第10話 星見の夜会の記憶
執務室の灯りが低い。
ヴァルターは椅子の背に身を預けたまま、目を閉じていた。
文書庫での調査から戻って、二時間が経つ。
思い返しているのは、二日前のことだ。
星見の夜会。
ループの起点。
あの夜会の翌朝に、自分は目を覚ました。
ならば——あの夜会の中に、何かがあった可能性がある。
記憶を辿る。
夜会は宮廷の大広間で開かれた。
出席者は皇族、高位貴族、一部の上位文官で、百人前後。
演奏があり、立食があり、社交のための時間が設けられた。
ヴァルターは当日、さほど重要とは思わずに出席していた。
面倒な社交の場、という認識だったからだ。
だが——
今にして思えば、あの夜は妙な空気があった。
まず、皇帝の様子だ。
宴の席で、皇帝は珍しく早い時間に退場した。
健康上の問題があったとも言われていたが、その割に顔色はさほど悪くなかった。
だが、ヴァルターが覚えているのは——退場の直前、皇帝が妙に虚ろな表情をしていた瞬間だ。
まるで話しかけられても声が届いていないような、空白の時間が、一瞬だけあった。
薬湯か、それとも体調か。
当時は気にしなかった。
今は、気になる。
次に、宴の空気だ。
通常の夜会では、誰もが社交に集中している。
だがあの夜は、特定の貴族のグループが、やけに皇帝の動向を気にしていた。
宰相派の幾人かだ。
彼らは互いに視線を交わし、皇帝が席を立つたびに小さく何かを確認するように動いていた。
当時、ヴァルターはそれを派閥間の牽制と見ていた。
それは間違っていないかもしれないが、それだけでもないかもしれない。
そして、薬師の件だ。
宴の途中、香炉を運ぶ者たちが数人いた。
宮廷の香師が通常の仕事として行うことだが——あの夜は香を運んでいた人間の一人が、薬師の出で立ちをしていた。
薬師が香を運ぶことは、ある。
薬効のある香を使う場合は、薬師が調合する。
だが、夜会で薬効香を使う機会はそれほど多くない。
ヴァルターはその薬師の顔を思い出そうとしたが、はっきりと思い出せなかった。
あの時、特に意識していなかったからだ。
「鎮静の聖香」という言葉が、どこかから頭に浮かんだ。
それが何か、まだ確かなことは言えない。
だが、皇帝の様子と、薬師と、宰相派の動向が、同じ夜会に重なっていたことは事実だ。
ヴァルターは目を開けた。
考えを整理するために紙を取り出したが、書く前に考え直した。
この手帳の内容は、誰かに見られた時にまずい情報を含んでいる。
もっと慎重に管理する必要がある。
代わりに、頭の中だけで整理する。
星見の夜会。
出席者の中に、断罪に関わる者たちが多数いた。
カインも、宰相派の中心人物も、薬師の一人も。
その夜会が起点であることには意味があるかもしれない。
あるいは、単に「半年前」という時間的な区切りに過ぎないのかもしれない。
どちらが正しいかを確認するには、出席者名簿が必要だ。
* * *
翌朝、ヴァルターは別件を装い、宮廷行事管理室を訪れた。
「先日の星見の夜会の、出席者名簿を確認したい。公爵家の出席記録として必要なものがある」
担当文官は特に疑わず、帳簿を持ってきた。
ヴァルターは名簿を開き、目を通した。
百四人の名前。
一通り見ながら、記憶の断罪の場に立っていた人物たちの名前を確認する。
アンネリーゼ——いる。
カイン——いる。
宰相派の幹部——いる。
外戚派の有力者——いる。
そして、ヴァルターが文書庫の記録で見つけた、臨時入室者の名前——いる。
さらに、薬師の名前を探す。
夜会では薬師の記録は別帳になっているらしく、名簿には直接書かれていない。
ヴァルターは帳簿を返しながら、別の口実で薬師の出席記録を尋ねた。
「夜会での香の調合師の記録は、別途管理されていますか」
「はい、こちらに」
差し出された別の帳簿に、数名の薬師の名前があった。
その中の一人を見て、ヴァルターは一瞬だけ動きが止まった。
皇族の侍医の弟子の名前だった。
それが何を意味するかは、まだ分からない。
だがヴァルターは名前を目に焼き付け、帳簿を返した。
「ありがとう」
そう言って、管理室を出た。
廊下を歩きながら、頭の中でつなぎ合わせる。
星見の夜会の出席者に、後の断罪に関わる者たちの名が多く並んでいた。
偶然か。
あるいは、あの夜会そのものが「計画の一部」だったのか。
答えを出すには、まだ情報が足りない。
だがヴァルターは、あの夜会を起点として調べ続ける理由が生まれたと感じた。




