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断罪された悪役令息は、処刑ループのたびに帝国を救う  作者: とま


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第6話 怯える侍女

 廊下でぶつかりそうになった時、相手が書類を落とした。


 ヴァルターは反射的にかがんで、床に散らばった紙を拾い上げた。


 相手——アンネリーゼ付きの侍女——は、凍り付いていた。


 昨日の東廊下で道を譲った際に見た顔だ。

 ヴァルターはその侍女の名前を思い出そうとして、確かにどこかで聞いた気がした。


 レナ、だったか。


「落としたぞ」


 書類を差し出した。


 侍女——レナ——は、まるで毒蛇が目の前に現れたかのような顔で書類を受け取った。

 それが面白いとは思わない。

 ただ、純粋に困惑した。


「……ありがとうございます」


 声が震えている。


 ヴァルターは去ろうとして、受け取った書類の束の端に、はみ出た一枚が混じっているのに気づいた。


 拾うのが遅れたのか、最初から分けて持っていたのか——その一枚だけが、他の書類とわずかに性質が違う。


 厚みが違う。

 紙の質が違う。


 ヴァルターは無意識にそちらへ視線を向けた。


 その瞬間、レナは書類をかき集め、深く頭を下げて足早に立ち去った。


 廊下の角で消えた侍女の後ろ姿を見ながら、ヴァルターは立ったままでいた。


 あの書類の束の中に、一枚だけ色の違うものがあった。


 何でもない可能性の方が高い。

 侍女が別件の書付を混ぜて持っていただけかもしれない。


 だが——


 ヴァルターは記憶を辿る。


 レナ。

 アンネリーゼ付きの侍女の中では比較的新しい顔で、平民の出身だったはずだ。

 妙におとなしく、ヴァルターを直視したことが一度もない。


 それは、ヴァルターに対する恐怖から来るものだとずっと思っていた。

 実際、そうなのだろう。


 だが今思い直すと——単なる恐れにしては、目の向け方が違う。


 怯えているのは確かだ。

 しかし、その怯えの種類が、他の侍女たちと少し異なる気がした。


 他の侍女たちは「この男に何かされたら困る」という恐れだ。

 レナのそれは、「この男に見つかってはいけない何かがある」に近い。


 ただの印象だ。

 根拠はない。


 ヴァルターは歩き出した。


* * *


 その夜、ヴァルターは使用人の配置記録を引っ張り出した。


 名目は別件の確認のためだが、実際には侍女たちの経歴を見たかった。


 レナの欄を見つける。


 名前、所属、採用時期。

 父:故人。母:存命。兄:帝国暦四百七十八年没、宮廷下働き。


 ヴァルターは手を止めた。


 兄が宮廷下働きだった。

 故人だ。四年前に没している。


 「没」の理由が書かれていない。

 事故か病気か、それとも別の理由か。


 確認できる情報はここまでだ。


 ヴァルターは手帳にその情報を書き付け、記録を閉じた。


* * *


 翌朝、ヴァルターは意図せずレナと再び廊下で行き合った。


 彼女は壁際を歩いていた。

 ヴァルターに気づいた瞬間、さらに壁寄りになる。

 目を伏せ、わずかに首を縮める。


 ヴァルターは普通に歩き続けた。


 すれ違う際、何も言わなかった。

 何もしなかった。


 だがレナは、ヴァルターの背中が遠ざかるまで動かなかった。


 ヴァルターは振り返らなかったが、足音で分かった。

 彼女はヴァルターが曲がり角を過ぎるまで、廊下の中央に戻れなかったのだ。


 (自分は、この女に何をした)


 執務室へ戻る途中、ヴァルターは考えた。


 直接的に何かをした記憶は、ない。

 怒鳴ったことも、脅したことも、手を上げたこともない。


 だが——


 アンネリーゼの侍女の中に「不必要な者がいる」と指摘したことがある。

 平民出身の侍女の身元確認を厳しくするよう求めたこともある。

 廊下で行き合った際に「そこをどけ」と一言言った記憶もある。


 それだけだ。

 ヴァルター自身の基準では、普通の振る舞いだった。


 だがレナのような立場の者にとっては——


 身元確認を厳しくしろ、という言葉は、「お前は信用できない」に直結する。

 「そこをどけ」は、「お前がいること自体が邪魔だ」に聞こえる。


 直接暴力的でなくても、十分に人を傷つける言葉というものがある。


 ヴァルターは、自分がそれを長年にわたって続けていたことを、初めて正面から認識した。


* * *


 夕刻、窓から中庭を見ると、レナが洗濯物を運んでいた。


 手慣れた動きで、淡々と仕事をしている。

 遠目には普通の侍女の姿だ。


 だがあの書類の件が、まだ引っかかる。


 あの一枚だけが厚く、紙の質が違った。

 宮廷の書類ではなかった可能性がある。

 もしそうなら、侍女が私的な書付を持ち歩いていることになる。


 内容は分からない。

 だが、宮廷の侍女が勤務中に人名らしきものが並ぶ書付を持つのは——


 ヴァルターは窓から離れた。


 決めつけるのは早い。

 まだ確認が必要だ。


 ただ、レナという侍女を今後も観察する必要はあると感じた。


 彼女は何かを知っているか、あるいは何かに巻き込まれているか、あるいはただの偶然か。


 どれが正しいかは、今はまだ分からない。


 ヴァルターは椅子を引いて腰を下ろし、紙を取り出した。


 「偽造書簡の出所」という文字の下に、新しく書き加える。


 「レナの兄の死について確認」


 点が増えていく。

 まだ線にはなっていない。


 だが、何かが繋がろうとしているような気配が、確かにある。


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