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初段

 これより語ってお聞かせいたしまするは、近江の国は竹生島の、弁才天のご由来の物語。詳しくお話しするならば、この方も元々は生身の人間だったのでございます。


 大和の国の壺坂というところに、松浦長者まつらちょうじゃと呼ばれる人がおりまして、それはそれは幸せに暮らしておりました。名を京極殿と申しまして、高麗や唐土にまでもその名が知れ渡るほどのお方でございます。

 そのお屋敷のみごとなことと言ったら。四方に黄金の築地を築き、無数の門や甍が並び、めでたき木々と美しい花々がとりどりに咲き乱れ、良い香りに包まれて、水際の砂はまるで七宝をちりばめたかのよう。無数の宝に満ち満ちて、極楽浄土もこれほど素晴らしくはございますまい。

 しかし、これほどにめでたく栄えておいでではあるものの、長者夫婦の間には、男の子であれ女の子であれ、ただ一人の御子もいらっしゃらないのが悩みです。

 京極殿は奥方を呼び出しました。

「のう、御台よ。いくつもの春と冬を過ごしてきても、わしらに子供がないというのは、いかにも世間の聞こえも悪いというものだ。そこで、そなたとわしとで初瀬の観音に詣でて、沢山の宝物を捧げ、祈願してみようではないか」

と、このようにおっしゃいます。

 奥方はこれを聞いて大変お喜びになり、「ぜひそういたしましょう」といって、夫婦は連れ立って泊瀬山詣でに参ったということです。

 程なくして泊瀬山にお着きになり、夫婦はうがい、手水で身を清め、仏前に参って、鰐口をチョウと打ち鳴らします。

「南無や大悲の観世音。男の子でも女の子でもかまいません、子供を授けてくださいませ」

と祈り、その晩はお堂で夜をお過ごしになりました。


 すると、なんとありがたいことでありましょう。真夜中を過ぎたころ、観音菩薩は松浦夫婦の枕辺にお立ちになったのでございます。

「これ、夫婦の者どもよ。話をするからよく聞くがよい。子種というものは、天の星、地の砂の数よりも多くあるものだが、そなたたちに授ける子種は一つもない。それがなぜであるか、そなたたち夫婦の前世の因果を語り聞かせよう」


 まず松浦長者の前世は、信濃の国に住む猟師であるが、昼となく夜となく鳥や獣を殺し、そこかしこに火をかけては天も霞めとばかりに焼き払うのが常であった。そこでは山鳥が巣を作り、十二の卵を養い育てていた。めんどりが餌をついばみに出るときにはおんどりが卵をあたため、おんどりが餌をついばみにでるときにはめんどりが卵をあたためる。そのようなところに炎が激しく燃え立って、あわれ母鳥は十二の卵を捨て置けず、卵もろとも焼け死んだ。これを見たおんどりは、天を仰ぎ地に伏して、羽ばたきし嘴を打ち鳴らして怒り悲しむ、その有様は、もはやただの鳥とも思えぬ恐ろしい姿。

「憎い猟師め、また生まれ変わる事があるならば、道端の草になって人や馬に踏みつけられて苦しむがいい。また樹木に生まれるならば、野中の一本杉となって多くの小鳥に巣くわれて悩まされるがいい。もし人間に生まれるならば、たとえ裕福な長者となっても子供を持つことなく、嘆き悲しむがいい」

と、このように呪いをかけて、おんどりは炎の中に飛び込んで焼け死んだ。この恨みが現世において報いが来て、夫婦に授ける子種はないのである。

 さて、奥方の前世は、近江の国の瀬田川に住む二十尋あまりの大蛇であるが、大蛇は昼も夜も休みなく鳥や獣の子を取って我が子の餌食とした。その因果が現世に降り積もり、それゆえ夫婦に授ける子種はないのである。

「どれほど祈ったところで叶うものではない。恨むならばその因果を恨むことだ。早く帰るがよい」

と言って、観音菩薩はかき消すように消えました。


 長者夫婦は夢から覚めて起き上がり、何と情け心のない御本尊であろうかと、さらにお祈り申し上げます。

「ああ、有難い観音様、この願いが成就するならば、御前に捧げる花のように美しい斗帳を黄金でこしらえて月に三十三枚ずつ、三年かけて捧げましょう。また周囲を囲う斎垣いがきを白柄の長刀を磨きたてたものでこしらえて、結いかえながら三年のあいだ捧げましょう。さらにまた御前の鰐口を白金と黄金で鋳たてさせ、月に三十三度ずつかけ替え掛け替え、三年のあいだ捧げましょう。また、御台からは十二単に十二の手箱、唐の鏡に銀鏡しろみのかがみを相添えて、月々の御縁日に、三年かけて捧げましょう。男の子でも女の子でも、子供を授けてくださいませ」

 長者夫婦はさらにこのようにも仰います。

「これをご承諾いただけないならば、夫婦ともども腹を一文字に搔き切って、滝に身を投げて大蛇に身を変じて、観音に参り来る者どもを取っては喰い、人々を恐れさせてやろう。いかに信仰の篤い観音といえど、三年の内には荒れ果て鹿の住処となることだろう」

