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共演はNGです。ただし……

作者: 多部 好香

 撮影スタジオの中庭に出て、自然の空気を肺いっぱいに吸い込む。駆け出しの女優である浦竹(うらたけ)美名(みな)が、撮影の合間にルーティーンとしている行動だ。

 スタジオ内では、たった今シリアスなシーンを撮り終えた俳優や撮影スタッフたちが、美名の差し入れクッキーを頬張っている。

 学生時代からスポーツもそこそこ楽しんでいた美名にとって、室内に篭りっきりというのはどうも性に合わないらしい。

「はぁ……。今日は緊張するシーンばっかりだぁ。最後まで気を引き締めないと……!」

 パチンと威勢の良い音を立て、美名は自分の頬を両手で抑えた。次の瞬間、背後から突然声を掛けられて、美名は声にならない悲鳴と共に飛び上がった。


「ごめん! そんなに驚かすつもりはなくて! ……え、と。大丈夫ですか?」

「……へ?」

「いや、なんか……ビンタみたいな音が聞こえたので」

「ふえぇぇぇ⁉ や、や、八嶋(やしま)(あきら)……さん⁉」

「えっ、今?」

 何に驚いたのか噛み合わず、ふたりで目を見開いたまま見つめ合った。数秒間お互いにぽかんとしてから、八嶋の方が吹き出した。何に対して笑われているのか、未だに掴めずにいる美名は、わたわたと挙動不審だ。


 美名にとって八嶋は憧れの人。雲の上の人。同じ空気を吸ってはいけないとさえ感じてしまうほど、尊い存在。そんな人が今目の前にいて、自分を見て笑っている。

 一方の八嶋も、美名のことはデビュー当時から知っていて、かわいい娘だな、と気になっていた。

 ここで初めて会ったふたりだったが、なんと共通の夢を持っていた。

『いつか同じ作品に出られたら……』

 そんなこと、口にできるはずもなかったが──。

 

 八嶋はずっと気になっていた美名に初めて会えて、内心では弾け飛びそうなくらい嬉しくて仕方なかったが、普段持たれているイメージどおりの冷静さを総動員して、ごくごく普通に聞こえる口調で話し始めた。

 美名の方も、まさかこんなところで憧れの存在にエンカウントするとは露ほども思っていなかったので、あまりの緊張でがちがちになりながら相槌を打っている。


(イメージどおりの素直な娘だな。緊張してるのかな、かわいいな。……ってことは、ちょっとは脈ありなのかな)

 そんなことを頭の片隅で考えながら、八嶋は一方的になってしまっている会話を続けた。

 なんとなく緊張がほぐれ始めた感覚を覚え、美名の微笑み方が柔らかくなってきた頃、ガチャリと扉の開く音が響き、続いてどこかで聞いたことのある女の人の声がした。


「八嶋くん、ここにいたの。監督が呼んでるわよ。そろそろ再開だって」

 見たことある。聞いたことある。それは当たり前で、最近ではテレビで見ない日はないというほど、バリバリの主役級の役をこなす有名女優だった。

「あ~……はい。わかりました。今行きます。じゃあ、浦竹さんも頑張って」

 心底残念そうな顔をしたのは美名だけではなかったが、呼びに来た女優・祖谷(そや)柚葉(ゆずは)は、ふたりの顔を交互に見て勝ち誇ったような顔を美名に向け、わざとらしく大きい声で

「ねぇ、あの娘だぁれ?」

 と八嶋に寄り添いながら一緒に消えていってしまった。

 

 美名はほんのひとときの幸せな空気を思い出していた。そしてふと、最後に自分の名前を呼ばれたことを思い出し、日本中を熱狂させている俳優さんが、まさか自分の名前を知っていてくれたなんて! と、ますます頭がぼーっとしてしまった。


