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09.古池や飛び込ませてよ羞恥心

 



 王立薔薇園はもともと、オクトゴーヌ離宮と呼ばれる王家の城の一つだった。

 王都をのぞむ見晴らしの良い高台に造られ、要塞であったことを示す高い城壁と八つの塔を有する。景色が良く、植物の育ちも良いためだろうか、王族の離宮として愛されるようになり、優美な館の増改築が繰り返された。

 

 それがいつの頃からか、貴人を幽閉する場所として利用され始め、長らく『オクトゴーヌ』といえば八角形と共に、監獄というイメージが重苦しくつきまとうこととなる。

 最も有名なのは、二百年近く前にこの離宮で命を散らしたヴィヴィアンヌ女王だろう。

 薔薇狂いと称されるほど赤薔薇を好んだ彼女は、残虐な処刑を好む女王でもあった。戦の多い野蛮な時代であったとはいえ、民は女王の暴虐を恐れ、国は血染めの狂気に染まったと言われている。女王の異母弟であるアルベールⅠ世は反女王派をまとめあげて、姉王を廃位に追いやり、オクトゴーヌ離宮に幽閉した。

 民衆は、ヴィヴィアンヌは処刑されるものと思いこんでいたために憤ったが、アルベールⅠ世は意に介さなかったという。むしろ、異母姉のために大陸中の薔薇を全種、オクトゴーヌ離宮に集めるといった首をかしげざるを得ない行動まで取った。ヴィヴィアンヌが塔から身を投げ自殺した後も、王の薔薇収集は続き、亡き異母姉に捧げるような薔薇の大庭園が完成したのだ。

 対外戦争において諸外国を打ち破り、名君との誉れ高いアルベールⅠ世ではあるが、異母姉を愛して囲っていたのではないかという説が、歴史家の間でも飛び交っている。


 そんなおどろおどろしい場所、オクトゴーヌ離宮。

 八角形は聖なる図形であるのに、監獄の代名詞として使われるのは不適切だと主張し、現国王がその名を廃し、王立薔薇園を設立したのが十年前のこと。つまりリッカが来た八年前というのは、王立薔薇園は出来たてほやほやだったのだ。当然のことながら、付属研究所なるものはもっと出来たてだったわけで。リッカは研究所の最古参のメンバーになってしまった。

 メイエ所長に拾われ、人工授粉の手法もメンデルの法則も発見されていなかったこの世界で、ひたすら薔薇の品種改良に心血を注いで、はや八年。


 リッカは今まで味わったことのない羞恥心に襲われていた。





******





 金色の夕日が庭園を蜂蜜色にひたす、美しい夕暮れ時である。

 今は四の月の終わり、晩春といっていい時期だ。この時期の王立薔薇園は忙しい。日が昇る前からやることは山のようにあり、一日中かけずりまわっていたリッカだったが、いい加減もう休めと同僚たちに蹴りだされた。なかなかアグレッシブな同僚たちなのである。

 リッカは今日、朝食も昼食も作業をしながらパンを口に放り込んで済ませた。

 休憩はもちろん取っていない。だって休憩したくなかったから。

 

 一息つくと、いや、ちょっとでも手を休めると、叫び出したいほどの羞恥心がこみ上げてくるのである。動きまわっていた方が何倍もマシだ。


「『後悔している暇があったら、やるべきことをひたすらやれ。真剣に、心をこめて、全力投球で。あんたの恥なんぞ、ぺんぺん草みたいなもんだ。とっととむしって堆肥にしちまいな』…………その通りです、おばあさま。その通りだと本気で思いますが……だが恥ずかしいものは恥ずかしい! うあああ、これは恥ずかしい!」


 誰もいない池のほとりで、リッカは黒髪をふり乱した。

 嵐のように襲ってくる羞恥心の源は、昨日の見合いでのこと。


「だってほら、花は育てて愛でて研究するものであって、髪に飾るなんて発想がなかったからね! 今まで、ぜんっぜんしゃれっ気もなかったし! 知りませんよ! 花とか装飾品外すのが、あっはんうっふんなアピールだとか!」


 ユーグが唐突に立ち去り、どうやら自分はまずいことをしでかしてしまったらしいと思いはした。ヨーロッパでは白い手袋を相手に投げつけるのは決闘の申し込み、というマンガ知識はあったので、『白い花……やべぇ私、決闘申し込んだの?』とかは考えた。

