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10.薔薇園をはやてのように駆け抜けろ

 


 鳥になって上空から見下ろしたならば、王立薔薇園は正八角形をしていることが分かるだろう。正八角形の城壁に囲まれた広大な敷地に、幾何学的に配置された塔と、離宮というイメージにふさわしい壮麗な館の数々が納まっている。そしてこれだけ広大な敷地の庭が全て、薔薇を主役として整えられているのだ。花の時期になれば、ヴィヴィアンヌ女王の薔薇への執念か、アルベール一世の熱情が感じられるほどの薔薇の園となる。

 王都は南側に広がっており、当然、正門は南にある。外と出入りできる門はこの一カ所しかない。大昔には通用門が北や西にもあったらしいが、オクトゴーヌ離宮が貴人の幽閉場所として使われるようになってから閉鎖されてしまったらしい。特に不便はないので、王立薔薇園側も門を復活させようとはしていない。

 リッカが古池に向かって問いを叫んでいたのは、東側のどんづまり。壁の近くである。

 そして薔薇泥棒が狙うのは西側に集中している研究棟だ。特に優秀な新種の薔薇は鉢植えにして、研究棟のそばで育てられているのだ。

 つまり、リッカは広大な敷地を東から西へ突っ切らねばならなかった。

 花壇は決して踏み荒らさないように、ちょこまかと最短経路の小道をひた走っているのだが、全力疾走で駆け抜けられるほど王立薔薇園は狭くない。途中で息切れが起こるのは、必然であった。


「……っ……はぁ……はぁ、す、すいませんが先に行ってくれませんか。この道をまっすぐ行けば研究棟近くに出られますから。騎士様が来てくれたら、みんな心強いはずです」


 額に汗を流し、息を切らせているリッカの頼みをユーグは一言で斬り捨てた。


「女一人でいる所に、逃げてきた賊と出くわしたら危険だろうが」


 さっきから長い足を持て余してるみたいに、余裕のあるペースで並走していたのはそれが理由だったのか。無駄に長い足しやがって……騎士なら現場に駆け付けろ、と涼しげなユーグに心の中で毒づいていたリッカは反省した。


「ええー? 大丈夫ですよ、たぶん。そんな運の悪いこと、そうそう起こりませんって」

「そうか? 俺にはお前はそういう妙なことに巻き込まれやすい女に見えるが。……そもそもな、賊がいるかもしれん場所にとろそうなお前が駆けつける意味はあるのか? ここにも警備兵はいるだろうに」

「なっ! ひどい言い草ですね! 自分で育てた薔薇は我が子同然! 愛しい娘が誘拐されそうって時に、駆けつけない母親がいますか!?」

「なにを言っている。薔薇は薔薇だろう。お前みたいに怪我をしたら血を流すわけでもない」

「くぅうう! そちらこそなにをおっしゃる! 薔薇より私の方が大事だって言うんですか!?」


 薔薇関係の話題ではヒートアップしがちなリッカは、自分がなにを口走っているのかあんまり自覚していない。というか、ぶっ通しで働いた疲労プラス全力疾走プラス薔薇論争で、疲労度が高すぎて冷静な思考能力が皆無となっている。

 そんな、酔っ払いのわめきと同程度の叫びだったのだが、ユーグは顔を真っ赤に染めてうろたえ出した。


「ち、違うぞ! 俺は別にお前のことを、そんなふうに思っているわけではない!」


 そんなふうってどんなふうだよ、という冷静なツッコミを入れられる余裕は今のリッカにはない。あるのはただ、薔薇泥棒に対する怒りと薔薇を軽んじたユーグに対する怒りである。


「じゃー、すぐに盗まれそうな薔薇のもとへ行ってくださいよ! 疾く早く! 疾風のように!」

「ではお前はどこか安全な場所へ行ってろ!」

「嫌ですよ! まだ名前もつけられてない新薔薇ちゃんが盗まれたらどうします!」

「だからお前が行っても意味はないと……」


 首筋がちりつく感覚に、ユーグは言葉を切った。

 騎士としての戦闘経験が思考よりも早く体を動かす。振り向きざまに抜剣。斜めに斬り上げた剣が、キィンと澄んだ音を立てて『何か』をはじき飛ばした。

 防がねばユーグの首に刺さっていただろう『それ』は、見たこともない武器だった。投げナイフではない。柄のないナイフなどナイフとは呼べない。それは蝶の翅のような形をした刃であった。美しい紋様さえ描かれていれば優美とも言えるだろう造形だったが、鋼色のみで構成されたそれは殺傷力に満ちあふれた純然たる凶器でしかない。