「……ちゃん、美名ちゃん!」

「わぁぁ! はい! はい? ……あ、樹里奈(じゅりな)さん」

 気付けばマネージャーの樹里奈がすぐ傍で美名のことを呼んでいた。

「どうしたの? 具合でも悪い? 顔赤いし、ぼーっとしてるし……」

 その理由はさすがに言えない! と美名は一生懸命頭を振って、大丈夫とアピールした。

「そろそろ撮影再開するみたいよ。あと、ついさっき入って来た新しいドラマのお仕事。来週顔合わせがあるからね」

 パチンとかわいくウインクをする樹里奈だが、その詳細は言わない。美名がひとつのことに集中したい質なのを、ちゃんとわかっているのだ。現在進行中の撮影は明日には終わる。ひと段落してから詳細を伝え、新たに集中してもらうという気遣いだ。美名もちゃんとそのことは判っており、樹里奈に対して絶大な信頼を持っている。誰が見ても、名パートナーだ。


 休憩を挟んで美名の撮影はすこぶる順調に進んだ。共演者やスタッフも驚くほど、一発OKばかりで珍しいねと揶揄われ、皆で笑ってその日の撮影は終了となった。

 

 翌日も早朝からではあったが天候にも恵まれ、滞りなく撮影は進んだ。美名の出番はあとワンシーン。まだまだ撮影自体は何日か続いていくが、美名は早めのクランクアップとなる。

「あ~、美名ちゃんのクッキーとも今日でお別れか……」

「惜しんでくれるのはクッキーだけですか?」

「そんなわけないでしょう⁉ 全部終わったら、美名ちゃんも絶対打ち上げ来てよね!」

 惜しまれつつも、美名は無事にクランクアップを迎えた。



「美名ちゃん、お疲れさま。あぁもう、ほら涙拭いて」

 楽しかった現場との別れが寂しくて、美名は貰った花束に顔を埋めて泣いていた。

「それだけ気持ちを込めて挑めたんだから、きっと大成功よ。すぐに切り替えるのは難しいかもしれないけど、来週のお話、してもいい?」

 すんすんと鼻を啜りながらも、美名はしっかりと頷いた。それを見て樹里奈は

「そうこなくっちゃ」

 と勇気づけ、手帳を開いた。


「秋の連続ドラマの出演が決まったんだけど、昨日も言ったとおり、来週顔合わせがあるの。で、共演者なんだけど……」

 そこで言葉を止めると、なぜか樹里奈はにやりとして美名を見た。ぽかんとして樹里奈を見返す美名には、皆目見当もつかない。


「なんと! あの八嶋輝よ!」

「ふえぇぇぇっ⁉」

 さっきまで零していた涙は一瞬にしてどこかに行ってしまった。過ぎ去る寂しさと、近い未来の希望の差が大きすぎて、美名はすぐには咀嚼できなかった。

「詳細はあとで車の中で話すわね。美名ちゃんは、八嶋さんの会社の後輩って役どころみたいね」

「や、八嶋さんと……共演……」

 どこかまだぼーっとしているが、だんだんと働き出した頭が状況を理解していく。


「美名ちゃんずっと目標にしてたもんねぇ。八嶋さんとの共演。もうこの話が来たときからずーっと話したくて仕方なかったんだから! やっと言えたわ~」

 美名の夢は樹里奈の夢でもある。ふたりでハイタッチをして喜び合った。


「樹里奈さん! 私、頑張るね‼」

「さすが、今までにない気合いの入れようね」

「そ、そんなことは……ない、と、思うけど」

「冗談よ! あ、もうひとつ。これは注意事項なんだけど、八嶋さんの相手役の女優さんが祖谷柚葉さんなんだけど、だいぶイケイケの人みたいだから、気をつけましょうね。ま、何があっても私が守ってあげるけどね」

「そ、そんな物騒な……」


 美名は先日八嶋を呼びに来た柚葉の姿を思い出した。いろんな分野で鈍い美名にも、柚葉が八嶋のことを好きなんだろうな、ということは伝わった。

 少しだけ不安要素はあるが、とにかく憧れの八嶋との共演を、最高の思い出にしようと頭を切り替えた。

「大丈夫! 私なんて足元にも及ばないから。目を付けられるなんてことはないと思う!」

「自信満々に言うことじゃないでしょ。それに私は美名ちゃん推しだからね」

 ふふんと笑う樹里奈の姿に、美名も吹き出して笑った。


 夜、自宅に帰ってから、美名は愛猫とじゃれ合って遊んでいた。

「みたらしくん、なんと今日ね、すごいニュースがあるんだよ。ついにあの八嶋さんと共演できるんだ! 一緒のシーンは少ないかもしれないけど、同じ画面に納まるんだよ! どうしよう、嬉しいね」