と、深々と祈誓をし、ふたたびお堂で夜をお過ごしになります。


 すると、なんとありがたいことでしょう。観音はその夜も長者夫婦の枕元に立ち、

「これ、夫婦の者どもよ。そなたらが余りに嘆くゆえ、子種を一つ授けよう」

と言って、黄金の采を与え、かき消すようにお消えになりました。

 松浦夫婦は夢から覚めて起き上がり、ああなんとありがたい御利益であろうかと礼拝し、すぐお帰りになったということです。


 お屋敷に着くと、仏の約束とは確かなもので、程なくして奥方はご懐妊となりました。九か月の煩いの後、十月めには御産の紐を解き、ご出産となります。

 赤子を取り上げてみればそれはもう、宝石をちりばめたように美しい姫君でいらっしゃいます。お名前を、夢に現れた采になぞらえて、さよ姫御前と名づけられました。多くの人々がそばに侍りこの姫を慕う様子といったら、言葉に尽くせぬ程でございます。

 このようにめでたく日々を過ごしておりましたが、定めなきものは人の命というもので、姫君四歳のころのこと、いたわしくも京極殿は病がちになりました。

 そのままお最期を迎えられようかという時、奥方を呼び寄せ言うことには、

「私の話すことをよく聞いてほしい。たった一人もうけたあの姫を、大切に育てておくれ」

と、そう言って、さめざめとお泣きになります。奥方はそれを聞いて答えます。

「ご安心なされませ。あなた一人の子ではないのですから。大切に育てますよ」

 長者は大変お喜びになり、法華経を一部取り出だすと、

「これをわたしの形見として姫に与えておくれ。ああ、名残惜しいことだ」

と、はるか西のかなたの西方浄土に向かって手を合わせ、南無阿弥陀仏、弥陀仏と唱えなさったのが最期のお言葉。惜しむべきはそのお若さ、三十六歳で朝の露と消えたのでございます。

 奥方、御一門の人々は、これは夢であろうか、現であろうかと、天を仰ぎ地に伏して、涙を流して大いに嘆き悲しんでおられます。しかしそれもどうしようもないこと。野辺の送りをなさり、長者は無常の煙となり果てました。その灰をかき上げて墓を作り、卒塔婆を書いてお立てになります。人は皆屋敷に帰り、四九日が過ぎ、百日が過ぎました。長者の家の財産はたった一代で築いたものであったので、蔵の宝も庭の宝もそのまま消え失せ、八万もの宝物もあっという間に水の泡、たちまちに貧者の家となり果てました。親しかった一門の人々も散り散りとなり、皆故郷へ帰って行ったのでありました。


 哀れにも、お屋敷には奥方と姫君のただ二人だけが残されました。奥方はあまりの寂しさに、姫君を抱きしめて、長者の忘れ形見として大切に育て、姫だけを心の慰めとして月日を送っておりましたら、早いもので姫君は七歳になられました。

 この姫の素晴らしいことと言ったら、一を聞いて万を悟るお方で、天人が影向したか、菩薩が天下ったかと人は皆不思議に思うほど。公卿や殿上人までもが、姫君に手紙を送らないものはおりませんでしたが、その貧しい身の上を恥ずかしく思い、あからさまに言い寄ることはいたしません。

 哀れな奥方は、春になれば沢辺へ下りて根芹を摘み、秋になれば里へ出て落ち穂を拾い、はかない命を保っておられました。そうして早いもので姫君は十六歳におなりになります。


 母君は姫君を呼び寄せて、

「ことしはもう父の十三回忌に当たります。それなのに極楽往生を祈って菩提を弔うためのお金もないのです」

と、すっかり途方に暮れておられます。そして法華経を取り出すと、

「さよ姫や、これは父の形見です。これを拝みなさい」

と言って、さめざめとお泣きになります。さよ姫もまたこれを聞いて、

「これが父上の形見ですか」

と、御経を顔に押し当てて、涙をこぼしてお嘆きになります。

 そうして涙を流しながらも、さよ姫は考えます。「世の中では親の菩提というものは、身を売ってお金に変えてでも弔うものだと聞いている。それならば自らも身を売り、父の菩提を弔おう」と思い立ち、夜の闇に紛れてそっと屋敷を出てゆきました。


 姫は春日の明神へお参りになり、

「南無や春日の大明神。私を買いたいと言う人があるならば、引き合わせてくださいませ」

と、深くお祈りをして帰ります。

 そのころ奈良の興福寺には、尊いお坊様が説法を述べており、通りかかったさよ姫はそれを耳にしました。その場には尊い者も卑しい者も、大勢集まっておりました。上人様は仰います。

「親の菩提を弔うには、たとえ我が身を売ってでも弔うのが大善根というものだ」

 人々は、なんとありがたいお話だろうと言って、皆家に帰って行ったということです。


 さて、ここまでは大和での物語。

 一方そのころ、奥州は陸奥の国、安達の郡、八郷八村の里には大きな池があり、その池には大蛇が棲んでおりました。大蛇はその土地の氏神で、子細あって一年に一人ずつ、見目の良い姫を生贄に供えさせておりました。このお役目を、八郷八村の者たちが順番に務めているのです。

 ここに、ごんがの太夫といって、裕福な商人がおります。太夫は今年の生贄の当番となったのです。これを嘆いてその奥方に言うには、

「わたしたちのたった一人の娘を、大蛇の餌として供えねばならないとは、どうしたらいいのだ」

と、そう言って悲しんでおられます。奥方はこれをお聞きになり、

「太夫殿、神様に関わることをそのように嘆いては、神罰が恐ろしいことですよ。どんなに嘆いてもどうしようもないことでしょう。しかしながら、我が身に代えても大切に思う一人娘を、生贄に供えるわけにはいきませぬ。あなたは都へ上って、身を売ろうと言う人を買い取って、連れ帰ってくださいませ」

と言います。太夫は大いに喜んで、「なるほど、そうしよう」と言って、こっそりと都へ上ってゆきました。

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