11.「我が輩は影である。名前はまだない」
警備兵の詰め所は堅牢な造りをしていた。
王立薔薇園が貴人の監獄、オクトゴーヌ離宮と呼ばれていた時代に建てられたものだから、それも納得だ。内からの脱獄にも、外からの襲撃にも備えた建物は正門を見張るかのように威圧感を放っている。
メイエ所長に案内され、ユーグが詰め所に入ると周囲がざわめいた。ユーグの顔を知らずともその服装で『白騎士』であるということはすぐにわかる。白で統一された騎士服をまとい、金色の肩章をつけることを許されているのは王立騎士団白部隊の長しかいないのだから。
浮足立っているのは制服を着た警備兵のみだった。ちらほらいる庭師姿の男たちは、なぜだかそろって体格が良く、また端然とした態度を保っている。
(……ここに雇われている庭師には体格規定でもあるのか? それとも全員、女ダヌキの『部下』とやらなのか?)
ユーグはまだ、メイエ所長の趣味を知らない。筋肉に優れた男を雇い入れ、戦闘要員並の訓練を施しているという事実もだ。ちなみに教育方針は『筋肉を鍛えたる者、常に泰然自若としてあれ』である。
「こっちが牢屋だね。どうぞどうぞ、むさくるしい所だけれど」
鉄格子の中には両手両足を縛られ、芋虫のごとく転がっているならず者どもが大勢いた。薔薇泥棒、というからには単独かせいぜい数人のコソ泥を思い浮かべそうだが、ずいぶんな大人数だ。軽く三十人はいるだろう。
「この人数がどうやって忍び込んだ? 侵入される前に警備兵が気づかなかったのか?」
「夕方にやってくる荷馬車が乗っ取られてたんだよ。その上、今日の入門検査役だった警備兵君の幼い娘さんが人質に取られててね、まんまと園内に入られたってわけさ」
「人質だと……?」
「ああ、正直そのことが一番厄介だった。おかげで我が輩の部下を召集しなくちゃならなくて、守りが手薄になってしまったのだね。……まぁこの話はあとでしよう。あ、もちろん娘さんは無事だったよ。我が輩の部下の助力によって、ジョゼフ君の筋肉の真骨頂がいかんなく発揮されたからね」
そういえば先ほど通って来た部屋で、五歳くらいの女の子を抱えた警備兵が筋骨たくましい庭師に何度も頭を下げていた。微妙に異様な光景だったから、よく覚えている。
「……その警備兵は罰せられるな」
「まあね。だが彼を厳罰に処すよりもまず、やらなくちゃいけないことがあると騎士団長も陛下もご存じだよ。……我が輩からも進言するつもりだしね」
「だから、お前はいったい何者なんだ」
「その話をするには、そっちの小部屋を使った方がいいね。では行こうか白騎士殿」
メイエ所長が笑顔で指差したのは尋問部屋だった。
なるほど、壁が厚くて悲鳴ももれない安心設計である。
密談にはうってつけかもしれなかった。
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窓もない尋問部屋はがらんとしていた。
石壁に取り付けられたランプには火が灯っていたが、なんとも薄暗い。その頼りない明りに浮かび上がる家具は二つしかないのだ。
一つはまともな椅子。ごく簡素な木製のものである。
もう一つはまともじゃない椅子。鉄製の拘束具が背もたれと肘かけと脚部に取り付けられており、ものすごく座り心地が悪そうだ。尋問される罪人の様子がありありと浮かんでくる。
「さあどうぞ、まずは座ってくれたまえ!」
とってもイイ笑顔でメイエ所長が椅子を勧めた。当然のごとく、自分はまともな方の椅子に腰かけてから、である。
「……立ったままでも問題はない」
「遠慮する必要はないよ? 長話になるかもしれないしね」
「警護の時など、どれだけ直立不動でも苦にはならん」
冷気を漂わせながらも完璧な無表情を貫くユーグに、メイエ所長はつまらなそうに目を細めた。長い足を高々と組んで、高慢な雰囲気をかもし出す。ちなみに彼女は男装をしている。貴族の子弟が着ていてもおかしくない仕立ての良いシャツとズボン、伊達男めいた刺繍入りのベストにロングコートの組み合わせだ。女性らしい肉感的な肢体が男物の衣服に包まれているというのは、どこか背徳的であり非常になまめかしい。
どんなに色気があろうと、ユーグには厄介なタヌキにしか見えないのだが。