 なぁんと鳴いて、愛猫・みたらしも祝福してくれたようだった。


 食事もお風呂も済ませ、寝る前のスキンケアをしているときさえ、にやけてしまう顔を抑えられない。くふふと自然に笑い声まで出てしまう。ぱちぱちと頬を叩き、潤いを閉じ込めながら感情も一緒に押し込めようとしたが、あとからあとから溢れてきて、どうにもならないので諦めた。



 翌朝、気分良く目が覚めたはずなのに、テレビを付けた瞬間目に入ったニュースによって、美名は一気に天国から地獄へと突き落とされた。

『八嶋輝、共演女優と熱愛か⁉』

 画面の右上に踊るテロップの文字が、寝起きの頭をがつんと殴った。

 キャスターがわいわいと話している内容はちっとも頭に入ってこないが、『本日発売の写真週刊誌の記事によりますと……』という言葉と同時に映し出された写真には、八嶋との共演が多い超売れっ子女優祖谷柚葉の姿と、その横で歩く八嶋の姿があった。横を向いているが、その端正な顔立ちとスタイルの良さは間違いようがない。

 夜の、しかもホテルの前で。


 美名は自分がこんなにもショックを受けていることに驚き、恋が始まっていたのだと実感した。しかしそれは気付いた瞬間に実ることはなく玉砕してしまったのだと思い知った。

 報道では『両者の所属事務所からのコメントはまだありません』とのことだった。


(この女優さん、この前私と八嶋さんが話していたときに私のこと睨んでたよね。というか、今日本中で知らない人なんていないだろうというくらい人気だし、八嶋さんの横に立っても全然引けを取らない。到底太刀打ちできない)

 瞬時にそう判断してしまった美名は、この気持ちは恋ではなく、きっとファンの心境なんだと決めつけて、気付いたばかりの恋心に蓋をした。



 翌日、新ドラマ出演者の顔合わせがあった。制作発表ではないのでマスコミはいないはずだったが、会場であるスタジオの外には多くの報道陣が待ち構えていた。

「八嶋さん大変だろうな……」


 スタジオの中に入ると、他の共演者たちが数人待機していた。簡単な挨拶を済ませてから雑談でもしていようかと思い、誰か話し相手になってくれないかな、と周りを見た。

 しかし聞こえてきたのは、やはり例の週刊誌の内容について、あることないこと噂してはけらけらと笑っている声だった。


 美名はそのふざけた空気を吸うのが嫌で、定刻まで外の空気を吸おうと非常口へ向かった。そこならビルとビルの合間で道路には面していないので、マスコミからも死角になる。

 美名は非常階段に続く扉を開けた。ガチャ、という音と同時に、こちらを振り向く人物がいた。どうやら先客がいたらしい。

 驚きに目を見開いている彼。間違いようがない。八嶋輝だ。


「ご、ごめんなさい!」

「いや、僕の方こそ。また外の空気を吸いに?」

「あ、は、はい……」

「ならゆっくりしていってください。まだ時間じゃないでしょう? 僕が戻りますから」


 しかし美名は先程の控室の空気を思い出し、とっさに八嶋のシャツの裾を掴んで引き留めた。

「や! だ、だめです。その……えっと、あ! 八嶋さんが先客だし……わ、私が戻ります!」

 挙動不審な美名をしばし眺め、ふぅとひとつ溜息を吐き、八嶋は美名の手を取って引き戻した。そして小さな階段に二人並んで腰を下ろした。すぐに手は離れたが、美名はドキドキが止まらない。


「部屋でも噂してるんですね」

 何かを悟ったらしい八嶋は、ぼんやりと前を向いたままぽつりと呟いた。

「……う、はい」

 答えにくそうに答え、さらにそれを苦しそうに伝える美名の顔を見て、八嶋はふっと微笑んだ。


「君は……どうしてここに来たの?」

「え? あの、えぇと……ちょっと変な空気になりそうで、なんか嫌だなって……。それで、ちょっと外の空気を、と思って……」

 しどろもどろに語る美名を、八嶋は目を細めながら見ていた。


「君は、優しいね」

「……へ⁉」

 なにがどうしてそういう感想になるのだろうか。美名は謎に包まれたような顔を八嶋に向けた。よっぽど変顔になっていたのか、八嶋が急にぷっと吹き出し、肩を震わせて笑い出した。

