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「の」シリーズ

私の名前は君専用

作者: 律子

リクエストいただいたので,スピンオフを書いてみました。

イメージと違ったらすみません。


楽しんでいただければ嬉しいです。


「いったい、どういうことですかっ!?」


 ショボーンと落ち込むフリューゲル王太子殿下の目の前で目を吊り上げてギリギリと扇を握りしめているのハンネローレ王妃殿下――彼の実母である。彼女の私室には優美で座り心地の良いソファセットがあるにも関わらず、2人は立ったまま向き合っていた。ずいぶん前に人払いがされており、この部屋には2人の他に誰も居ない。


「今日まで陛下や私がどれほど貴方のために心を砕いて『真実の愛症候群』に罹らぬよう、対策してきたかわかっているのですか。それだけではありません。各有力貴族家だって王子の婚約が整うまではと遠慮してくれていたのですよ!?今日のお茶会に何人の令嬢が来たと思うのです。あの方達は皆、貴方のために今まで婚約者を決めずに待っていてくれた方達ですよ?通常なら婚約者との信頼や愛情を育てるための期間を捨てても、万が一貴方の目に止まった時に心置きなく嫁げるようにと、貴方のために花も恥じらう娘時代を婚約者無しで過ごしてくれたのですよ?その方たちをおもてなしすることさえ十分に出来ずに、あまつさえ辞退者が続出する事態を引きおこしておきながら、申し訳無いの一言ですむなんて、よもやそんな風に思っていないでしょうね。挙げ句の果てに何ですか?ぬけぬけと、それはもうぬけぬけと……――政略結婚の方が良かった――ですって!!そういうのをなんて言うか知ってらして?負け犬の遠吠えと言うのよ!女ひとり捕まえられなくて、どうやって民衆の心など捕まえようと言うのです。恥を知りなさい、恥を!!」


「しかし、母上……」


「しかし何です。」


「恋はしようとして出来るものでも無いのです……」


 バキッっと盛大な音がしてフリューゲルが顔をあげると、ハンネローレの手元では、美麗な扇が真っ二つに割れていた。




 折れてしまった扇をそっと窓際のチェストの上に置く。窓から見上げる空はバカバカしいほどに晴れていた。

 5年ほど前、近隣諸国の王子に「真実の愛症候群」を発症するものが多い……と未知の病の情報を持ってきたのは王弟であるギルベルトだ。「何だそれ」と笑う者はいなかった。成人前から辺境の地に赴き、国境線の守備の強化をはじめ、近隣諸国との交易の安定化、外交外遊による国家関係の円滑化を担っていた彼への信頼度はべらぼうに高かった。どんな荒唐無稽な話でも一笑に付すことができないくらいには。

 彼曰く、ひとたび「真実の愛症候群」にかかってしまうと、王子は常識も誠意も勤勉も忘れて一人の女性に溺れる事になるらしい。しかもその相手は誰もが認める婚約者や高位貴族の令嬢ではなく、下位貴族の令嬢や庶民の娘であることが多い。苦言を呈そうものなら、王太子妃としての素養など関係ないと、そんなものより愛が貴いと言って憚らないのだとか。王太子として国を背負うべくして育てられた人材の突然の変異に、各国頭を悩ませているとのこと。

 十分なご対応を……と言われた所で何をどうすればかからない病なのか誰にもわからない。というのも、「真実の愛症候群」にかかった王子たちの行動は身内の恥として認識、処理されることが多いらしく、厳しい緘口令によって情報が漏れてこないのだ。やっとのことでつかんだ情報も、生い立ちのせいだとか、魅了の魔法にかかったとか、惚れ薬を使われたとか、てんでばらばらの役に立たないものばかり。

 それでも、「分からないからしょうがない」と捨て置けもしない。確かに近隣諸国から王太子変更や立太子保留の連絡がちらほらと来ている。そこに至る経緯までは発表されないが、王太子の挿げ替えや再教育の為の留学などが頻発していて、「真実の愛症候群」の存在は否定しきれなかった。


