#71 Re:cycle 第18話
その一軒家の真新しい表札には『安藤』の文字が彫られており、誰が住んでいるのか容易に想像がついた。
有紀奈が呼び鈴を押し、自らの名前を名乗って少し会話をすると、中から慌てた様に一人の男が出てきた。
「うわー、篠崎さん久しぶり! 突然だからびっくりしちゃったよ、とりあえず入って入って。お連れの方もどうぞどうぞ」
出てきたのは一回り年齢を重ねた雅彦だった。しかし、歳をとってもすぐわかる、純朴で生真面目そうな顔のままだった。
言われるがまま家にあがると、雅彦はそのままリビングへと慌ただしく入っていった。
「お人好しな感じは変わらないな」
「そこが彼の良いところよ……」
玄関に留まっていると、リビングからは何やら会話をする声が聞こえてくる。
『――やっぱり僕たちの方が正しかったんだって! 篠崎さんはいたんだよ!』
『雅彦くんや私達の記憶違いだとは思わなかったけど……。他の人達が誰も覚えてないのはどうしてなんだろ?』
『何かちょっと変わった娘だったんだろ? 魔法でも使ったんじゃないのか、魔法をさ、ババッて。記憶喪失の魔法とか誘惑の魔法とか』
『もうハルくんはすーぐそうやって適当な事を言うんだから! まぁでも魔女ってのは面白いかもしれないけどね、ハッハッハ』
『それよりも雅彦くん、玄関じゃなくて入ってもらったら? 私はお茶の準備するから』
『確かにそうだね、ありがとうヒカリさん』
聞き覚えのある声が奥から聞こえてきた。もはや懐かしさすら感じてしまうその声に俺はもう混ざることは無い。
「お前学校でなにやったんだよ……」
「ステラを殺したあとに全員の記憶から私を消して学校から去ったのよ……。レイラフォードとルーラシードには私の能力が効かないから、この四人にだけ私の事が残ったままになってるってわけ……。仕方ないでしょ……」
確かにいつまでも学校に残るわけにも行かないだろうけど……。些かやり方が雑すぎる気がする。まぁ、もう二度と来るつもりのない世界ならそんなものなのかもしれないけど。
「篠崎さん、せっかく来てくれたんだから上がってお茶くらい飲んでいってよ。篠崎さんからしたら殆ど初対面の先輩達がいて気を遣っちゃうかもしれないけど、僕らは篠崎さんの話を色々してたから先輩達も一方的に篠崎さんの事は知ってるからさ、それに色々と積もる話もあるしね」
「ありがとう、でも玄関先で十分よ……。気持ちだけで受け取っておくわ……。今日はね、安藤君に正式にお別れを言いに来たの……。これからずっと遠い場所に行って二度と帰ってこないつもりなのよ……」
「えっ!? そんな、せっかく久しぶりに会えたと思ったのに」
「だから、あまり長く話してるとお別れが辛くなっちゃうから手短に話すとね、あなたの事は結構気に入っていたわ――これから四人とも末永くお幸せにね……」
有紀奈は今まで見せたことのない優しい顔をして雅彦の顔を見つめていた。
それは血塗られた魔女でも、何百年も世界を渡る者でもなく、ただ一人の少女のようだった。
「えっと――ありがとう。篠崎さんっていつも冗談みたいなこと言ってたけど、どれも本当のことばかりだったから、きっと今度も本当にもう会えないんだろうね……。僕も篠崎さんと話してて楽しかったし、篠崎さんのお陰でヒカリさんとも仲良くなれたし、突然いなくなっちゃってお礼もずっと言えないままだったから嬉しいよ。今までありがとう」
「その、付き人の俺が口を出すのもなんだが、本当にいいのか……? 俺と違って有紀奈は別にいつこの場所に来たって――」
「いいのよ、私だっていつまでも過去に固執したくないの……。安藤くん、私達は新しい場所に行くために今ある縁を良い意味で全て断ち切りに来たの……。縁を切るのが私の使命なのに、自分だけ縁を切らないってのは筋が通らないしね……」
有紀奈も雅彦もどちらも少し哀しそうな顔をしてお互いを見ている。恋愛ではなく友情という名の縁がここには間違いなくあるのだろう。
「……うーん、そうだ! 僕たちと縁を切ってもう会えなくても構わないけど、今後新しい縁を結ぶのならいいよね!?」
「……どういうことかしら?」
「篠崎さんが繋げてくれた僕とヒカリさんとの縁が実るかもしれないんだ! えーっと、回りくどい言い方だったかな、子供が作れるかもしれないんだ!」
「……!?」
「えぇ!? お前達男同士だろ!? って、あ、いや失礼……」
名乗ってもいないただの連れという状態の俺が思わずツッコミを入れて慌てて口を閉じた。しかし、それ以上に有紀奈も相当驚いている様子だった。
「お連れさんも篠崎さんから僕たちのことを聞いているのかな、確かに僕とヒカリさんは男性同士だけど、いわゆる試験管ベビーってやつのもっとすごいバージョンみたいなやつを僕とヒカリさんが通ってた大学が国と協力して研究しててさ。精子の中のなにやらを取り出してうんたらって僕はよくわからないんだけど、それの最終選考候補に挙がってて僕たちの子供を作れる日が来るかもしれないんだ。もちろんまだまだ先の話だけどね」
俺たちの方を見ながら雅彦は照れ笑いをしている。
何というかこいつの行動力と明るさには勝てる気がしない。
「驚いたわ……。本当にこの世界は最後の最後まで私を楽しませてくれるのね……」
閉じた世界であっても分岐しないだけで、結果はまだ誰も知らない。
この世界の結果を知っていたのは俺だけだったが、その俺も今のこの世界の結果はもう知らない。有紀奈が驚いた姿を見て改めてそう実感した。
そして、この世界にもう俺は必要無くなっているのだということも改めて実感させられた。もちろん個人的に良い意味でだ。
俺がいなくても四人は上手くやっていくし、幸せになっていく。
俺はもう、俺が必要とされている世界へ行くべきなんだろう……。
「お子さんの名前はもう考えているの……?」
「えっと、まだまだ気が早いって言われるかもしれないけど色々と候補は考えてて、まだ確定ではないんだけど――」
雅彦から聞いたその名前は俺にとってはなんてことのない普通の名前だったが、有紀奈はその名前を聞くと虚空を見つめ、まるで記憶という深海に眠っていたものを引き上げようとでもしているのか微動だにせず止まっていた。
「不思議と聞いたことがある名前ね……遠い昔に……」
有紀奈がちらりとこちらを向く。気のせいか、目元が少し光っているように見えた。
「あぁ、俺の方は十分すぎるくらい満足したよ」
どこか踏ん切りの付いていなかった俺に区切りをつかせてくれた。これでもう色々な未練は断ち切れた気がする。
「それじゃあね、安藤くん……。あなたとはもう会わないでしょうけど、新しい縁があればまたどこかで会えるといいわね……」
そう言い残すと、俺と有紀奈は次の世界へと旅立った。
ある美漢/恨み感=Re:cycle
THE END




