「松浦長者」関連諸本の紹介と比較
説経節「松浦長者」の翻訳をするに当たり、同じ題材を扱ったものに可能な限り目を通しました。確認したものは以下の通りです。
1・寛文元年山本九兵衛版「まつら長じや」
2・うろこかたや孫兵衛版「まつら長者」
3・赤木文庫写本「さよひめのさうし」
4・奈良絵本「さよひめ」
5・古活字本「ちくふしまのほんし」
6・絵巻「壺坂物語」
7・奥浄瑠璃「竹生島之本地」
恐らく他にもありますが、活字化している閲覧しやすいものはたぶんこれくらい。それぞれ若干の異同があり、興味深いです。(ちなみに「うろこかたや」ってなんやねんと思われるでしょうが、これは言わば出版社名です。漢字で書くと「鱗形屋」)
1、2は『説経正本集 一』(横山重 編、角川書店、1968)
3、4、5は『説経正本集 三』(上同)
6は『室町時代物語集 第四』(横山重・太田武夫 校訂、井上書房、1962)
7は『斎藤報恩会博物館図書部研究報告書 第五 御國浄瑠璃集』(小倉博 編、斎藤報恩会、1939)
に収録されています。ぜんぶ国会図書館デジタルコレクションで読める! わぁべんり! よんでね!!!
かといって、あとは各自確認してくださいというのも不親切なので、以下におおまかな説明をば。
【松浦長者夫婦の前生譚と、観音との駆け引きの場面】
まず、拙訳のベースとなっているのは、寛文元年版「まつら長じや」で、おおむねこの本の筋と語り口に従って訳してあります。うろこかたや版「まつら長者」もおおむね内容は同じですが、冒頭の長者夫婦が長谷観音に子宝を祈願する場面にやや違いがあります。
寛文版→夫婦が数々の宝の寄進を約束して祈ると観音はあっさり子供を授けてくれる。
うろこかたや版→夫婦の前世について語られ、本来子種はないとするが、長者夫婦が観音を脅迫して子種を得ている。
この「神仏に祈願して子供を授かる」という場面は説経節のひとつのお約束の型になっており、「しんとく丸」などにも類例が見られます。両者を比較して、うろこかたや版がより原形に近いものと考え、拙訳では夫婦の前生譚を加えてあります。
(なお、うろこかたや版には一部文章の欠落があるため、同様の前生譚が語られる奥浄瑠璃も参考にしています)
このように、神仏に祈った結果授かった子供を「申し子」と呼びます。説経節の主人公には申し子が結構多いです。そのほか有名どころでは一寸法師なども住吉の神の申し子ですね。
【一番長い奈良絵本「さよひめ」】
奈良絵本「さよひめ」も大筋で寛文版と同じでありつつ最も文章量が多く、したがって内容も詳しいです。これをベースにしてもいいかなとも思ったのですが、これは読み物として書かれたもので、寛文元年版やうろこかたや版の「説教節らしい語り口」があまり感じられないため、参考に留めました。
今回の翻訳では、寛文版ではあまり言及されないごんがの太夫の娘についての記述や、母子の別れの場面、太夫の奥方とさよ姫の対話の場面などは奈良絵本から引いています。
母子別れは寛文版にある若干の矛盾を補うため。ごんがの太夫の娘や奥方の場面は……これは個人的な好みです。太夫の奥さんや娘の事もできるだけ語られるべきでは? と思ったもので……。
ちなみに奈良絵本バージョン、長いだけあってなかなか描写がくどいところがある。とくにさよ姫と母の別れの場面、かーちゃんが頑として離れない。ほっといたらそのまま奥州までついて行く勢いでへばりつくので太夫げきおこ。特に泣かせる場面だから力が入ったんでしょうねえ。
あと、大蛇がなかなか現れず恐れおののく八郷八村の人々の描写も面白い。奈良絵本「さよひめ」、けっこうおすすめです。
【ダイジェスト版2作品】
古活字本「ちくふしまのほんし」と絵巻「壺阪物語」は非常に短く、観音に子宝を祈願する場面がまるごと無い、さよ姫や人買いの商人の名前も出てこない、旅の場面もショートカットで、最低限の要素のみとなっています。
長者夫婦がいました。娘が生まれました。父親が死んで貧乏に! 父の供養のために娘が身売りしたら生贄にされることになっちゃった! けど法華経の功徳で姫も大蛇も救われて、それぞれ壺坂の観音と竹生島の弁才天になったよ! めでたし! というスピード感。
