11.あんな奴のために泣くな
翌朝、ソファーで目を覚ました由紀は心臓が飛び出るかと思った。
目の前には律の寝顔。
なぜか抱きかかえられながらソファーで眠っている状態だ。
どうしてこんなことに?
昨日、春馬に会って、泣きながら帰って来て、それで……?
ここで散々泣いて迷惑を……!
ガバッと起き上がろうとした由紀の腕が律に捕まる。
「どこに行く?」
「あ、あの、えっと、ごめんなさい。迷惑をかけて」
「ここにいろ」
由紀を掴んだまま、また眠ってしまった律。
あ、そうか。普段まだ寝ている時間だから……。
ドイツ時間ではまだ夜中だ。
何時まで泣いていたか覚えがないけれど、ずっと側にいてくれたんだ。
上着を顔にかけてくれたおかげで、泣きそうな顔も春馬に見られることはなかったし、すぐにタクシーに乗せてくれたおかげで泣き声を聞かれることもなかった。
優しいなぁ。
本当に、勘違いしてしまいそうなくらい優しくて困る。
由紀はそっと律から離れると、部屋から持ってきたブランケットをソファーで眠る律にかけた。
スケッチブックと愛用の4B鉛筆、スマホで地図をだし、由紀は昨日の街を思い出した。
表側はファミリー層、裏側はビジネス層。
商業施設は表側から入りやすく、ベビーカーや車いすに配慮しスロープも作ろう。
裏側は通路を広く、忙しいビジネスマンが移動しやすいように。
駅の改札まではできるだけ柱も少なめに、動線を意識。
まずは思いついたことを箇条書きにしていく。
「あ、条件があったんだった」
由紀は律から送ってもらったコンペの応募要項を眺めた。
バスターミナル、ロータリー、タクシーは一台待機。
「駅にエレベーター!」
エレベータは場所が限られるので早めに場所を決めておきたい。
ベビーカーが多い表側?
でもスーツケースがあるビジネスマンも利用するかも。
どっちの人数が多いのか調査した方がいいかもしれない。
由紀は調べたいことをメモに書き出した。
「……由紀?」
「あ、律さんおはようございます。あっ! こんな時間。すぐご飯作りますね」
由紀は急いで立ち上がり、キッチンへ。
夢中になりすぎていたけれど、時計はもう昼の12時を過ぎている。
冷蔵庫から豆腐を取り出し味噌汁に。
鮭を焼き、卵焼きとほうれん草のお浸しを準備したと、きゅうりの漬物もお皿に乗せた。
「お待たせしました」
由紀が書いたメモを眺めている律に声をかけると、律はキッチンに立つ由紀に視線を向ける。
「……新婚みたいだ」
律の何気ない一言に、由紀の心臓はまだ爆発しそうだった。
メモを元の場所に戻し、立ち上がった律が向かったのはダイニングの椅子ではなくなぜか由紀の横。
まな板を片付けようとしていた由紀の腰をグイッと引き寄せると、律はニヤリと笑った。
「り、り、律さん?」
「なぁ、由紀。俺にしておけ」
「えっ?」
「あんな奴のために泣くな」
左腕で由紀の腰をしっかり捕まえたまま律の右手は由紀の頬に。
耳の下を通り、あごを撫でると、律の吐息が由紀の唇に触れた。
触れるだけのキスから優しく押しつぶすキス。
合間の吐息が妙に色っぽい。
唇を舐められ、舌で唇をこじ開けられるようなキスをされたあとは、もう夢中でよくわからなくなってしまった――。
◇
……甘やかされている気がする。
想いが通じ合ったあとから、急に律のスキンシップが増えた。
ドイツではあたりまえだと言われるけれど、なかなか慣れない。
だが、建築のデザインをしているときはすごく真剣で、ドイツ語で会話しながら図面を引いている律はかっこよすぎて、見ているだけで魂が抜けそうだった。
「この工法だと、この広さは難しい。三階建てには耐えられない」
強度計算をしてみろと言われた由紀は電卓をたたく。
「あ、本当だ」
「ここに一本柱を立てたらどうだ?」
「でも、ここに立てると動線が」
ビジネスマンの通勤ラッシュ時は柱が一本あるだけで誰かが避けなくてはならない。
避ければそこがストレスになる。
「ここを、えっと」
サラサラと別案を描いて律に見せると、律は「おもしろい」と笑った。
「明日、爺さんが手術だから朝から出かける」
「うん。私は久しぶりに菜々美とランチに行ってくるね」
楽しんで来いと言いながら律は由紀の唇を小鳥の戯れのように啄んだあと、わざとらしく音を立てて唇を離した。




