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AIドクターの診療所  作者: きらりらら
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第八話 島の外からの来訪者

「えっ?緒方さんのお知り合いですか?」

 スーツ姿の中年男性の背後から若菜が姿を現し私に尋ねる。この庵義央(アンギオ)島をスーツ姿で歩く人間の大概が島の外から来た人間だ。

「このおっちゃん、誰っすか?」

 だからこそ、島暮らしの若者である直弼(なおすけ)がそんな不躾な態度をとるのも無理はない。医療界ではかなりの有名な先生に失礼な態度をとる直弼に焦りながら、柴浦先生を紹介した。

「この人は柴浦三郎先生です。東京の敬愛ヶ峰総合病院のお医者さんです。」

 柴浦三郎先生は神経外科医で、私も研修医だった頃から顔を合わせている。穏やかな性格で杉田先生が院長をしていた頃は新人の面倒見が良く、病院の次代を担うホープと評判の人格者だった。

 だが、残酷にも、環境はいともたやすく人を変えてしまう。

 杉田先生が院長を辞めてから高野先生が新しく院長になった時から、いつも憂鬱そうに肩を落として院内をさまよい歩き、若い研修医や看護師にストレスをぶつける先生に変わり果ててしまった。あまりの豹変ぶりに高野院長のパワハラは院内ですっかり有名になっていた。

「へーっ、そんな東京の有名なお医者様がこんな辺鄙な島に何の用事っすか?」

 直弼の指摘に私も頷きながら同意する。「えっと……」と呟き、坂を登って疲れ気味の柴浦先生の背後にいた若菜が元気よく声を上げる。

「オリバー先生に会いたいらしいのよ。私のバイト先のコンビニで道を尋ねてきたから、私が案内したってわけ!」

 胸を張る若菜の姿を見て、かつての自分もこの診療所を若菜に教えてもらったなと昔を懐かしんだ。この離島は田舎だ。10時を過ぎたにも関わらず人気のない閑散としたシャッター街を抜けた先に現れる島に一つしかないコンビニが希望の星のように見えてくる。道を尋ねる相手が見当たらない不安から解放された時のあの気持ちは良く分かりますよと私と同じ経験をした柴浦先生に共感する。

「しかし、驚いたよ。まさか……君がここにいるなんて……」

 言いにくそうにする柴浦先生に部外者である若菜と直弼は首をかしげる。恐らく院内のパワハラで辞めた元研修医にかける言葉が見つからず戸惑っているのだろう。もう辞めた身分だし、今さらどうでもいいことなので私は何も気にしないが、病院に勤める当事者からしたら悪評を立てられたらと気がかりなのだろう。

「私の新しい職場ですよ。どうぞ。」

 部外者の二人がパワハラの話にたどり着く前に、島の外からやって来た元上司を迎えた。




 診療所の扉を再び開けると、診察室から飛び出したオリバー先生の屈託のない笑顔が一瞬にして引きつった。口下手な彼女が島民を追い出して一息ついていたら、人も増えてているし、見知らぬ人も来ている。嫌な顔をするのも無理はないのだろう。

「あっ、どうもお邪魔します。」

 そんなこととは知らずに嫌われまいと穏やかな口調で話しかける柴浦先生を見て、オリバーは目を細めて警戒心をむき出しにする。

「すみません。オリバー先生とお話しさせていただきたくて、数分ほどお時間をいただけますか?」

 警戒心を強めた彼女を目の当たりにして柴浦先生の声音に困惑が帯びていた。玄関前で立ちっぱなしは疲れると配慮して、柴浦先生に上がってもらうよう促して待合室のソファーに座ってもらった。

「紹介が遅れましたね。私は敬愛ヶ峰総合病院で神経外科医をしています柴浦三郎と申します。」

 そう言ってお辞儀しながらオリバー先生に名刺を差し出した。だが、彼女は頑なに名刺を受け取ろうとしなかった。

「名刺を頂戴しますね。」

 すっかり困り果てた柴浦先生を見かねて代わりに私が名刺を受け取る。

「敬愛ヶ峰病院の方がわたしに何の用ですか?」

 不機嫌そうな声で柴浦先生に尋ねるオリバー先生を見て、

「オリバー先生、すごく不機嫌そうじゃない?」

「どうしたんっすかね?」

 と部外者の若菜と直弼ですら互いにひそひそと話し合い、訝しんでいた。

 私も彼女の出自は一切分からないが、過去に敬愛ヶ峰病院に不信感を抱くような出来事があったのだろうと容易に想像できる。彼女の過去が少し明かされたところで、柴浦先生が彼女に尋ねる。