「な、なん……なぜ私は笑われているのでしょうか……」

 未だ震える肩は治まらず、目にはうっすら涙さえ浮かんでいる。


「いや、ごめん。こんなに優しい味方がいてくれるなんて、すごく嬉しくて」

「う、嬉しくて笑ってるような感じじゃないですけど……」

 少しだけジト目を向けて抗議してみるが、向けられたまろやかな甘さを含む瞳に、美名の口からは次の言葉は出てこなかった。


「犯人はわかってるんだ」

「え?」

「あの記事をリークした犯人」

「は、犯人」

「あれはね、映画の撮影期間中に行ったホテルの前。スタッフさんたちと大勢で食事して、外でタクシー待ってるときの、ほんの一瞬のものだと思うんだ。ロビーにいたはずのスタッフさんたちが消されてる。うまい加工だとは思うけど……」

「じゃあ……」

「記事は全くの嘘だ」

 八嶋の目は少し怒りを含んでいるようにも見えた。美名はその横顔を真剣に眺め、心から心配していた。


「じゃあ、そのスタッフさんたちが証人になってくれるんじゃないですか? きっとわかってるんでしょう?」

 ふ、となぜか寂し気な笑みを零し、八嶋が美名を見た。

「口止めされてるんだと思うよ」

「……え?」

「金と権力って、怖いよね。時として武器になる」

 再び視線を前に戻した八嶋の隣で、美名は勢いよく立ち上がった。美名の心にも、怒りに似た感情が湧いていた。

(知っていて嘘に加担するなんて。この嘘で八嶋さんが傷つくって分かってるのに。お金もらって人を傷つけて裏切って。最低!)


「そ、そんな臆病なの……だめじゃないですか!」

 あまりの勢いに驚いた八嶋が美名を見上げている。美名がうっすらと涙さえ浮かべて見えるのは、都合のいい幻覚だろうか。

「う、浦竹さん……?」

 驚いた顔のまま、八嶋が声を掛けるが、美名はわなわなと震えている。

「犯人、わかってるんですよね? 私にできることないですか? その場にいなかったから証人にはなれないけど……なにか……八嶋さんの、ために……」

 ぐすっと鼻を啜る美名の瞳が涙でゆらゆらと揺れている。その様子に八嶋は見たこともないような、優しい表情になった。


「大丈夫。ありがとう。もう対策は考えてあるんだ。味方でいてくれるだけで十分。しかもずっと好きだった娘が、ね。こんなに嬉しいことはないよ」

 八嶋はにっこりと微笑んで美名の肩に手を置き、真正面から見つめた。

 美名の目からぽろりと一粒涙が零れたが、続く一粒はどこかへ消えてしまった。

(え、今なんて?)

 大きく見開かれた瞳に、八嶋がもう一度真っすぐな視線と言葉で伝える。

「君のことが好きなんだ」


 ガチャンと扉が閉まり、美名は非常階段でひとりへなへなと崩れていた。

(聞き間違い、じゃないよね? あの八嶋さんが、私のこと……? でも、でも。このあとの顔合わせには祖谷柚葉さんも来る。とてもじゃないけど、ふたりの顔をまともに見られないかも……)

 美名は不安に押しつぶされそうになった。




 定刻になり、スタジオにぞろぞろとキャストと撮影スタッフが集まって来た。美名は大勢のスタッフに紛れてこそこそと会場入りした。八嶋からの視線を感じるが、到底見ることはできなかった。


「それでは顔合わせをスタートします」

 監督からの声が掛かり、部屋は緊張に包まれた。

「その前に、残念ですが本日ヒロインの祖谷柚葉さんが欠席となりました。後日改めて皆さんとの顔合わせになるかと思います。じゃあまず、それぞれ簡単に自己紹介から始めていきましょう。僕が監督の──」

 祖谷柚葉の欠席。その言葉に会場はざわめき、一斉に八嶋へと視線が集まる。八嶋は部屋の一角を睨みつけるような鋭い視線のまま動じない。美名はそのざわめきさえも不快に感じた。


