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三段目

 奥方は泣く泣く屋敷へお帰りになりました。その心の内こそ哀れなものでございます。持仏堂に行って嘆く言葉こそ哀れなものでございます。

「ああなんと無情なことでしょう。これから先、誰を頼りに、さよ姫恋しさを慰めればよいのでしょう」

 このようなことは常ならぬことで、奥方の心は狂気となり、屋敷の内にじっとしては居られず表へ狂い出て行かれます。「ああ、さよ姫恋しや」と、とうとう両目を泣き潰し、奈良の都を迷い出で、あちらこちらへとさ迷い歩く、奥方のなれの果てを、哀れと思わないものはありません。


 それはさておき、さらに哀れなのはさよ姫でございます。

 商人と連れ立ち、恋しい松浦谷を後にします。春日の山を伏し拝み、木津川を打ち渡れば、そこに臨むは山城の国の井堤いでの里。

 さよ姫は慣れぬ旅の疲れのなかでも、このような歌をお詠みになりました。


  あとを問ふ そのたらちねの 憂き身とて 我が身売り買う 泪なりける

  ――父のあとを弔うため、母のつらい身の上のために、我が身を売って得たものといえば、ただ涙ばかりでした


 さよ姫は旅を続けます。

 命永らう長池ながいけや、巨椋堤おぐらつつみの野辺を過ぎ、さらに進めば程もなく、花の都に至ります。

 さよ姫は旅の装束をお召しになって、ごんがの太夫と連れ立って、花の都をお出でになり、東を目指して下ります。さよ姫が言うに、

「もし、太夫殿よ、旅の道中の物語を語って下さいな」

 太夫はこれを承り、

「ではお話しいたしましょう。これは四条の河原。あそこに見えるは祇園殿。祇園林の群烏、心浮かれて飛び立てば、峰には雲が立ち出でて、御法の花も開きましょう。そこに見えるのが経書堂。車舎くるまやどり馬止むまとどめ

 そうするうちに、やがて清水観音の御前に着きました。

 さよ姫は鰐口をチョウと打ち鳴らし、

「南無や大悲の観世音。奈良の都にいらっしゃる母上様を安穏にお守りくださいませ」

と伏し拝みます。

 夜明けの鐘が鳴ったなら、名残惜しくも観音の御前を下向いたします。西門に立ち寄って、南をはるかに眺めると、恋しいふるさとの空は姫の心のように暗く曇っておりました。

 秋風の吹く白川を過ぎて粟田口へ。姫のはじめての旅立ちに、きっと数々の憂き目に遭うことでしょう。

 日の岡峠をはや過ぎて、これからどこへゆくのやら。追分に、山科で名の知られた四の宮川原をたどって急ぎます。

 行くも帰るも逢坂の関。逢坂山の関の明神はその昔、延喜の帝の御子であった蝉丸殿でいらっしゃると聞きました。両目が悪かったがゆえに、帝に捨てられ、今は関の明神となって栄えておられるとのことです。ありがたや、関の明神。その昔のことを思い出し、やつれ果てたこの身をどうかお守りくださいと、心細くも伏し拝みます。

 近江と聞いては母にやがて逢うと聞こえて懐かしみ、大津打出の浜、志賀唐崎の一つ松を過ぎゆきます。哀れな我が身の上が思われて、涙を止めることは出来ません。程なくして、石山寺の鐘の声が響き、さよ姫の胸をも打ちます。

 思いを馳せつつ瀬田の橋、時雨も漏れる守山や、木の下露に袖濡れて、風に露散る篠原や。曇ることなき鏡山も涙に暮れては見分けもつかず。馬淵畷まぶちなわてをはや過ぎて、惟喬親王が建てられたという武佐寺むしょうじを伏し拝み、五条宿、老蘇おいその森に、愛智えち川を渡れば千鳥が飛び立つ。小野の細道、磨鍼すりはり山、番場・醒井さめがい・柏原、寝物語を打ち過ぎて、急いでゆけば程もなく、中山宿にお着きです。


 哀れな姫君は、あまりにも苦しいので、

「もし、太夫殿、つらい長旅の事ですから、どんなに急いでももう歩けません。ここで二、三日逗留してください、太夫殿」

とおっしゃる。太夫はたいへんに腹を立て、

「奈良の都から奥州までは百二十日の旅路と決めているのだ。どんなに嘆いても聞き入れないぞ」

と言いつつ、杖をとって姫を散々に打ち据えます。姫君の、太夫が打つ杖の下より訴える言葉こそ哀れというものです。

「なんと情け容赦のない太夫殿でしょう。打とうと叩こうと、それが太夫の杖と思うからこそ、心から恨めしく感じるのです。しかし、これは冥途にまします父御様の教えの杖と思えば、恨みに思うことなどございません、太夫殿」

と仰って、消え入るようにお泣きになります。太夫はこの様をご覧になり、逗留はさせまいとは思えどもあまりにもいたわしいので、三日間逗留し、それからまた奥へと下って行ったのでした。

 哀れなさよ姫は、太夫と打ち連れて、山中宿をお出でになります。


 そこからどこへ行くかと聞かれれば、あらし木枯らし不破の関、荒れた宿の隙間より露も垂れる垂井と聞けば、濡れた袂も絞りかね、夜はほのぼのと明けゆく赤坂を過ぎて、実の成り花咲く美濃の杭瀬川にお着きになります。大熊河原の松風は琴の音色を奏でます。大熊とは恐ろしやとばかり、物憂く尾張の熱田の宮を伏し拝みます。このように涼やかなお宮を誰が熱田と名付けたものでしょう。

 三河の国に入れば、足助あすけの山も近くなり、妻恋う鹿が鳴いています。姫はこれを聞いては奈良の都の鹿を懐かしむばかり。さらに行けば程もなく、矢作の宿を通り過ぎ、かの八つ橋にお着きになります。


「姫よ。親のために身を売る者はあなたばかりと思いなさるな。昔にもそのようなことがありました。この八つ橋というものは、六つと八つの子が身を売って、親の菩提を弔うためにこの橋を架けた。それをもって八つ橋と申します。あなたも心を取り直し、道を急いでくだされ、姫君よ」

と言います。

 哀れなさよ姫は、この由を聞き、

「ああ、太夫殿、己ばかりと思っていたら、昔もそのような人があって、幼いながらも身を売って、これほどの名所とおなりになる。私もまた、父の菩提のために、このように名を残しましょう」

と、涙と共に先を急ぎます。このさよ姫の心の内は、哀れという言葉では言い表すことも出来ないほどでございました。

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