「では話を始めようか。まずは先ほどの君の質問に答えよう。我が輩の表の名はメリザンド・メイエ。王立薔薇園付属研究所、所長だ。裏の名は……」
波打つ金髪がまるで蛇の群れのごとくうごめいたように見えた。実際にはくぐもった笑い声を立てて、身を震わせているだけなのだが。髪の奥からでもよく光る紫の瞳が、ランプの明かりを吸収して妖しく揺らめく。
「失敬。表の名、裏の名、とただ単に言ってみたかっただけでね。……『我が輩は影である。名前はまだない』とでも言っておこうかな。ああこれはリッカちゃんがいた世界での、有名な小説の書き出しらしいよ。影ではなく、猫って言っていたけれど」
「全く笑えんし、返答にもなっていないと思うが?」
「そうかな? 要するに我が輩は『名無し』の隠密部隊の幹部ってわけさ。全てを掌握しているわけではないけどね」
「隠密か。陛下直属の、そういった組織があるとは知っていたが……」
「誰がその役職を担っているかは知らないだろう? 君たちは表舞台で華々しく活躍する光、我が輩たちは存在すら知られないことを最上とする『名無し』の影だからね」
なにがおかしいのか笑みを口元に載せたままの女に、ユーグは眉をひそめた。世には引き寄せた虫を食らう植物があるという。己が話におびき寄せられた虫なのではないかという想像に、吐き気がした。
「それが真実だという証拠はどこにある?」
「騎士団長に訊いてみるといいんじゃないかな? あるいは国王陛下に。そのお二方以外に口外した時点で、とてもとても残念だけれど君を始末しなくちゃいけないからね」
「実のところ、もう始末する気でいるのではないのか?」
「まさか! 確かに我が輩は君が嫌いだが、昨日までは別に嫌いじゃなかったんだよ? 君がリッカちゃんに失礼なことするまでは、むしろ高く評価していたと言っても過言じゃない。今の時点でも、頼みたいことがあるくらいだからね」
「それがべらべらと喋る理由か」
向かい合って話をするために、ユーグが立っているのは尋問用の椅子の傍らだ。こちらは立っていて、向こうは余裕の態度で座っているというのに、たやすく勝てる気がしないのは女ダヌキの底知れない雰囲気のせいだろう。笑みを絶やさぬ化けの皮がはがれたら、どんな怪物が出てくるかわからない。
「ふむ……では最初から説明しよう。ひと月後に迫った『女神聖誕祭』に乗じて、ドゥルリアダ王国がよからぬことをしようと企んでいるらしい」
「なんだと……」
ユーグは気色ばんだ。
ドゥルリアダ王国はシェーヌ王国の敵対国である。西の海に浮かぶ島国であり、国王が不老だの邪術が盛んだの、不気味な噂の絶えないところだ。シェーヌとの間でたびたび戦も起こっている。
「『女神聖誕祭』は外国人客も多く来るからね、敵にとっては好機だってのもわかる。でも問題はドゥルリアダ王国が具体的に何をするつもりなのか読めないことと、シェーヌ国内に裏切り者がいることだよ」
「わかっている裏切り者から、内通者をあぶり出すことはできないのか」
「ことはそう単純じゃない。今わかっている奴らは下級貴族がほとんどでね。おそらくは捨て駒だ。大本はもっと上の貴族にいるんだろうけど、不気味に動きがつかめない。下級貴族からたどろうにも、以前からの派閥とは無関係に裏切り者がいるみたいで、手を焼いているところさ」
女神聖誕祭は六の月始めの八日間続く。咲き誇る薔薇と盛大な宴、踊りと歌で《愛と結婚の女神》ロゼルディーアの聖誕を祝う、シェーヌ王国で一番華やかな祭りだ。王都には祭りをひと目見ようという人々が押し寄せ、友好国から賓客も招かれる。ある意味、騎士団が一番忙しい期間でもある。
そこへドゥルリアダ王国がなにか仕掛けてくるとは。
ぞっとしない話にユーグは唇を噛んだ。
「なんとしてでも、祭りが始まる前に謀略をつぶさねば」
「うん。それでね、ここからが本題なんだけれど……どうやらリッカちゃんがドゥルリアダ王国に狙われているみたいなんだ。目的は不明だけどね」
「先刻の襲撃もその一端だと? 薔薇泥棒をおとりとして使い捨て、刺客にリッカをさらわせるということか?」
「ご名答。さっきの暗殺者への対処でもそうだけど、思った以上に使えるようで嬉しい限りだよ、白騎士殿」
