今晩の王立薔薇園警護の任につくことには煩雑な手続きが伴い、ユーグが指示を出す詰め所から離れることが可能になったのはつい先ほどのことだった。こんな真夜中に女を訪ねることに抵抗があったユーグは、さてどうするかと思案していたのだが、ちょうどいい具合に宿舎へと向かう道すがらで小僧を捕まえた。どうやら夜中に外へ抜けだそうとしていたらしい。花街に行くんだ、とかなんとか子供らしからぬことをわめいていた小僧の首根っこをつかみ、リッカを呼んでくるよう言いつけて、宿舎前の広場で待っているところだった。

 

「厄介なことになったものだ……」


 舌打ちと共に言い捨て、もう一度溜め息をつく。

 苛立ちを鎮めるためにユーグは辺りを見回した。

 宿舎前にある円形の広場である。広場をぐるりと囲むようにある花壇には低木が植わっていて、おそらくはこれも薔薇なのだろう。花のない今の時期にはただ青々とした葉と棘が見えるのみだ。

 古びているためかところどころ欠けた石畳の上に、放し飼いにされている孔雀が寝ていた。緑の匂いが濃い夜風が、孔雀の長い飾り羽をゆらす。首をまるめてのんきそうに眠っている極彩色の鳥に、ユーグは異国にでも来たような錯覚に囚われた。

 春の夜の底にまどろむ鳥に、少しだけ苛立ちを忘れたユーグだったが、足になにかがぶつかってきた気がして片眉を上げた。

 見れば丸々とよく肥えた、白い毬のような子猫がブーツにじゃれついている。金色の金具と靴紐が気になるらしい。まだ人差し指ほどの長さしかないしっぽをぴんと立てて、いっちょまえに猫パンチを繰り出している。


「おい、やめろ。それはお前のオモチャではない」


 石畳の隙間から生えている茎の長い雑草を手折り、軽く振ってやると子猫は大喜びでそっちにじゃれついた。まったく移り気なことである。


「すみません! お待たせしました!」


 声と共に、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。予想していたよりもずいぶんと早いリッカのお出ましにユーグは少し硬直する。手が止まっていてもたわんだ雑草はみょんみょん動くから、ユーグの様子などおかましなしに子猫は大興奮でお遊び中だ。


「……いや、早かったな。寝ているところを起こしたというのに」


 なんとか顔だけリッカに向けたユーグだったが、いまだに足元で子猫をじゃらしているので格好がつかない。この場に赤騎士か桃騎士がいれば「ユーグ! 雑草雑草! とりあえず手放しとけ!」と言ってくれたかもしれないが、ユーグの手はあいかわらず雑草を持ったままである。


「いえ、まだ眠っていませんでしたから……。って、あれ? シュシュがなんでこんなところに?」


 急いで来たためか軽く息をはずませたリッカは、ようやく子猫に気づいたらしい。雑草を捕まえて穂先にがみがみ噛みついていた子猫を、慣れた仕草で抱きあげた。リッカの両手のひらに納まるほど小さな子猫だ。


「お前の飼い猫なのか?」

「はい。一カ月ぐらい前にルイが……庭師見習いの子が拾ってきたんです。その時にようやく目が開くかって時期だったから、まだまだ赤ちゃんで外に出したりできないから部屋で飼ってるんですけど。……おかしいな、どうやって抜けだしたんだろう」


 リッカは首をかしげて、子猫……シュシュを顔の前まで持ち上げる。遊びを中断されたシュシュは抗議するかのように「みみー!」と鳴いたが、喉元をくすぐられるとすぐにゴロゴロ言い始めた。


「……とりあえず、座ったらどうだ」

「ああ、ではお言葉に甘えて」


 目線でうながされた通りに、リッカはユーグの左隣に腰を下ろした。子猫のシュシュは膝の上にのせる。喉をなでられて気持ちよさげに目を閉じているシュシュはすっかりおとなしい。