「八嶋くんがいるから来づらいんじゃないの」

「あの噂、ほんとかね」

「見て、しれっとしちゃって。イケメンは余裕だわね」

 こそこそと聞こえてきてしまう意地悪な言葉が、美名の耳を攻撃する。その場で耳を塞いでしまいたいが、不審な行動に見られてしまう。美名は代わりにぎゅっと目を瞑り、ずっと耐えるしかなかった。


 大勢いるキャストやスタッフの自己紹介だけでもだいぶ時間がかかる。

 美名は早くこの部屋を出たかった。あれだけ楽しみにしていたはずの八嶋と同じ空間なのに、今は不穏な空間から逃げるために、早く外の空気を吸いたくて仕方がない。


 たっぷり一時間以上かけてようやく終わった顔合わせだが、ひときわ目立ったオーラを放つ八嶋は、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 美名も隙間を縫うように素早く控室へと戻って行った。

(みんなじろじろ八嶋さんのこと見ちゃって。嘘だらけの記事なんて信じてないで、本人に聞いてみればいいのに。そしたら、ちゃんとわかってもらえるはずなのに……)


 本当は、美名もあの場で

「変な噂は止めましょうよ」

 と言いたかったが、一瞬目が合った八嶋が小さく首を横に振って制してくれた。もし言ってしまったら、何を根拠に……などと、問題を大きくしてしまったかもしれない。どこまでも冷静な八嶋に助けられたのだった。


「美名ちゃん、大丈夫? 顔色良くないわね」

 控室に戻ると、荷物を持ってきてくれた樹里奈が心配そうにこちらを見ていた。

「うん……大丈夫。樹里奈さん、早く帰りたい」

 人一倍優しくて思いやりがあって妹気質な美名のことだから、きっと八嶋の気持ちを考えて感情移入してしまっているのだろうと、聡い樹里奈はちゃんとわかっている。


「そうね。すぐ帰りましょう。どこか寄りたいところはない? 今日はもう事務所に用もないし、付き合うわよ?」

 しかし美名は静かに笑っただけで、無言で首を振った。

「みたらしくんに会いたい」

 愛猫の名前を挙げると、樹里奈も小さく溜息を吐いた。


 樹里奈の運転する車の後部座席で、美名はごろんと横になっていた。

「あのね、樹里奈さん。八嶋さんのあの記事、嘘なんだって」

「え? 誰情報?」

「……八嶋さん」

「ちょ、どこでそんな話する機会があったのよ。美名ちゃんたら隅に置けないわね」

 少しは笑ってくれるだろうかと、わざとらしく揶揄ってみるが、美名の表情は変わらない。


「あの記事をリークした人がいるんだって。その犯人も分かってるんだって。それでね、私のことが好きなんだって」

「あ~、その手のリークだったらなんとなく犯人は分かるわね……って、美名ちゃん今なんて言った⁉」

「え⁉ 樹里奈さんも犯人分かったの⁉」

 驚きの報告と相変わらずの話の噛み合わなさで、危うくハンドルを切り損ねそうになった樹里奈は、がっしりとハンドルを握り直した。


「犯人のことならなんとなく。ま、それはあちらのマネージャーさんの得意分野でしょうから、任せちゃっていいんじゃない? それより……どういうこと⁉」

 リークした犯人について美名はまったく分からなかったが、樹里奈が大丈夫と言うなら大丈夫なのだろうと信じることにして、数時間前に八嶋と話したことを、簡単に樹里奈に伝えた。


「へぇ、八嶋輝、見る目あるわね。私の一推しを見染めるとは……。で、どうするの?」

「どうって……私なんかじゃ釣り合わないもん」

 しょぼんとしてしまう美名に、樹里奈はこれでもかというほど美名の美点を語りつくし、最後には真っ赤になった美名から「もういい」と言われる始末だった。


 どうにもこうにも、ふたりは連絡先さえ交換していない。返事をしようにもどうにもできないし、もしかしたら夢だったんじゃないかとさえ、美名は思うようになっていた。



 そんなある日、いよいよドラマの第一話の台本読み合わせだと呼び出されることになった。あの騒動以来、毎日のようにマスコミが八嶋と柚葉を追い回しているようだったが、八嶋はいつでもノーコメントを貫いた。柚葉の方は「いずれちゃんとお話ししますので」などと言って、マスコミに対し思わせぶりな態度を続けていた。