「近くの石像に隠れていろ」


 剣を構え、背後のリッカへと叫ぶ。一瞬にして研ぎ澄まされたユーグの感覚は、敵の殺気を正確にとらえていた。針のように刺してくる殺気、その全ては自分に向かっていることを。

 それを証明するかのように、夕陽にきらめく刃がユーグめがけて襲いかかった。

 その数、五。

 回転しながら迫りくる刃は直線に飛ぶものもあれば、半円を描くものもあったが、全ての軌道はユーグへと収束していく。

 真上から、右から、あるいは左下から己の体を切り裂かんとして飛んでくる刃を、全て防ぎきるなど常人には不可能なことだったろう。しかしユーグはそれをしてのけた。避けることすらせずに、五つの刃を剣ではじき返したのだ。


「無駄だ。俺を仕留めたいのであれば、姿を現わすがいい。そうすれば利き手から剣を持ちかえて相手をしてやるぞ」


 意味のない挑発だとわかっていたが、ユーグには他に手がなかった。敵の潜んでいる木立に分け入っていくにはリッカが気がかりだったのだ。敵の意図が読めない以上、リッカから離れすぎるわけにはいかない。

 だから、こちらから仕掛けることはできない。

 相手の攻撃を全てさばき切る覚悟を決めたユーグだったが、次の瞬間、敵の気配は唐突に遠ざかった。すぐに倒せないのならば用はない、と言わんばかりのあっさりとした退却に疑念が頭をもたげる。


(……あれは盗賊ではない。明らかに暗殺者の気配だった。その上、狙いが俺ではないとすると……?)


「リッカ! 怪我はないか!」


 首をめぐらすと、白い女神像のかげからひょっこり上半身をのぞかせたリッカと目が合った。両手で大事そうに菓子の包みを抱えているところが、可愛いと言えなくもない。そう思ってしまった後で、今はそんな場合かとユーグは自分に舌打ちした。


「怪我は……そりゃないですけど。何がなんだかさっぱり。キィンキィンキィンッと音がしましたが……襲撃、ですか? 薔薇泥棒がここまで?」

「いや……」


 否定しかけて、口ごもる。あの暗殺者の狙いがユーグの考えた通りであるならば、それをリッカに伝えることが最善なのかどうか判断に迷ったのだ。


(おそらく先刻の敵は、邪魔な俺を短時間で始末し、リッカを連れ去る心算だったのだろう。それが不可能だと悟ったゆえの素早い退却。……そう考えれば、つじつまは合う)


 だがリッカが狙われる理由がわからなかった。そして、リッカも自身が狙われているなど夢にも思っていない。危機にさらされている人間が、あんなに屈託のないやわらかな笑顔を浮かべられるわけがないということをユーグは知っていた。


「大丈夫ですか? どこか怪我を?」


 眉間にシワを寄せて考え込んだユーグに、いつの間にかリッカが近寄ってきていた。


「いや、違う。俺は怪我などしていない」

「でもなにか、痛そうな顔をしていますよ?」


 首を少し動かせば触れ合える距離から顔をのぞきこまれ、ユーグは息を呑んだ。深い色の瞳に慌て、そんなことはない、と言いかける。その時、感覚が鋭敏になっている耳が遠くから聞こえてくる声を拾った。


「おーい! リッカちゃーん! そこにいるかーい?」


 底抜けに能天気な調子なのに、どこか艶やかな女の声だ。警戒を解かずに視線をやれば、ぶんぶんと手を振りながら緑の小道を駆けてくる金髪の女の姿が見えた。王城で何度か見かけたことのあるその人物に、ユーグは苦々しい声でつぶやく。


「メリザンド・メイエか……」

「おや! 白騎士殿! 全体的に白いから白大理石で造った石像かと思っていたんだね。間違えられたりしないかい? 特に女神像とかに」

「するわけがあるか」


 信用ならない相手に対する時の基本姿勢である氷のような無表情になったユーグに、メイエ所長はニコニコと話しかけた。所長も目が笑っていないから、あたりに漂う空気はとても寒々しい。