 この時フリューゲルは12歳。貴族籍に登録され、そろそろ婚約も……と考え始める時期だった。現王妃である私が辺境伯家の出身であることから、フリューゲルの婚約者は「王都周辺に領地をもつ上位貴族の中から」と、気が早い者達から進言されてもいた。同じ年ごろの娘がいる上位貴族……というと、リシュルト公爵家やミュンブル公爵家辺りだろう。ノルトレイン侯爵家やケルブルク伯爵家も候補に入ってくるだろうが、やはり、領地の広さも使える権力の強さも公爵家には一歩及ばない。諸刃の剣という部分もあるにはあるが、後ろ盾は強力な方がいい。


 それを抜きにしても、私は前々からリシュルト公爵家が良いと思っていた。リシュルト公爵は有能な人材だし、領地経営は安定していているし、何より公爵令嬢のフィリーアローゼが可愛い。5歳の時に一度会ったきりではあるが、その人形のような美しさもさることながら、世の中全員私の味方とでもいうような屈託の無さと天真爛漫な様子が可愛くて仕方なかった覚えがある。


 陛下と私はギリギリまで悩んだ。早めに婚約者を決めて、信頼関係を育みながら、王妃になるための教育を施すのが王家のしきたりだから。それに、美しく優秀な娘ほど早く婚約者が決まってしまうのは自明の理だった。けれども、色々と手を尽くして調べた結果、「真実の愛症候群」の大きな要因のひとつとして「幼い頃からの婚約」が挙げられていた。王侯貴族なら当たり前でしょう?と思うが、病に常識が通じるはずもない。陛下も宰相も侍医も周りが選んだ令嬢と王子を婚約させるのは危険だと考えているようだった。私も王子の将来を危険にさらしてまで婚約者を早期に決める必要はないと判断した。


 それがこんな事になるなんて思いもせずに……。




  ◇◇◇5年前◇◇◇


「やはり、婚約者は決めないことになったよ。」


「それが、最も現実的な策ですわね。」


 このところ、夜になると陛下が私の寝室を訪ねてくる。フリューゲルが生まれて数年経つ頃から寝所を共にすることなど数えるほどしかなかったが、最近、こうして夜中に話し合いを重ね、そのまま朝まで共に過ごすことが増えた。かといって何があるわけでもないのだが、朝起きた時、すぐ隣に温もりがあるのは幸せだ。年が経つほどに気恥ずかしさが先にたち、互いに触れ合うことを避けるようになっていたけれど、こうして触れ合ってみれば、その温もりは驚くほど心を満たす。


「王妃教育の時間が短くなるが……。」


「仕方ありません。教育内容の見直しをしておきます。結婚後公務を減らして勉強に充てる時間を増やすこともできるでしょう。……あとは、ダンスや茶会の作法など子どものころの方が身に付きやすいものはの王立学院の授業で教えてはどうでしょう?貴婦人のマナーというカリキュラムを増やして多くの貴族子女に学んでもらえばいいのです。」


「高位貴族の令嬢はともかく、中位や低位の者にはきびしいのではないか?」


「いえ、もう、この際高位も低位もありませんわ。万が一『真実の愛症候群』にかかって下位貴族を選ぶような事があっても多少の下地があれば何とかできるかもしれません。」


「分かった。皆で検討してみよう。」


 連日の会話の中身は「真実の愛症候群」への対応という色気のないものではあるが、私たちの距離はちゃんと夫婦のそれだ。これまであった人ひとり分のすき間は今は腕一本分も無い。ソファーで並んで座り、晩酌をする陛下のグラスへ追加の酒を注ぐと、肩にかかった私の髪を陛下がそっと背中に流す。この人は……時々こうして何ともなしにそっと触れては、無防備な私の心にさざ波を立てるのだ。何てことないふりをしながらテーブルにボトルをもどす。指先が震えているのをやっとのことで誤魔化した。そのままソファの背に腕を置く陛下は私の髪をそろりと撫でる。肩を抱かれているような感覚に心臓はジワリジワリと鼓動を早める。