目立った違いはさよ姫の両親でしょうか。古活字本では父は信濃の国の中人で母は一条今出川の女房。絵巻では(少々読み取りにくいのですが)父は右□のりちかの中将で母は古活字本と同じく一条今出川の女房であるようです。
【さよ姫と大蛇の生い立ちが異なる赤木文庫写本「さよひめのさうし」】
さて、ここまでは内容に大きな違いのないものを紹介しましたが、キャラクター設定にかなり差があり全体の印象が異なるバージョンもありました。まずは赤木文庫写本「さよひめのさうし」。
何が違うかと申せば、まずさよ姫の父が、大和の国春日の里の伊勢屋の長者となっています。そして何より、さよ姫自身の生い立ちと、大蛇の身の上が大きく違います。
まずはさよ姫について。
子供のいない長者夫婦が観音に祈願してさよ姫が生まれたところまでは寛文版と同じ(おっと、ただし初瀬観音ではなく清水観音でした。夫婦の信仰対象も異なりますね)。違って来るのはこの先で、観音は夫婦に対して本来は無いはずの子種を授ける代わりに、子供が七歳の年に夫婦のどちらかが死に財産も失うという条件を付け、夫婦はこれを了承します。しかし実際には観音が夫婦を憐れんだために、さよ姫が七歳を過ぎても夫婦は元気に生き続け、家は栄えていました。そしてさよ姫一三歳のおり、父の長者がうっかりと「神仏でさえ嘘を吐くのだから、ましてや人間が嘘を吐く事などなんでもない」などとのたまい、観音の怒りを買って翌年の正月あっさり死亡。さよ姫と母をだけを残して家は没落。さらに翌年、父の命日の弔いのためにさよ姫が身売り、という展開になります。
……お気づき頂けただろうか。
写本版のさよ姫は、十四歳まで(十三歳のときに父のうっかり発言、翌年死亡なので、その時さよ姫は十四歳)リッチなお嬢様暮らしをしているのです!
寛文版は四歳までですよ。他のバージョンも多少の振れ幅はあれ、おおむね三―五歳です。ちなみにこの年齢はおそらく数え年(生まれたその日から一歳として数え、正月を迎えるたびに一つずつ年を取る数え方)でしょうから、数え四歳は満年齢で二、三歳です。物心つく前です。っていうか二歳ってめっちゃイヤイヤ期じゃんね。そんな頃に急に夫が死んで財産をなくして身の回りの世話をしてくれていた家来たちもいなくなった母上のしんどさがすごいね……そりゃ娘に執着するよね……(奈良絵本の母上)。
それはさておき、自我が芽生えるころにはすでに貧乏暮らしでその辺の芹とか毟って喰って育った野生児さよ姫と、数え十四歳(満十二、三歳)まで蝶よ花よと下にも置かぬ扱いを受けて育ったお嬢さよ姫、絶対性格変わるだろ(ストーリー展開は変わってないけど‼)。
お次は大蛇について。こちらも大蛇になった経緯は全く違うものになっています。
さよ姫によって救済された大蛇が語るには、彼女はもとは八郷八村の地頭の跡取りの娘であったが、女であるゆえに跡目を他人に奪われ、無念のうちに池に身を投げ大蛇に変じた、とのこと。
うむ。こちらも没落令嬢系である。
寛文版など他のバージョンは、幼少期から貧乏でついに身売りをしたさよ姫と、幼少期から継母に虐められ人買いにさらわれた大蛇のコンビで対応関係にあるように見受けられるが、写本版のさよ姫と大蛇もまた元お嬢様の似たものコンビなのである! これはこれでオイシイ。
さらにさよ姫の帰還のパートにも違いがあり、ここでは美女の姿になった大蛇と共に、大勢のお供を連れて輿にのって故郷に帰り、さよ姫と母と大蛇は一緒に暮らすことにするのでした。このさよ姫と大蛇の関係性もなんだか良いんですよね……。
それからもう一点。なんとこの版のみ、人買いの商人(この版での名は「やしま」)の娘がちらっと登場します。さよ姫を生贄に捧げる前にちょっとした宴会が催されるのですが、その際十二、三歳の姫がさよ姫に酌をしていて、実はこれが本来生贄にされるはずだった姫であるとのこと。ただ、「二歳のころから人身御供に供えるために育ててきたが、小さいころから可愛がってきたので哀れになった」とのことで、ひょっとしたらこの子も実子ではないのかも?