 いよいよ今日は祖谷柚葉とも顔を合わせなければならない。美名は言いようのない緊張に襲われていた。

(いやいや。私が緊張したってしょうがないことだし! でも、なんでだろう。まるで野生の本能が働いているかのように、怖くてたまらない)


 先日と同スタジオ内の一室で、並べられた机と椅子がやけに重々しく感じる。

 美名の席は三列目。主演の八嶋は当然最前列だ。斜め後ろから、八嶋のさらりとした髪を眺めていた。そして気になることがもうひとつ。

 八嶋の隣が空席であること。

 少しずつざわつき始めた室内だったが、ギイと重い音を立て、監督が難しい表情で入って来たことで静かになった。何かあったな、と瞬時に全員がわかるほど、監督の顔は真剣だった。誰かのごくりという唾を飲み込む音さえ聞こえた。


 しんと静まる部屋で、固唾をのんで見守る俳優たち。すうっと大きく息を吸い、ようやく監督が口を開いた。

「え~、つい先ほどなんですけど、祖谷柚葉さんの事務所から連絡が入りまして……その、祖谷柚葉さんが急ではありますが降板となりました」

 どよめく室内に、静かにするよう助監督の声が掛かる。


「この件につきましては、改めて祖谷柚葉さんの事務所からのコメントがあるとのことです。それで……今日は台本の読み合わせということだったんですが、主演がこんなことになってしまって──」

 汗が止まらない監督を、皆が心配そうに見つめる。今後、どうなっていくのか──。


 そんなざわめきの中、八嶋が静かに手を挙げた。

「監督、もし代役を立てるとしても今から探すのは大変でしょうし、撮影のスケジュールを組み直すのも難しいかと。それなら……」

 くるりと後ろを振り返り、なぜか美名を一直線に見つめる。

「僕は、浦竹さんがいいんじゃないかと思います」


 どよめきは、今日一番のものになった。会場にいる全員の目が一斉に美名を捉え、当の美名は一瞬遅れて言われたことを理解し、誰よりも驚いた顔をした。

「わ、わ、わたっ、私⁉」

 次の言葉が出てこない美名に、監督も目を向けている。


「しかし……ふたりとも正反対のイメージじゃ……」

 なんとなく全員が感じていたことを監督が口にすると、八嶋だけがにやりと笑った。

「監督、彼女だって役者ですよ? いかなる役柄だってこなすことができるでしょうし、いつも台本全部丸暗記だって聞いてますよ。彼女を活かすのも、監督の手腕だと思いますが?」

「そうだよ! 俺、前に浦竹ちゃんと一緒に仕事したけど、超真面目だし、マジで台本全部頭入ってるから! それにクッキーも美味しくて……」

「わかる! 私も同じ意見だわ。可愛いだけじゃないのよね、浦竹さん」

 他の俳優たちが口々に語るその言葉を聞いて、監督の顔がみるみるやる気に満ちてくる。美名は反対にあわわわと戸惑いを隠せない。


 いつの間にか正面に立った監督が、美名を見下ろしている。

「やってくれるかい?」

「わ、わたし……」

 いつの間にか監督の隣に並んだ八嶋も、優しい視線を向けてこう言った。

「一緒に頑張れたら、僕も嬉しい」

 その眼差しにすっかり吸い込まれてしまった美名は、いつの間にか「はい」と返事をしていた。割れんばかりの拍手で我に返ったときには、もう後戻りはできないのだと覚悟を決めるしかなかった。


「美名ちゃん! やったじゃない! それも八嶋さんからの推薦だったんでしょ? やるわね、あの男」

 控室で樹里奈はふふんと自慢げに微笑んだ。しかし美名は突然の重圧にまだ足が震えている。無理もない。これまで脇役しかやってこなかったのに、突然降って来た主演だ。しかもその相手が八嶋輝だ。震えるなという方が酷な話だ。