「……もし、万が一庶民を選ぶような事があれば……?」


 一瞬、何を言われたか分からなかった。あぁ、フリューゲルの話をしていたんだと気を取り直す。


「陛下、そのときはもうギルベルトに後を託すしかございませんわ。」


「君はそれでいいのか?」


「はい。王妃になる時に覚悟しております。フリューゲルは可愛い息子ですが、国を顧みることができないのであれば王族たる資格はありません。」


 その言葉が本心なのか確かめるように陛下が私を見つめるから、私も真っ直ぐと陛下の瞳を見つめ返す。重なり合った瞳の奥で真意を探るようにのぞき込まれるが、隠すものなど何もない。私の言葉に嘘は無いのだから。しばらく見つめあった後に、陛下がふっとほほ笑んだ。そのいつにない柔らかな表情に私は頬に熱が集まるのを抑えられない。


「そうならないといいな。」


「はい。……とにかく、フリューゲルの為にもこの国の為にも、陛下も私も長く現役でいなくては。」


 照れ隠しに息子や国や立場を盾にして、2人の間に流れる温かな空気から逃れようとしてみたけれど、微笑みを絶やさない陛下の前では無駄な抵抗に終わる。固く閉じていた心を少しずつ開かされている事が嬉しくて、怖くて、泣きたくなる。


「そうだなぁ。早く王位を譲って君と南の王領で過ごすのを楽しみにしていたんだがなぁ。」


 彼のつぶやきにパチパチと瞬きをする。


「愛妾を連れて行かれるのかと思っていました。」


 私の返事に今度は陛下が目を瞬いている。


「愛妾……。」


 私の言葉を吟味している陛下のまつげが長いなぁなんて場違いな事を考えるのは、思わず口にした言葉を取り返せない事への現実逃避なのかもしれない。


「ハンネローレ。」


 静かに静かに陛下が私の名を呼ぶ。優しい口調とは裏腹に陛下の眉間には深い溝が刻まれていて、私を見る眼差しも心なしか厳しい。


「私の妻は君だけだ。……それとも、王で無くなった私は要なしか?」


 そう、小首をかしげる陛下が寂しそうで、カサついた声に痛みがにじんでいて、私は自分の罪を知る。彼を抱きしめたくて仕方ないけれど、そんな権利は無いのだと伸ばした腕が宙で止まる。


「まさかっ!違うのです。ごめんなさい。陛下……そんなつもりではっ、……あぁ、なんと言えば……」


 不用意な言葉が彼を傷つけた。私の卑屈さが彼を貶めた。共に居たいと願う気持ちを伝えることがこんなに難しいだなんて。取り乱した私を陛下はじっと見つめている。


「ハンネローレ。」


 彼が私の名を呼ぶ。じわりと目に涙がたまる。この人に、この人に嫌われたくない――。


「ねぇ、ロロ、名前を呼んで?」


 想像していたのとは全く違う彼の言葉に私はポカンと口を開けた。未だかつて陛下から呼ばれた事の無い私の愛称は、あめ玉みたいに甘く彼の舌の上を転がっている。


「名前?」


「そう、忘れちゃった?」


「……エルヴィン様?」


「うん。様はいらない。」


「エルヴィン。」


「うん。」


 返事をした彼が嬉しくて嬉しくてたまらないって顔をするから、私は堪えていた涙がポロっと一粒こぼれてしまった。彼はそっと2人の間で迷子になっていた腕を引き、体を寄せる。左手で肩を抱き、右手で頬をそっと包みこむと、涙の跡に唇を寄せる。


