10.芋娘にはもったいない
「よし、再開発される駅を見に行こう」
「今からですか?」
「あぁ、現地を見てイメージを掴むんだ」
手を差し伸べられた由紀は思わず手を乗せてしまった。
支払いもなく、律はそのまま店の外へ。
いつの間に支払ったの?
黒服さんにお辞儀で見送られた由紀は不思議な状況に困惑せざるを得なかった。
タクシーで再開発される駅までは十分程度。
「あの茶色の建物から、向こうの交差点までが再開発だな」
律はスマホに表示した募集要項を見ながら、由紀に再開発の範囲を教えてくれた。
「こっちはこの交差点から駅の向こうまで」
夕暮れの街は駅に向かう人がたくさん歩いている。
結構利用者は多そうだ。
ベビーカー、お年寄り、あ、自転車も多い。
駐輪場を準備した方がよさそうだ。
キョロキョロとする由紀がぶつからないように律はグイッと手を引く。
「歩くの下手だな」
「そ、そんなことは」
ぶつからないように手を繋いでおくと言われた由紀は真っ赤な顔になった。
律にとってはそんなに意味がないことだろう。
でも好きな人に手を握られた私の心は跳ね上がるに決まっている。
「乗り換えの動線も考えないとな、意外と駅裏の方が人が多いな」
こっちがビジネス街かと言いながら歩いて行く律の肩や横顔が気になりすぎる。
ちゃんと下見をしないといけないのに。
「この交差点までだな」
立ち止まった律は由紀の手を離し、スマホを操作する。
手が離れて寂しいなんて中学生みたいな発想!
由紀は自分の思考に自分でツッコみを入れた。
「向こう側はベビーカーの人が結構いましたが、こちら側はいませんね」
「あぁ、こっちはほとんどオフィスだな」
「律さん、北はこっちでしょうか?」
由紀は北を確認するために、律のスマホを覗き込んだ。
「隣のあのビルは残りますよね?」
「そうだな、そうすると夕日の影が……」
オフィスビルの影ができる位置や眩しさなども考慮しなくてはいけないと律にアドバイスされた由紀はカバンから手帳を取り出しメモをした。
「……由紀?」
聞き覚えのある声に思わず振り返ってしまった由紀は自分の行動を後悔した。
目の前にはべったりと密着した春馬と社長の娘。
あの日は遠くから見ただけだったが、美人なお嬢様だ。
今日も足元には赤いハイヒール。
あの日、マンションにいた「ミカ」だ。
「なんでこんなところに? まさかコンペに出るつもり?」
真っ赤な唇で嘲笑うお嬢様から由紀はスッと目を逸らした。
「私の春馬が一番に決まっているから、なにをやっても無駄よ」
そうよね、春馬と見上げる美香に春馬は困った顔で微笑んだ。
あれから半年たって、もう春馬のことはどうでもいいと思っていたけれど、こうやって二人の姿を見せつけられるとすごく惨めになる。
なんの説明もなく別の女性と結婚すると言われ、不当解雇。
そもそもあのコンペの作品は私のデザインをパクったくせに。
泣きたくないのに涙が出そうだ。
こんな奴のために泣くなんてもったいないのに。
「由紀、帰るぞ」
ふわっと律の香りがしたと思った瞬間、由紀の視界は暗くなった。
グイッと腰を引き寄せられ、前が良く見えないまま律に連行される。
そのままタクシーに押し込められた由紀が涙を我慢するのは限界だった。
大泣きする由紀の肩を抱き、ときどきポンポンと励ましてくれる。
その優しさで余計に涙が止まらなくなった由紀はマンションに戻っても泣き続けた。
「ねぇ、春馬。あの男、知っている?」
「いや、知らない」
二人がタクシーに乗り込む姿を見ながら美香は男の正体に悩んだ。
どこかで見たことがある気がするけれど思い出せない。
あんないい男、一度でも会ったのなら絶対に覚えているはずなのに。
あんな芋娘に新しい男なんてもったいないわ。
春馬は見た目はカッコいいけれど、ワイルドさが足りないというか物足りないのだ。
それに引き換え、あの男は完璧。
理由も聞かずに、自分の上着をかけて強引に連れて行くなんて。
あんなふうに守られるなんて最高だわ。
あの男に才能はあるだろうか?
あの芋娘と一緒にこの辺りを見ていたということは彼も建築関係の可能性が高い。
春馬と同じくらい才能があるんだったら、いえ、春馬よりも多少劣っていても、あの見た目と強引さなら構わない。
「ねぇ、春馬。今日はもう帰りましょう? 邪魔も入ったし」
「あ、あぁ」
早くあの男の正体をパパに調べてもらわなきゃ。
都内の建築事務所を調べればきっと見つかるはず。
会社の車のエンジンをかけ発進させる春馬の横で、美香は父親にメッセージを送りながらニヤリと笑った。