「ゆくゆくは立派なネズミ捕りの猫になって欲しいんですが、今はまだ外に出すと危ないので……。脱走経路をきちんと探さないといけません」

「そうか。これほど小さくてはそこの孔雀にも踏みつぶされそうだからな」

「いや、さすがにそこまでトロくはないですよ。そこで寝てる孔雀のジャクリーヌは温和な性格ですし」

「……あれはオスだろう? なぜ女の名なんだ?」

「孔雀に名前をつける機会があれば、ぜひとも『ジャクリーヌ』とつけたいと思っていたからです。理由は説明がめんどくさいので聞かないでください」


 不可解な言い分にユーグは微妙な顔をした。リッカは苦笑して言い足す。


「語呂合わせなんですよ。私が元いた世界の言葉でね。『クジャクノジャクリーヌ』となって音がかぶって面白い」

「そのようには聞こえないが?」

「でしょうね。この国とは発音方法からして全然違いますから」


 目元は優しく和んだままだが、なんとなくその笑顔が寂しげに見えて、ユーグは言葉につまった。この女が異世界から来た、という事実が初めて実感として胸に迫った気がする。根本的に違う言語を習得することは決して容易いことではなかったはずだ。

 たとえば自分がいきなり東の果てのファンロン大陸に流されたとしたら、とユーグは想像してみる。果たしてそこで暮らしていけるか。剣技はどの国でも役に立つだろうが、一人の知人もいない、言葉も習慣も異なる国での生活に耐えきることができるかは疑問だ。ましてや、それが異世界となると想像もつかない。

 無言になったユーグの隣で、リッカは子猫をなでている。遊び疲れたのか子猫はリッカの左手を枕にするように丸くなって、寝こけ始めた。そうやって眠っていると白いふわふわした毛玉にしか見えない。

 目線は子猫に向けたまま、静かな声でリッカが尋ねた。


「ええと……私になにかご用だったのでは?」


 ユーグははっと我に返った。呼び出したのはそもそも自分なのである。黙っていていい道理がない。


「その……だな、お前に話があって……」

「はい。なんでしょう」


 なんとか切り出そうとするが、どうしても口ごもってしまう。どう話そうか、ということじたい、ユーグの中で固まっていなかったからだ。

 騎士団長に確認を取り、メイエ所長の役割や話したことが真実であることはわかった。そうしてドゥルリアダ王国にリッカが狙われていることから、陰謀の全貌をたぐれないかと上層部が考えていることも知らされた。騎士団長の思惑としては、騎士がリッカを守ることで表側からも働きかけたいらしい。

 ただ、そのためには裏側の実力者であるメイエ所長の協力が必須となる。王立薔薇園の管轄にメイエ所長の許可なく深く関わることはできない。

 だとすればメイエ所長が出した条件を飲むしかないのだ。


『リッカちゃんを守ると決めたのなら、今夜中にお付き合いの申し込みをしに来ないと、君は降りたとみなすから注意してくれたまえ。……その気がないのなら、彼女のことはきっぱり忘れることだね』


 忌々しい女ダヌキの声が頭の中で繰り返されて、ユーグは奥歯を噛みしめた。お前に指図される筋合いはない、とも思う。だが今夜中にリッカに会いに行かなかった場合、言葉通りに二度とユーグを関わらせないようにすることぐらい、あの所長はやるだろう。

 それはとても腹立たしいのだ。

 ユーグは横目でリッカを見やる。寝入った毛玉……子猫を愛おしげになでている表情は、とてもやわらかい。この女の表情にはどこにも尖ったところがない、とユーグは思う。微笑む顔も、驚いた顔も、どこか優しく、花びらのようにふんわりした印象があった。

 この女が害されるのは、我慢がならない。

 ユーグがはっきりと自覚できているのは、それだけだ。

 昨日会ったばかりの女に、好いた惚れたと言えるほどユーグは器用な男ではない。自分が抱いている感情をうまく言葉にできる男でもない。そもそも、リッカのことを好きなのかどうかすら、曖昧なのだ。色恋沙汰を忌避しているユーグは意図的にその疑問を後回しにしていた。