「私の、名を呼ぶのはこれからずっと君だけだよ。」


 王たる彼が許さなくては、彼の名やましてや愛称など誰も呼べない。王妃としての役目が終わった後も、彼の名を呼ぶのは私だけと、そんな約束をしてくれるつもりなのだと分かって思わず彼にしがみつく。もしかして、未来のどこかで違える約束であったとしても、今だけは信じたい。


「エルヴィン。」


「なんだい?」


「キス、したいわ。」


「なにそれ、可愛い。……ロロ。」


 その晩、私たちは唇を重ねる度に何度も名前を呼びあった。




  ◇◇◇現在◇◇◇


 あの日から、エルヴィンと私はフリューゲルが「真実の愛症候群」を発症しないように、万が一発症しても一線を越えずに王になれるようにと心を尽くして対策をしてきた。婚約者を決めないことだけでない。良いと思われる事は何でもやった。

 忙しい合間をぬって家族の時間を作り、寂しい思いをさせないようにするだとか。王として必要だとされていた膨大な教育も精査、厳選し負担を減らしたりだとか。フリューゲルの周りに侍る大人たちへの意識改革を呼びかけたりだとか。共に遊んだり学んだりできる友達を作る機会を授けたりだとか。お忍びでの市井へ出入りを許可して庶民と交流させたりだとか。

 必死な私達を見て貴族たちの幾人かは子どもの婚約者を決める機会を遅らせてくれた。フリューゲルの友達に選ばれ、将来の側近候補になった子たちの家が「主より早く婚約や結婚を決めるわけにはいかない」と言い出すと、高位貴族を中心に婚約時期を遅らせる家が増えたのだ。

 理解を示してくれた者ばかりではない。特に、王子に剣術を教える役目をもつ第一騎士団の団長は「悔しいから頑張れる」「稽古での勝ち負けが戦場では生死だ」という持論があるらしく、むやみやたらと競争したり、誰かと比較したりしないように……という私たちの教育方針は受け入れられなかった。色々と揉めた後、ギルベルトが指南役をかって出てくれ事無きを得たけれど、一部の教師たちからは「王子はあまやかされている」と陰口を叩かれたりもした。そして、結果がこれだ。


――恋はしようとして出来るものでも無いのです……――


 しょんぼりと落ち込んでいる息子に……というよりも「真実の愛症候群」という訳の分からないものに対する憤りで、気に入りの扇をダメにしてしまった。

 甘やかしすぎた結果と言われればぐうの音もでない。でも良かれと思って必死でしてきた事がよりによってこんな風に裏目に出るなどと思いもしなかった。穏やかに満ち足りて育ってきた息子は「選び取る」ということが出来なくなってしまったのだろうか?王になる者としてそれはどうなんだ?


 私は大きく深呼吸をした後に振り向いた。フリューゲルはまだあっけにとられた顔をして、私の扇を見ている。「びっくりしたわよね」と思う。同時に「いつまで呆けているの」とも思う。フリューゲルと対峙する時、私はいつもこんな風だ。同時に思い浮かぶ様々な感情の中からどれを表に出したらいいのか判断が難しい。優しくしてあげたいけど善悪は教えたい。厳しく接する必要もあるけど抑えつけたい訳では無い。いつも答えの無い問題に瞬時に答えてきたのだ。その時その時に最善を尽くしたつもりだけれど、多くを間違っていたのだろうか。

 17歳になった彼は立派な王子に見える。エルヴィンに似ているけれど、彼より少し甘い顔立ちは整っている。あれよあれよという間にぐんぐん伸びだ背は騎士に囲まれていても見劣りしない程高く、剣術や馬術で鍛えた体はしなやかだ。腕も王子としては十分らしい。頭も悪い事は無く、私たちが厳選した最低限の教育内容はすでに修めていて、今は本人の希望で経済と歴史と農学の博士を招いて学ぼうとする意欲もある。楽器はリュートを少々、趣味は色々あるらしく、休みの日には仲の良い友人たちと観劇や遠乗りに出かけている。図書館や博物館も好きらしい。明るく素直な性格で、少し無防備なところもあるが、それは追々城内の腹黒狸ジジィたちを相手にし始めたら、学べる所でもあるだろう。それなのに、どうして上手くいかないのだろう……。