「こちらに刺客がやってきたのは……俺を試したのか?」
「いやいや。さっきも言った通り、人質事件で我が輩の部下……『名無し』の部下を集めなくちゃならなくてね。それで王立薔薇園にあんな厄介な相手の侵入を許してしまった。リッカちゃんの傍に白騎士殿がいてくれて、助かったのは事実だよ。……まぁ仮に君がいなくても、むざむざリッカちゃんをさらわれたりはしなかっただろうけどね」
メイエ所長は白く長い指先で、鋼色の何かを扇状に開いた。
いつのまに拾ったものか、先ほどの暗殺者が放った蝶の形の刃である。
「コレを扱えるっていうのは、暗殺者の中でも上等な部類に入ってね。惜しいところで逃げられたよ。……ドゥルリアダ王国が昨日の今日で、こんな直接的なやり方に訴えるとは思ってなかったからね、油断した」
「なにか含む言い方だな」
「どうやら敵さんはリッカちゃんを生きたまま連れていきたがっててね。裏切り者と目される男爵家の三男坊との縁談が持ち上がってたんだよ。アロイス・バザンっていう、ちょっと顔が良いことに調子乗って、社交界のお花を食い散らかしてる遊び人。親に指示されてだろうけど、一回ここにも来たよ。無論、筋肉に優れた庭師諸君を勢ぞろいさせて、すぐにお引き取り願ったけどね」
ひくり、とユーグのこめかみが一瞬ひきつった。
あいかわらず氷のような無表情を保ってはいるが、どことなく不機嫌の度合いが上がったように見えるのは気のせいではない。嫌がらせを我慢している猫みたいに、今にも爪が出そうな物騒な雰囲気がにじみ出ている。
「ほう……、それを断るための俺との見合いか」
「そうそう。『リッカちゃんは白騎士を熱愛していて、お見合い会に参加するから無理です!』ってお断りしたよ。あの時は本当にちょうどよくてね。見合いの申し込み期間だったから飛びつかせてもらったんだ。幸い、白騎士殿の母君、シャルダン侯爵夫人とは以前から面識があってね、選考は通させてもらった。……まぁ、彼女は彼女でなんらかの企みがありそうだったけどね」
「それで……俺への頼みとは、いったいなんだ」
「端的に言うとね、白騎士殿にはリッカちゃんの虫よけになってもらいたい。恋人という名のね。あ、婚約者でもいいよ?」
どこまでも底抜けに朗らかに言うメイエ所長の笑みを見て、ユーグは己のこめかみに指を当てた。血管が切れてないか心配だったのだ。本気で。
無言でにらみつけると、ニコニコと続けられた。
「もちろんフリだけでかまわない。それも期間限定だ。女神聖誕祭が終わるまでだから、まぁひと月ちょいだね。シャルダン侯爵家の次男坊、かの有名な白騎士殿が恋人となれば、この線から敵さんがリッカちゃんに手を出すことはできない。やー、リッカちゃんもお年頃だからね。美男に口説かせて囲っちゃおうなんて敵さんもなかなかいやらしい手を考えるもんだと思ったよ。それを完全防御するためには、白騎士殿がこのままリッカちゃんの恋人役を引き受けてくれるのが最善手だ」
ユーグは軽く目を閉じ、額に手を移動させた。手のひらがひんやりしているように思えて、自分の頭が煮詰まっていることを悟る。この熱が怒りであることははっきりしていたが、怒りの理由がつかめない。女ダヌキの手前勝手な提案が気に食わないのか、見合いという事態に振り回されている自分が腹立たしいのか。
それとも、リッカに手を出そうとした男がいたことに苛立っているのか。
そこまで考えて、ユーグは首を振った。今、考えるべきことは他にある。
しばし黙考し、低い声でうなった。
「……まずは団長に真偽を確かめに行く。全てはそれからだ」
相手に呑まれてはならない。その場の激情にまかせて、うかつに言質を取られていい相手ではない。自分は王立騎士団に属するひと振りの剣である。
そう己に言い聞かせ、ユーグは背筋を伸ばした。
対する女ダヌキは口の端をにんまりつり上げて笑っている。
「そう。ではそうしてくるといい。だがリッカちゃんを『守る』と決めたのなら、今夜中に『お付き合い』の申し込みをしに来ないと、君は降りたとみなすから注意してくれたまえ。……その気がないのなら、彼女のことはきっぱり忘れることだね」