 現実はその斜め上だったわけだが。

 馬車で王立薔薇園に送り届けられ、メイエ所長に尋ねた時の、あの衝撃といったら。


『特に白い花を外してわたすのは……生娘を扱うみたいに優しく抱いてね、っていう意味合いになるんだね……』


 メイエ所長のあんな申し訳なさそうな表情をリッカは初めて見た。所長は悪くない、と彼女は唇をかみしめる。マナー以前の常識であるならば、事前に気をつけろというのは不可能に近い。せめてリッカがもう少ししゃれっ気のある女であれば、八年の間に気づけたかもしれないが、装飾品をつけることもなくここまで来てしまったのだ。どちらかといえば、リッカの女子力のなさが原因であると言えよう。


(そう、自分が悪いのはわかってる……! でも、でもさ……『生娘を扱うみたいに優しく抱いてね』ってなんだよ。いきなりそんな投げキッスなんて目じゃないどぎついアピールされたら、ひく。絶対にどんびきするよ。いや、むしろ私、自分にどんびきした!)


 うぐおおおお、と冬眠明けの熊のごときうめきを上げ、悶絶する。


「ちょっともう、この池とか飛び込みたい心境なんですが。カエル泳ぎで向こうまで泳ぎ切ったら、何かがふっきれる気が……。おーい! 古池やー! 飛び込み可かい、こんちくしょー!」


 心の師匠、ミスター芭蕉が句を詠んだのはこんな池じゃない気はしたが、リッカは叫ばずにはいられなかった。どっちかというと、金の毬投げたら『ぐるぬいゆ!』とか鳴いてカエルの王子様が拾ってきてくれそうな雰囲気の池だ。


「飛び込んでいいわけがあるか。おぼれ死ぬぞ、阿呆が」

「うきょうくっ!」


 王子様ばりの美声を池からではなく、背後からかけられて、リッカは飛び上がった。ちなみに右京区は京都市にある区名だが今は関係ない。

 驚きのあまりばんざいしたポーズのまま、おそるおそる背後を振り返る。

 そこには、昨日の見合い相手ユーグ・シャルダンが不審そうに眉をひそめて立っていて、リッカは卒倒しそうになった。純白の騎士服に、腰には剣、とたいへん凛々しい立ち姿なのだが鑑賞する余裕などない。


「な。なななななな、なんでここに……?」

「俺がここに来ては、そんなにまずいのか」


 切れ長の灰色の双眸が不機嫌そうに細められ、空気に冷気が走る。いつでもどこでも人間ブリザードな男である。


「いや、まずいのどーの、という問題ではなく……! ……と、ああ……研究所になにか用事が?」

「違う。お前に用があって来た。……ところでいつまで両手をあげているつもりだ。降ろせばいいだろう」

「うわわ、はい!」


 ばんざーい、のポーズを保ったままだったリッカは両腕をぴしっと降ろした。心臓が破裂しそうなほど自己主張しすぎて、自分が何をやっているかいまいち理解できていない。


「……昨日はもう少し落ち着いた女だと思ったが。……まあいい。とりあえず、これを受け取れ」


 ユーグが手に持っていた袋をずいっと突きつけてきて、リッカは何度もまばたきした。早く受け取れとばかりに近づけられて、反射的に受け取ってしまったものの、自分の視力と認識能力にエラーが発生したのかと真剣に悩む。

 白い紙袋に赤いリボンがかかっており、紙袋の上の方には蜜蜂マークのスタンプが押してあるようにしか見えない。


「……これは、蜜蜂亭のお菓子に見えるんですが」

「ああそうだな。金羊通りの蜜蜂亭という店で買った菓子だから、それで間違いないんじゃないか」

「えーと…………メイエ所長への献上品でしょうか?」

「違う! なぜそうなる!? いったいどこから、俺があの女ダヌキに物を贈るなどという頓狂な発想が出てくるんだ!?」

「ええー? 所長への貢ぎ物って毎日けっこうな数になるんですよ? 極上美女で癖はあるけど魅力抜群ですから、崇拝者のかたがそりゃもうわらわらとやって来ては、色んな品を納めていかれます」