とにかく、他のバージョンでは話題にちらりと上る程度だった「もう一人の生贄の姫」が、ここでは唯一姿を見せ、さよ姫と対面しているのです。
【宗教圏からしてだいぶ異なる奥浄瑠璃「竹生島之本地」】
お次は奥浄瑠璃。これで最後なのでもうしばらくお付き合いくださいね。
さすがは奥州といいますか、これが一番違いが大きい。
奥浄瑠璃のさよ姫は、生まれ故郷がなんと筑紫肥前の国の松浦の里。そのさよ姫を買っていく人買い(名は「軍治兵衛吉實」。なんかいかつい)の村は奥州胆沢郡。つまりこのさよ姫は、現在の佐賀や宮崎あたりから岩手まで旅をしており、移動距離が最長となっています。ちなみに肥前国松浦郡という場所は「まつらさよひめ」という人物にとって実は大変に縁のある土地です(くわしくは後述)。
そして、大蛇の生い立ちがやはり違う。大蛇はもともと胆沢郡の高山掃部長者の妻で、あまりに大悪無道であったために大蛇となり、家臣たちと夫と三人の息子まで呑み込んでしまった。そして毎年一人生贄を求めるようになった、という経緯で、こちらの大蛇はあまり同情の余地のない感じですね。大蛇の住む池の名前は「御菩薩池」と書いて「みぞろがいけ」。なんだか意味深長な名前だ。
こちらのさよ姫帰還パートも独特で、抜け落ちた大蛇の角を筏に組み、さよ姫の法華経の経巻を帆に掛けてこれに乗って故郷まで帰ります。これもなんかカッコイイよね。
このバージョンにも申し子の祈願の場面がありますが、長者の前世の因縁話や長者夫婦が観音を脅迫する場面も含まれ、さらに姫が四歳の折に夫婦のどちらかが死ぬという約束と、迂闊な発言で長者が死ぬ場面もあります(さよ姫五歳の時)。「申し子」の語りの型としてはこれが最も完全な姿かもしれません。
さて、奥浄瑠璃とその他の版の最大の違いは、語られる宗教的スポットです。
他のバージョンでは、大蛇は最後、さよ姫の故郷である壺坂の観音となりますが、奥浄瑠璃では越後は諏訪郡高飛騨の蔵王権現となっています。さらにその角の一つは江刺郡に飛んで行き白山権現に。軍治兵衛吉實はえびす神、その女房は岩井郡達谷の岩屋に毘沙門天と現じます。さよ姫の両親もまた、西方極楽浄土の阿弥陀如来となりました。
また、他にはない挿話として、さよ姫が大蛇の池に向かう途中、化粧坂の化粧堂というところで化粧をしますが、その堂に肌守りとしてもっていた薬師如来を安置します。これが後々まで信仰される「化粧坂の薬師」となった、という由来譚になっています。
説経節は語り手の宗教的な背景が影響するところも大きいようですが、奥浄瑠璃の語り手はやはり江戸や大阪の語り手とは全く違う背景を持つのでしょうね。
そして最後にもう一つ。このバージョンのみ、人買いの商人、軍治兵衛吉實の娘の名前が出てくることも付け足しておきます。その名も「玉勢の姫」。なかなか麗しいお名前じゃありませんか。
【おまけ・アナザー「まつらさよひめ」】
まつらさよひめという女性を主人公とした物語には、実はもう一つ全く違う伝承があります。「万葉集」などに現れる大伴狭手彦の妻、松浦佐用姫の物語です。夫の狭手彦が朝鮮へ出兵した際、山に登って別れを惜しみ領巾を振って見送ったとされます。のちの時代には、悲しみの余りそのまま石になってしまった(望夫石伝説)とか、夫からもらった鏡を抱いて入水した(世阿弥作の謡曲「松浦佐用姫」)などと語られるようになりました。
この松浦佐用姫の物語の舞台が、奥浄瑠璃でのさよ姫の出生地と同じく、肥前国松浦郡なのでした。
この二つの「まつらさよひめ」の話には全く共通点が無いように思われます。それがいったいなぜ同じ名前の女性の物語として語られたのか、この二者にどのような関わりがあるのか(あるいは無いのか)については、私がちょろっと調べた程度ではよくわかりませんでした……残念無念。せいぜいが水辺に関わる女性の物語というくらいか(でもそんなのは他にいくらでもある)。どなたかご存知でしたらご教示くださいませ。