「所長! どうしてこちらに!?」

「おおっ、リッカちゃん! 無事かい! どこにも怪我はないかい!」

「ええ、まあ、そりゃ隠れてただけですから。私よりお二方のほうが……」

「大丈夫だよ! 我が輩が怪我なんてするわけないし、白騎士殿は血が出たら目立つ格好をしてるからね。ほら、ご覧! この驚きの白さ!」


 大仰な身振りでユーグを示す上司の姿と、憮然としてはいるが血の赤は見当たらないユーグに安心したらしく、リッカは笑顔を見せる。

 ユーグは敵の気配がどこにもないことをもう一度確認してから、ようやく剣を納めた。あいかわらず、メイエ所長に厳しい視線を向けたままだが。


「本当にお二人とも怪我はありませんか?」

「ないない。リッカちゃんは心配性だなぁ。あ、薔薇泥棒は全員もうとっ捕まえたから、そっちも心配しないでほしいんだね。さっき白騎士殿が戦ってたのが取り逃がし一名で、そいつももう我が輩の部下が捕らえたから」

「……本当に捕らえたのか? そもそも、いつから見ていた?」

「白騎士殿が奮戦していたところからだよ! 飛び道具使うなんて、最近の薔薇泥棒もなかなかやるよね! 白騎士殿にびびって逃げたところを、我が輩自慢の部下がふんづかまえたから、もう安心さ!」

「だが気配は……」


 なおも疑念を口にしようとしたユーグを、メイエ所長は目線だけで制した。紫の双眸がすっと細められ、肌がちりつくような威圧感がユーグを刺し貫く。強者のみが持ちえる圧倒的な威圧感であった。


「でもまぁ事件は解決したけど、白騎士殿には詳しい事情を聞いてもらおうかな。巻きこまれた以上は関係者になってしまったわけだしね?」

「……王立騎士団所属の騎士には、警備兵や施設管理者より上位の権限があることを知っているか?」

「もちろん知っているとも! でも国王陛下や騎士団長の指示もなしに、もう解決した小競り合いに偉そうな顔で介入するほど、騎士は傲慢でも低能でもないってことも知っているからね。そうだろう? 白騎士殿」


 背景に雷雨の中戦うドラゴンとタイガーが見えそうなほど、ぴりぴりした空気が流れる。

 ユーグは、にらみつけても小馬鹿にしたように鼻で笑うのみのタヌキに、この場合従うしかないということが心底忌々しかった。


「……捕らえた賊というのはどこにいる?」

「正門近くの警備兵の詰め所だね。ここから南に行けばすぐだよ」


 折れた若造に勝ち誇るでもなく、メイエ所長はくるりとリッカに向き直った。その顔には真に慈愛に満ちた微笑みがたたえられている。


「というわけで、リッカちゃん。君には盗まれかけた薔薇たちの安否を確かめるという、重要な任務がある。西の薔薇園に行ってもらえるかい?」

「はい! もちろんです! むしろ即行で! では行ってきますね!」


 いつもとは全然違うハイテンションで駆け去ろうとするリッカ。おい待て一人で行くな、と引き留めようとしたユーグはまたもや所長に制止された。


「大丈夫なんだね。白騎士殿など比べ物にならない素晴らしい筋肉がリッカちゃんを守る」


 見れば、いつの間にか現れた巨漢がリッカの横についていた。リッカと比べるとまるで森の子リスとクマぐらい体のスケールが違う。庭仕事用のエプロンをつけ庭師の格好をしてはいるが、足運びが素人ではない。

 小動物を守る心優しきクマみたいな男に、ユーグは同僚の黒騎士を思い浮かべた。筋骨隆々具合では『七人の騎士』一番の男を。


(腹は立つが、この女ダヌキがリッカを危険にさらすとも思えん。先刻の刺客の狙いがリッカだったとはいえ、本当の脅威はもう去ったのだろう。……護衛もいることだしな。…………腹は立つが!)


 ユーグは内心の怒りを押し込めた。深く息をついて、前々からうさんくさいと思っていた女をにらみつける。


「では、詰め所とやらに行こう。……全て説明してもらうぞ」








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