「…………俺がその一人だと本気で思っているのか?」


 北極海に浮かぶ流氷だってこんなに冷ややかじゃないだろう。

 そう思うほど冷徹な声で言われ、リッカは氷の海に放り出された遭難者のごとくブルブルと首を振った。


「いやいやいや、違うとはわかっていましたとも!」


 数歩後ずさったリッカの様子に、怯えさせたと理解したのか、ユーグは軽く舌打ちして視線を外した。しばらく目を閉じ眼光をやわらげてから、ごほん、と一つ咳払いする。


「それはお前への詫びの品だ。俺は、お前……リッカ・サイトーに許しを請うために、ここへ来た」


 真摯な光を宿した美しい灰色の双眸が、リッカを捕らえる。動揺していたところを捕まえられた彼女はただ呆然と聞いているしかない。


「昨日の見合いの席で、俺はお前の厚意を無礼な態度ではねつけてしまった。更になんの断りもなしに見合いを終わらせた。騎士としても、一人の男としても、恥ずべき行いだったと猛省している。…………お前は俺を許せるか」


 問われ、はっと頭をもたげたリッカは口元に手を当てた。そのまま数回息をついて、自分の呼吸を確かめる。研磨したての鉱物のように美しい灰色の瞳に意識が吸い込まれていて、正気を取り戻さなくては言葉も出てこなかった。


「……許す、もなにも、昨日のことは私に非があったと思いますが? 非常識な振る舞いをしたのはこちらです」

「…………外した飾りの花を、男にわたす意味は理解したんだな」


 白い花をわたす意味。

『生娘を扱うみたいに優しく抱いて』

 脳内でリフレインする言葉に、リッカは顔から火が出るかと思った。ユーグから目をそらして下を向くと、ぶっきらぼうだが思いがけないほど優しい声が降ってきて、こう続けた。

 

「……悪い。責めるつもりではなかった。どうにも言い方が悪いのだ、俺は。……お前にそのような意図はなく、ただ白の薔薇は香ることを伝えようとしていたということは理解している」


 驚いて顔を上げると、相変わらず眉間にシワを寄せてはいるが怒ってはいない様子のユーグと目が合う。リッカがそのまま見つめてしまうと、たじろいだように視線を動かしたのは今度はユーグの方だった。

 微妙に頬を赤くして、早口でまくしたてる。


「なぜここで黙る。なんとか言え。許さないだの、もっときちんと謝罪しろだの、言うことはいくらでもあるだろう」

「いいえ。もう十分です。……十分、いや十二分に誠実な謝罪をいただいてしまいました」


 リッカは花びらみたいにやわらかい口調で言った。驚きすぎて固まっていた表情が自然にほどけて、笑みを形作る。春という季節に似つかわしい晴れやかな笑顔だった。心を覆っていた暗雲が去っていったためか、言わなくていい本音までがぽろりと顔を出してしまったが。


「なんというか、あなたはすごく誠実で、ものすごく可愛い人だなぁとすごく思いました」

「…………なんだと?」

「いや、可愛いなぁと…………あ」


 本日はものすごく寒暖の差が激しいようだ。

 晴れたり、空気が凍りついたりと実に忙しい。


「今、聞き捨てならんことを言ったようだが……」

「気のせいですよ! 全て気のせいです! 空耳という現象で全ての説明がつきます!」

「ほう…………?」


 口元をひきつらせて冷気を放ち始めた白騎士vsひきつった笑顔のリッカ。

 勝負するまでもなく勝敗は明白な気がするが、戦いのゴングが高らかに鳴り響いた。


 ガランガランガランガランガランッ!


「っつ! なんだこの騒音は!」

「警報の鐘です! この鳴らし方は不審者の侵入を意味します……またか!」


 緊迫していた空気も全てぶち壊すほどの盛大な鐘の音に、リッカは素早く反応した。とろそうに見えるハムスターが餌のために猛ダッシュするように、意外なほど良い走りっぷりで駆けだしたのだ。

 ちょっと呆然として置いてかれたユーグだったが、はっと我に返るとすぐさま追いついた。そこらへんは騎士である。これで追いつけなかったらおしまいだ。


「またか、とはなんだ。前にもあったのか!」

「ええ! 薔薇泥棒ですよ!」


 叫ぶなりリッカは一刻も惜しいというように、唇をひき結んだ。全力疾走のリッカに、全力の半分ほどの速度のユーグが並ぶ。図らずも夕日に向かってのダッシュになっていた。





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