04.優しい人
由紀は音を立てないように玄関へ。
スーツケースを再び持ち、マンションから出た。
こんなことあるはずがないと思っていた。
同棲していて、今朝だって普通で、今までだってそんな素振りは無くて。
泣きながら由紀は道を歩く。
行く場所なんてない。
ホテルに宿泊しようかと思ったが、一泊二万なんてもったいなくて入るのをやめた。
カラオケは23時までだった。
マンガ喫茶も深夜2時まで。
どこなら泊まれるのだろう?
雨が降りはじめ、歩きつかれた由紀はコンビニの隣の建物の軒下で雨宿りさせてもらうことにした。
もうこのまま朝までここで野宿してしまおうかと思うくらい、もう歩きたくない。
泣きながら座り込んだ由紀の背中に、ゴンッと扉が当たった。
「えっ、あ、す、すみません」
てっきり誰もいない建物だと思い込んでいた由紀は慌てて立ち上がる。
古い扉から出てきたのは黒髪の若い男性。
由紀は急いで涙を拭き、スーツケースに手を掛けた。
「ご、ごめんなさい。雨宿りを、すぐに退きます」
「雨宿りってことは傘がないんだろ? 中に入れ」
「い、い、いえ、とんでもないです。ここで大丈夫です」
「いいから入れって。風邪を引くぞ」
男性は由紀のスーツケースを奪うと扉の中に引き入れる。
由紀は戸惑いながら扉の中へと入った。
「コーヒーでいいか? ミルクと砂糖はないけれど」
「は、はい」
段ボール、書類、空いた本棚。
部屋は片付けている最中のように見えた。
「適当に座れ。これタオル」
「ありがとうございます」
半分書類に埋まったソファーに座ると、テーブルの上の「建築基準法」の本が由紀の目に入った。
折りたたまれた大きな紙、ビルの模型、床の見本だろうか、見慣れたものが置かれた部屋。
「建築……事務所?」
「あぁ、よくわかったな」
コーヒーを手渡された由紀は、その温かさに涙が出てきてしまった。
「見ての通り片付け中で寝る場所もないけれど、雨風がしのげるだけマシだろ?」
なぜか男性から手渡された鍵。
「え? あの」
「明日の夕方まで来ないから。鍵は外のポストに入れておいてくれ」
「えっ?」
そのまま扉から出て行ってしまう男性に由紀は戸惑う。
……ここに泊まっていいってこと……?
一人になった由紀は部屋の中をグルッと見渡した。
「……加藤建築設計事務所……?」
奥のテーブルの上には写真立てが置いてある。
この建物の前だろうか?
加藤建築設計事務所の看板の前で撮られた家族写真だ。
「この小学生くらいの子がさっきの人……?」
なんとなく面影がある気がする。
おじいさんの建築事務所の片付け中……?
「これ、リッカがデザインしたオフィスビル!」
家族写真の横に置かれていた雑誌は数年前のもの。
ドイツ語だろうか?
由紀は思わず雑誌を手に取った。
「すごい! 私が持っている雑誌にはこんなにたくさん写真は載っていないのに」
もちろん数年前の雑誌も2冊持っている。
閲覧用と保存用に。
「あ、この写真は見たことがあるけれど……ここってこうなっていたんだ」
由紀は夢中でページを捲った。
文字は読めないけれど、写真を見ているだけで新しい発見がある。
「……写真撮ってもいいかな」
由紀はスマホで雑誌を撮影させてもらった。
表紙と、リッカの特集4ページを。
雑誌を元の場所に戻した由紀はソファーに座りながらスマホに映したリッカのページを眺めた。
『今、どこ?』
ペロンと音を立てながら届いた春馬からのメッセージ。
「ははっ、あれから三時間もたっているのに、今更?」
由紀は返事をする気にはなれず、リッカのページを眺めながら眠りについた。
翌朝、スーツケースに入っていた服に着替えた由紀は、メモにお礼を書き、博多の日持ちしそうなお菓子を置いた。
「優しい人だったな」
見ず知らずの私に部屋を貸してくれた人。
名前も聞くのを忘れてしまったが、きっと加藤さんかな。
鍵をポストに入れたあと、誰もいない部屋に向かって由紀は深々とお辞儀をした。