「ちょっと……外の空気吸ってきていい?」

 ふっと笑って樹里奈は頷いた。


 ガチャリと非常階段に続く扉を開け、ひんやりとした空気を肺いっぱいに吸い込む。先日八嶋と話して告白された場所。たった数日前のことなのに、随分前のことのようだ。

 美名は階段に腰掛け、はぁ、と大きく溜息を吐いた。

(どうしよう。急にこんな大きなお仕事。しかも恋愛ドラマ。どうしようどうしようどうしよう! うまくできなかったら八嶋さんにも迷惑かかっちゃう! それに、言えない! 恋愛ごとに疎すぎてあれこれの経験がないとか! どうしようどうしようどうしよう)


「うぅ~~~~」

「どうしたの?」

「ひぇっ!」

 また驚かせちゃったね、といつの間にか隣にいた八嶋が囁いた。美名が考え込んでいるうちに、音もなく来たようだ。

「ここにいるんじゃないかと思って。ごめん、一人が良かった?」

「や、そん、なことは……」

 良かったと言って、八嶋は遠くを見つめるように空を見た。


「犯人、捕まえてもらったんだ」

「え? この前言ってた、リークしたっていう……?」

「うん。ストーカー対策とかで、僕もマネージャーも警察関係にいろいろ伝手があって」

「そうでしたか。じゃあ、これでマスコミも大人しくなってくれますね。良かったぁ、八嶋さんに穏やかな日常が戻って」

 先程まで頭を抱えて考え込んでいた人間と、同一人物とは思えないほどの笑顔で美名が答えた。

「君は本当に優しいね」

「え……?」


 ふと先日告白されたことを思い出し、美名は真っ赤になって俯いた。何を話したらいいか分からない。聞きたいことは山ほどある。告白のこと、犯人のこと、推薦のこと。なのに何からどうやって切り出して良いか分からず、美名の頭の中は大混乱中だ。

 そんな空気を察してくれたのか、八嶋の方から口を開いてくれた。


「さっきは、突然ごめん。僕の我儘を通しただけになっちゃったけど、引き受けてくれてありがとう」

「あの、どうして私なんかを?」

「なんか、じゃないよ。さっき言ったとおり、周りからの噂でも、君がいつも一生懸命で真面目で思いやりのある人だって思ったから」

「だ、台本は! 覚えるのが遅いから一生懸命読み込んでるだけで」

「うん。だから一生懸命なんでしょ?」

 自分の努力を分かってもらえて、胸の奥をぎゅっと掴まれているようだ。美名の心臓はばくばくとうるさい。


「あの、私……」

 潤んだ瞳と赤らんだ顔を上げると、八嶋が少し目を見開いた。

「……そんな顔されると……ねぇ、自惚れてもいいの……?」

「えっ……」

 あっという間に距離を詰められ、目の前に八嶋の端整な顔が迫る。片方の耳の後ろから後頭部までホールドされ、身動きが取れない。

 こつんと額がぶつかり、鼻先がちょこんと当たる。


「お願い。僕のこと、好きって言って」

 喋る度に唇の先がちょんちょんと触れる。

「あ、の……だって……その、え、と……」

 美名は固まってしまって何も言えない。

(「や」とか「す」とか言うと、絶対キスしちゃう。いや、もうほとんど触れているような距離なのだから、これはもう……いやいや、ちがう。これはキスじゃない。ノーカン、これはノーカン……!)

 美名は頭の中で必死に繰り返した。


 身動きもせずぎゅっと目を瞑ったまま何も言わない美名から、八嶋は静かに離れていった。

「困らせてごめん。……そうだよね」

「え……」

 静かに目を開けると、伏せられた目にかかる長いまつ毛が揺れたのが見えた。

「自惚れも大概にしないとね……。本当にごめん、忘れて」

 目を合わせずに立ち去ろうとする八嶋の腕を掴み、引き戻す。


「違うんです! 好きなんです! 私、八嶋さんが好きなんです! でも、その……こんなこと、したことなくて……恥ずかしくて……ど、どうしたらいいかわからなくて……。八嶋さん、ごめんなさい」