 だから沈黙が続くのもやむを得ない。

 頭を掻きむしりたくなる衝動を抑えながら、ユーグは必死で言葉を探す。自分はなにを言いにきたのか、それだけが煮詰まった頭から噴きこぼれるようにして言葉になった。


「俺と付き合わないか」


 子猫をなでまわしていたリッカの手がぴたっと止まった。思わず、という風情で顔を上げたリッカとユーグの視線がばっちり合う。目を丸くしたリッカの驚愕を見てとり、ユーグは大慌てでまくしたてた。


「か、勘違いするんじゃないぞ! 別に俺がお前のことが好きだとか、そういうことではない!」

「……ああ、まぁ、それはそうですよね。あー、びっくりした……」


 まだ衝撃が覚めやらぬように、リッカが気の抜けた声を出した。自分を落ちつけるためか膝の上の子猫を再びなで始める。

 ユーグは夜目にもはっきりとわかるぐらい真っ赤になって、湯気が出ていないのが不思議なくらいだ。自分がした発言のあまりの恥ずかしさに憤死しそうな勢いである。


「これは、その……あれだ。そういう色恋の話ではなくてだな、つまり……あれだ。その……」


 いや『あれ』と言われても、と一瞬ツッコミたくなったリッカだったが、ひとつ思い浮かんだことがあったので言ってみる。


「もしかして、あれですか。見合い相手の中から付き合う人を絶対に選ばなくちゃいけないとか、誤魔化すために付き合うフリをしようとか、そういうあれですか?」

「そ……そうだ。これだけ大々的な見合い会をしておいて、誰も選ばないとなれば母上は納得しないだろう」


 そういえば『見合いで会った娘から、一人としばらく付き合う』という言質を取られていたことを、今さらながらユーグは思いだしていた。こちらも厄介な問題なはずなのに、すっかり忘れていた自分が信じられない。それだけドゥルリアダ王国の陰謀やリッカのことで頭がいっぱいだったのか、と衝撃を受ける。

 そんなユーグの隣で、くすくすと軽やかな笑い声が響く。いたずらを持ちかけられた子供のような顔で、リッカはうなずいていた。


「いいですよ。私でお役に立てるなら、お付き合いしましょう」

「…………いいのか?」

「はい。だってなんというか、面白そうですし」


 あまりに軽いノリに、ユーグは肩透かしを食らう。これでいいのか、というもやもやした思いがした。ユーグにとって最も都合の良い解答のはずなのに、だ。

 納まりの悪い感情を打ち消すように、不機嫌な口調で言う。


「……そうか。では敬語はやめてもらう。それから、遠慮せずに名前を呼び捨てにしろ。フリとはいえ、あまり他人行儀ではあやしまれる」

「確かにそうですね。……ええっと、ではよろしく。ユーグ」


 初めて名前を呼ばれて、鼓動が跳ねた。

 さっきから動揺しているのが自分だけのようで、ユーグはなんだか面白くない。


「…………ああ、こちらからも頼む。リッカ」


 リッカが軽くお辞儀したせいだろうか、膝の上で太平楽に寝こけていた子猫が目を覚ました。やる気に満ちあふれた目で四肢をふんばり、「みぃ!」と鳴く。ユーグは照れ臭い気分をごまかしたくて、なんとなく子猫に手を伸ばしてしまう。

 かぷり、と音がした。


「…………くっ」

「ちょ……あはは! 駄目だってシュシュ! 放しなさい!」


 子猫はユーグの手に飛びついて、がじがじと甘噛みを始めたのだ。本当に甘噛みなのかどうかは、ユーグの眉間にシワが寄っていることからかなりあやしいが。

 猫は生後一カ月もすれば乳歯が生えそろう。

 リッカの努力によって子猫は引き離されたが、ユーグの手には少し血がにじんでいた。


「……笑ってごめん。ええと……大丈夫?」

「当たり前だ!」


 少しだけ親しくなった二人と一匹を、夜空を昇る半月が優しく照らしている。

 暦の上では四の月も終わろうかという、穏やかな夜のことだった。





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