03.彼の裏切り
翌日から由紀は夜に模型造りを手伝うことになった。
春馬は業務時間中に模型を造っているのに、由紀は仕事が終わってからマンションで手伝わなくてはならない。
それも由紀がモヤモヤする原因の一つだった。
『ごめん、社長と食事になった』
『今日は先輩から誘いが』
『会議で遅くなる』
春馬はだんだん帰りが遅くなり、ほぼ毎日終電で帰ってくるようになった。
「ごめん。お詫びに由紀の好きなプリンを買ってきたから」
だから模型を造っておいて。までは言われていないけれど、その次の言葉は「部長がまだかって言っている」「何日までに社長に見せないと」だ。
だったら飲みに行かなければいいのに。
「会社の代表だから」「コンペの結果を期待されているから」「由紀にも協力してもらっているってみんな知っているから」。
春馬から言われる言葉はいつも同じ。
「コンペでいい成績を納めたら課長にしてくれるって。そうしたら給料も上がるし、家賃以外も全部払って、由紀を楽にさせてあげられるから」
今、半分ずつ払っている食費や光熱費も全部払うから、その分、母への仕送りができるだろうと言う春馬の言葉もなんだか嬉しくなかった。
結局エントランス部分は由紀がすべて製作した。
ビルの周りの植木やベンチも。
春馬は私が作ったエントランスに外枠をつけただけ。
草木を並べただけ。
それなのに、自分が造ったかのようにみんなに説明している春馬が少し嫌だった。
コンペの提出が無事に終わると、春馬は今まで通り夕食前には戻り、由紀と過ごす日々に戻った。
本当にコンペのせいで毎日遅かったみたいだ。
先輩たちと飲みに行く日もなくなり、土日も由紀と出かけたり、マンションでのんびり過ごしたり。
「由紀、これ東京駅?」
「あ、うん。東京駅の断面パースを書いてるの」
「おもしろいことをするんだね」
丸の内南口から見た屋根が丸い部分は、上まで吹き抜けで開放感がある。
開放感が必要な案件をデザインする時に参考にしたいと思って書き始めたけれど、こういうのを書くのは変なのだろうか?
みんなはやらないのかな?
「あ、由紀は来週って九州出張だっけ?」
「うん、水曜から金曜まで」
「明太子よろしく」
金曜日は米だけ炊いておくよと言う春馬に、由紀はおかずも何かほしいなと笑った。
「……春馬、スマホ鳴ってる?」
「あ、向こうに置きっぱなしだ」
リビングからダイニングに移動した春馬の興奮した声が聞こえてきたのはすぐだった。
「由紀! 由紀! 由紀! 銀賞、銀賞だって!」
振り向くのと同時にガバッと飛びつくように抱きつかれた由紀は鉛筆を持ったまま。
「銀賞?」
「あぁ、こないだのコンペ。由紀のおかげだ、ホントありがとう」
ギュウギュウ抱きつく春馬の背中を左手でポンポンと叩きながら、由紀は「おめでとう」と微笑む。
春馬は、由紀のおかげだ、ありがとうと何度も繰り返した。
翌朝、社内の掲示板でコンペの結果を公表された春馬は、もちろんみんなに囲まれた。
コンペで銀賞になったのは嬉しいけれど、せっかく平和な日々だったのにまたしばらく春馬と過ごせないのかと思ったら、少し寂しかった。
夜は飲み会、土曜は社長とゴルフ、日曜はマンションにいたけれどゴルフで疲れたとほとんど寝ていた。
月曜も火曜も飲み会で、あっという間に由紀が出張へ行く水曜になってしまった。
「ごめん、バタバタしていて。今週の土日は一緒に過ごすから」
「あんまり飲み過ぎないようにね」
「わかってるって。ごめん、ホントに」
申し訳なさそうな顔をしながら、行ってらっしゃいのキスをしてくれる春馬。
「行ってくるね」
二泊用の小さなスーツケースと、普段愛用しているカバンを持って由紀は東京駅に向かった。
女性の先輩と一緒に新幹線に乗り、博多へ。
「またリッカ?」
好きねぇと笑う先輩に、由紀はドイツの商業施設が載った雑誌を見せながら、リッカのすばらしさを熱く語った。
「ここの曲線が綺麗ね」
「ですよね! 私もここのラインがすごく好きなんです!」
「実物を見に行ったら?」
「さすがにドイツは……」
お金がないですと笑う由紀を先輩は「新婚旅行で行けばいいじゃない」と揶揄った。
「彼、銀賞でしょ。すごいわよね」
いい男を捕まえたわねと笑う先輩の言葉に由紀は真っ赤になる。
「私も応募したのよ。社内選考でダメだったけれど」
「そうだったんですか?」
「一級建築士の資格を持った社員は役職者以外、全員参加だったのよ」
「自由参加ではなくて?」
「表向きは自由参加。でも次の昇格者を決める試験だったの」
内緒ねと指を口元にあてながら、先輩はコンペの詳細を教えてくれた。
だから「課長になれるかもしれない」って春馬は言っていたんだ。
それで社内で選ばれた時もみんなの関心が高くて、終わった後もみんなから飲み会に誘われていたんだ。
誘われ過ぎではないかと思っていたけれど、急に腹落ちした気がした。
「はい、柏木です」
もうすぐ新山口駅だというあたりで先輩のスマホが鳴る。
「えぇ? もう山口ですよ? あ、えぇ。わかりました」
雑誌を読んでいた由紀は、溜息をつきながらスマホの通話を切る先輩の方に視線を移した。
「中止ですって」
「え?」
「今、部長から。先方が急遽日程を変更してほしいって。博多まで行って、おいしいものを食べたら日帰りで帰るわよ」
食い倒れツアーよ! と言いながら先輩は店を検索し始める。
由紀も一緒にグルメサイトで店を検索することにした。
新幹線は昼過ぎに博多に到着。
由紀は先輩と鉄なべと呼ばれる餃子を食べ、次は焼き鳥屋に。
「博多ラーメンも食べるわよ!」
「えぇっ、もうおなかいっぱいです」
「もつ鍋は仕方がないからお土産で買って帰るわ。あと明太子も!」
せっかくここまで来たのだから、思いっきり楽しんでやるという先輩と由紀は楽しく店を回った。
現地滞在はたったの三時間。
由紀は先輩と再び新幹線に乗り、五時間かけて東京へ戻った。
帰りの新幹線で春馬にメッセージを送ったが既読にはならなかった。
きょうはスマホを見る余裕がないくらい仕事が忙しいのかもしれない。
きっと今日も飲み会だろうし、明太子は明日の朝かな。
由紀はスーツケースをゴロゴロ転がしながらマンションへ。
いつものように鍵を開け、玄関の扉を開けた由紀はそこにあるはずがない見知らぬハイヒールに心臓が止まりそうになった。
スーツケースは廊下に置き去りにし、そっと靴を脱ぐ。
ゆっくりとリビングの扉を開けたが、そこには春馬の姿はなかった。
かすかに聞こえてくる淫らな声。
そっと春馬の部屋に近づくと、その声はテレビの声でも、聴き間違いでもなかったと確信できた。
春馬の名前を呼ぶ女性の喘ぎ声。
そして女性の名前は「ミカ」だ。
艶っぽい声で「ミカさん」と名前を呼ぶ春馬の声に、由紀は口元を手で押さえながら後ずさりした。
漫画は由紀の年齢がアラサーに、浮気相手が入社2年目の美羽に変わっていますが、小説版は年上のミカです(>人<;)