「ねぇねぇ、フリューゲル。」


 見つめあって立ち尽くしている私たちに声をかけたのはエルヴィンだった。ノックに気付かなかったのだろうか……彼はいつの間にか部屋に入っていた。フィンを抱いている。フィンはまだ3歳で時々昼寝をする。ふくふくとした赤い頬をしているから昼寝から起きたばかりだろう。顔立ちはフリューゲルの小さい頃とそっくりだ。


「はい。父上。」


 小さくなって返事をするフリューゲルの頭をエルヴィンはポンポンっとなでた。フィンもマネしてフリューゲルの頬をペチペチと撫でている。フリューゲルは情けない顔をしながらも、手を伸ばす弟を受けとって抱き上げた。


「まぁ、座りなよ。ほらロロも。」


エルヴィンはそう言って私の手をとり、ソファーまで連れて行くと一緒に腰を下ろした。彼の手は私の肩を諫めるように宥めるように撫でている。フリューゲルもフィンを抱いたまま一人掛けのソファに座る。


「君はさ、恋をするためにお見合いしたの?」


「え?」


「はい?」


 エルヴィンの質問に二人でキョトンと目を瞬く。そういう話ではなかっただろうか?17歳になってそろそろ結婚も視野に入ってきたフリューゲルが恋できる相手を見つけるためのお茶会……。


「私は、君に婚約者を見つけるように言ったんだよ。」


 エルヴィンの言っている意味が分からない。一緒じゃないのか。


「恋しなくてもいいってことですか?」


 戸惑いながらフリューゲルが尋ねる。そう聞こえるがそんなはずはない。


「そうだよ。」


 でもエルヴィンの答えは私の考えとは反対だった。


「陛下?そんなはずは……」


「なんだ、ロロも勘違いしていたのか?いいんだよ、婚約者で。心がときめかなくてもいいから、この人とならずっと一緒にいられるなぁ、この人が笑っていると嬉しいなぁ、苦しい時にも一緒にいてほしいなぁと思う人を選びなさいと言ったはずだよ。恋できればそれに越したことはないかもしれないけれど、『さぁ、恋する相手を選びなさい』って意味不明だよね。心は勝手に動くものだよ。用意された場でそんな都合よく動いてくれない。」


「確かに……でも。」


「『真実の愛症候群』かい?まぁ、あれも怖いけど、いつまでも怖がってちゃどうにもならないからね。結婚してからでも心変わりする可能性が無いわけじゃないでしょう。婚約だって一緒だよ。万が一の時、誠実さを失わずにいられるか、周りが理解してサポートできるかっていう話だ。それにね、あの病はほら、結構条件あるじゃない?」


 エルヴィンの言葉にコクリとうなずく。確かにこの5年、情報を収集し続けて我が国では病にかかる人物の傾向は把握している。孤独や不安を感じやすい環境、金銭的物理的飽和と愛情不足、見栄っ張りで虚勢を張りやすい性格、低い自己肯定感、周囲の過度な期待、強い承認欲求……などの中から複数の条件と状況が絡み合ったときに発症するとされている。


「ほら、そこからいうと、フリューゲルは大丈夫じゃない。」


「そう……ですか?」


「そうだよ。君が愛も手間も惜しみなく注いでいたんだから。もちろん私もだけど。ちゃんと理解しているでしょう?フリューゲル?」


「母上の愛情でしょうか?」


「うん。」


「はい。少々重っ……いえっ、十分に感じております。」


 私の愛情の重さについてはエルヴィンに人睨みされて口をつぐんでいたが、フリューゲルは真剣に頷いている。あぁ、私は母としてちゃんと彼を満たしてあげられたんだと分かると肩がすっと下がった。随分体が強張っていたらしい。