「ほんとに?」

「う、嘘じゃないです」

 じゃあ、と言ってゆっくり戻ってきた八嶋に、また先程と同じ距離に詰められる。八嶋の頬もうっすらと染まって見えるのは気のせいだろうか。


「もう一度、僕のこと好きって言って」

「ぅぅ……や、八嶋さんが……すき、んむ⁉」

 言い終わらないうちに唇が重なった。何度も食まれ、角度を変えて。啄ばまれて押し付けられて。最後は柔らかく包まれた。ゆっくりと離れていく唇に、どちらのものか分からない熱い吐息がかかる。

 この一瞬で蕩けてしまった美名を覗き込み、八嶋は満足気だ。

「美名さん……かわいい」

「ふぇ……?」


 抱き締めようと八嶋が手を伸ばしたのと同時に、ポケットでスマホが震える感触が伝わってきた。小さく舌打ちが聞こえたような気がしたが、これも気のせいかもしれない。


「なんだ」

 どうやら電話の相手はマネージャーの喜多嶋らしい。美名は不機嫌そうに喋っている八嶋を珍しそうに眺めている。

「……ああ。何? なんで。……は? ……ああ、わかった。その点は大丈夫だ。たった今解決した。うるさい、今忙しいんだ。あとでちゃんと話すから。……切るぞ」

 そう言い放った時にはもう通話は切られていた。美名は、一方的に切ってしまった八嶋を心配そうな目で見ている。


「ごめん、変なところ見せちゃって。マネージャーからだったんだけど、今度のドラマのことでちょっと……」

「え、何か問題でもあったんですか⁉ や、やっぱり私じゃだめ、とか……」

 急な変更やトラブルは付き物だ。つい先ほど大きすぎる変更があったばかり。一度決まったことでも、途中で変えなければならないことだってある。美名も大いに関係するドラマなのだから、当然心配になる。


「いや、君のマネージャーさんから連絡が入ったらしくて。その……君がまだキスとか……その手の経験がないと言うので、撮影中のキスシーンとか、全部真似事でお願いしたいと……」

「ひゃあぁぁぁぁぁ‼」

 素っ頓狂な声を上げ、両手で顔を覆ってしまったが、隙間から見えるおでこや耳は真っ赤で隠しようがなかった。


「でも、今しちゃいましたからね、キス。もう大丈夫ですよね?」

「やぁぁぁぁぁぁ‼」

 茹でだこのようになっている美名の反応を見て、吹き出しそうになるのを必死で堪えながら、八嶋が再び距離を詰める。

「慣れておきましょうね」

 にっこりと笑って、もう一度キスをした。




 翌日、朝から情報番組は大騒動だった。

『人気女優祖谷柚葉、収賄容疑で逮捕! 関係者も多数事情聴取』

 という文字がどこのテレビ局の番組にも踊っていた。

 意中の男を手に入れるため手段を選ばなかった柚葉は、金と実家の権力を駆使して口裏を合わせ、カメラマンを雇い、自分で例の写真をリークしたのだという。

「は、犯人……」

 美名は柚葉の代役になれて本当に良かったと、心から思った。




 半年後。


 無事に放送を終えたドラマは、視聴率やグッズ販売などが過去最高記録となり、ロケ地となった場所は連日聖地巡礼をするファンでごった返していた。『あきみなロス』などという言葉がトレンド入りするほどだった。

「第一話と最終回のウラミナの色気が違いすぎる! 絶対何かあっただろ」

「ウラミナ綺麗になった!」

「輝くんの目が優しすぎる!」

「理想のカップルだった!」

「続編求む!」

 などの声がSNSや公式サイトの感想フォームで多く寄せられ、テレビ局サイドも続編制作を前向きに検討しようとかなり乗り気になっていた。

 

 しかし放送終了から一ヶ月後、八嶋輝の所属事務所から「浦竹美名との共演NG」が発表され、世間は大騒ぎとなった。

「え、仲悪かったの⁉ それであの演技ができてたの⁉ ふたりとも天才か。」

 SNSは相変わらず「あきみな」をトレンド入りさせながらざわついている。


 しかし、翌日発表された共演NGの理由が

「妻とのラブシーンは他人に見せるつもりはありません。バラエティー番組はOKです」

 という衝撃的な内容だったため、日本中が大激震という言葉では片付けられないほどの衝撃に見舞われ、両者のマネージャーが日に日にやつれていくという事態を引き起こした。


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