「実は……先生に我が病院で働いていただけないかとご相談に参りまして……」

 柴浦先生の誘いに若菜と直弼が大声を上げる。

「ええっ!先生、東京に行っちゃうの!」

「そんなの反対っすよ!」

 三年も付き合っていた島民の反応は至極真っ当なものだった。だが、私はそこまで深い付き合いではない。あくまでも仕事仲間で、彼女の人生を止める権利は私にはない。

「お断りします。」

 オリバー先生の一片の迷いもなく即答する。柴浦先生が大きく深呼吸し、島民の二人は小さくガッツポーズを作って喜んでいた。だが、私としては予想通りだ。

 離島の小さな診療所を経営する医者が急に都内有数の大病院に抜擢されるなど虫のいい話が舞い込んでくるはずがない。彼女が安易に話に乗るようなら引き留めるところだが、どうやら杞憂で終わるようだ。

 ふと柴浦先生からもらった名刺に視線を落とす。名刺に書かれた氏名や連絡先は柴浦先生のもので間違いないだろう。目の前にいる柴浦先生は私の記憶にある先生と同じ姿をしている。

 柴浦先生に変装した詐欺師やマフィアという可能性はなさそうだ。オリバー先生を勧誘する真意を探ろうと柴浦先生に質問を投げかけた。

「どうしてオリバー先生を敬愛ヶ峰病院で雇おうと思ったのですか?」

「緒方さん!その人の話は聞かなくていいです!」

 今まで見たことがないほどオリバー先生が怒りの感情を露わにした。彼女の様子にひそひそと話していた若菜と直弼も思わず動きを止めていた。見かねた私は柴浦先生に声をかける。

「すみません。今日の所はお引き取り願えないですか?」

「朝一でこんな辺鄙な離島まで足を運んだんですがね……」

 恨み節を呟きオリバー先生を見つめて柴浦先生は大きくため息をつく。

「気が変わったら名刺の連絡先に連絡をください。失礼しますね。」

 診療所を出る直前に再びため息をつき、名残惜しそうな視線を一瞬だけ向けると柴浦先生はそのまま夏の炎天下へ姿を消した。

「お二人も……申し訳ないのですが……」

 呆気にとられている若菜と直弼に声をかけると、「ああ……」と声にならない声を上げて二人は診療所を後にした。二人の背中が坂の下まで遠ざかっていくのを確認して診療所に戻ると、凄まじいモーター音が診療所に響いていた。

「名刺を渡してください!」

 オリバー先生の足元で古いシュレッダーが動いていた。ほんの少し目を離しただけでそこまで用意する彼女の行動力の速さに戸惑いながら、私は彼女に尋ねてみる。

「どうしてオリバーさんは敬愛ヶ峰総合病院のことを目の敵にするんですか?」

 彼女の出自……私が彼女に抱いている疑いが関与しているかもしれないが、感情的になった彼女を目の前にして慎重に言葉を選ぶ。

「そんなことはあなたには関係のないことでしょう?」

「関係ありますよ!」

 頑なな彼女に思わず声を荒げてしまう。

 日ごろのコミュニケーション不足による鬱憤も相まって、私の口は留まるところを知らない。

「あなたは私の上司です。信頼関係を築けていないのは仕事をする上で非効率的だ。」

「信頼関係……?」

 首をかしげるオリバー先生を無視して話を進める。

「私もあの病院でパワハラを受けて精神を病んだ身です。あの病院に決して良い感情を抱いていません。あなたと同じようにね。」

 私の話を聞いて彼女は悲しげな眼を浮かべる。私はオリバー先生に歩み寄ると、彼女の手に名刺をねじ込んだ。名刺を受け取り、驚きを隠せない彼女を見つめて私は微笑んだ。

「今すぐにとは言いません。ですが、いつか落ち着いたら先生の本当のことを話してくださいね。」

 そう言い終えると、日課の水まきのために外に出た。

 水平線に浮かぶ積乱雲に向かって突き進む遊覧船が汽笛を上げていた。

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