「だから、婚約者を選ぶってことで大丈夫だよ。いいなぁと思う子は居たんだろう」


「あ、はい。……オリティエ・ノルトレイン侯爵令嬢が……いいです。」


 フリューゲルが真っ赤になって恥ずかしがりながらも、はっきりと一人の令嬢を名指しする。ノルトレイン侯爵令嬢……現宰相の娘だ。辞退の連絡は来てなかったはず。黒い髪に茶色い瞳の地味な色彩ながら、凛としたたたずまいが美しい才女だとうわさで聞いている。良い人選だと大きく肯いた。


「知り合いなのかい?」


「はい。時々図書館で会います。」


「あらあら、まぁまぁ。」


 私は扇で口元を隠そうとして、今持っていない事に気が付いた。


「あらあら、まぁまぁ。」


 私の言い方が面白かったのか、フリューゲルの膝の上でフィンがマネをしている。


「じゃあ、今度デートにでも誘いなさい。宰相には私から話を付けておくから。」


「……はい。よろしくお願いします。」


 話が終わると気恥ずかしいのだろう、フリューゲルはフィンをエルヴィンに預けてすぐに部屋を出ていこうとしている。


「お茶でも用意するのに。」


「母上……今は勘弁してください。」


「えぇ、フリューゲル。的外れに叱ったりしてごめんなさいね。」


「いえ。大丈夫です。」


 ニコリと笑顔を残して部屋を出ていく息子が可愛い。けれどその背中はいつになく大きく見えて寂しくもある。


「大丈夫だよ。」


 フィンをあやしながらエルヴィンがそう言うから、私はすき間を作らずピタッと彼にくっついて座る。彼の腕に手を回すと、脇をしめてギュッと挟まれる。くっついた私たちの間に入ろうとフィンがキャッキャと笑いながらもがいているが、今はちょっと入れてあげる気分ではない。エルヴィンの肩に頭を置くと、チュッと音をたててキスが降ってきた。


「『真実の愛症候群』対応もこれで一区切りでしょうか。」


「いや、分からないけれど、もう何とでもなるよ。ギルベルトもいるし、フィンもいるし。フリューゲルだって今まで一度も恋しなかった訳じゃないからね。」


「まさか、乳母のミリタリアのことではありませんよね?」


「それもそうだけど、家庭教師のライリー嬢だったりとか、学生時代はちょいちょいいい感じの子いたみたいだし?」


「私は聞いていませんわ。」


「あぁ、さすがに母親に言うのは恥ずかしかったんじゃない?」


「そうですか。長い間、大変でしたね。エルヴィンもお疲れ様でした。」


「そうだね。ロロもお疲れ様。でもね、私は大変なばかりじゃなかったよ?」


 エルヴィンの言う意味がわからなくてコテンと首を傾げると、今度は頬に唇が当たる。


「ロロとの距離が縮まって、フィンも生まれた。『真実の愛症候群』も悪いばかりではないよ。」


「そう、かもしれませんわね……。」


 赤らんだ私の頬をもみじの手がぶにゅりと押した。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 婚約破棄物は数多存在しますし、病気扱いする作品も読んだことがあったのですが、しかしそんな危うい王太子の両親に焦点を当てたものを拝読したのは本作が初めてで、その発想に驚かされました。 勿論、…
[一言] コレは与太話をさも真実の様に吹聴して嫁を取られるのを防ぐ&与太話に踊らされて国政崩壊させた(かもしれない)現王様、王太子を追い落とす王弟様の布石では……
[良い点] 最後まで読んでから表題を見返して、口から砂糖がザバザバ出ました王妃様可愛い!(ノンブレス) 小さい子が、両親サンドの具になろうとぐいぐいするの可愛いな! [一言] フィリーアローゼ、頑張っ…
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