第六話 離島の女医の診察風景
「何だい?お前は?」
訝しむ角刈りの男の視線と希望に満ちたオリバー先生の視線が同時に私に向けられた。
「私は緒方と申します。先週からこの診療所で働かせてもらっています。」
「あんたも島の外の人間かい?なら、帆柱先生には挨拶に行きよったかね?」
「帆柱……先生……?」
どこかで聞いたことのある人物名に必死に過去の情報を捻りだそうとこめかみをトントンと指で叩くが、一向に思いつかない。悩み続ける私の様子を見て男は露骨に大きなため息をついた。
「かーっ!これだから外の人間は!この島の大地主様の名前も知らんのか!」
島の大地主……?
その言葉に島の若い男が地主に挨拶をしておくよう忠告していたのを思い出す。確か島の中央にある山の麓のペンションに住んでいたはずだ。まだ挨拶に行っていないことを思い出し、後で行かなければと心に留めておく。
田舎特有の面倒くさい風習に途端に嫌気がさした。帆柱という地主の素晴らしさを延々と語られていても鬱陶しいだけなので、用件を済ませようと話題を変えた。
「ところで、一体どうしたんですか?」
「いつもの風邪薬でいいと言っているのに、このねーちゃんが出してくれないんだよ。」
「そうなんですね……」
適当な相槌を打つ私を非難するような目でオリバー先生は見つめている。患者に気持ちよく帰ってもらうのも診療所の役割なのだと諭す時間はない。先生が向ける非難の目を無視して男から症状を聞き出す。
「頭がちょっと痛くて、鼻水が垂れるんだよ。」
「確かに夏風邪の症状に近いですけど、他の可能性がある以上……」
シンプソン・パラドックス……
健司の言葉が不意に脳裏をよぎる。確かめたい気持ちがこみ上げてきたが、目の前で苛立つ男を放置するわけにはいかない。男と先生の間に割り込み、落ち着かせるように男に語り掛けた。
「診察する時間がないんですよね?」
「そうだよ!後二十分後には先生の家の木を切りに行かなきゃいけないんだよ!」
「へぇ……植木屋さんなんですね。」
「おうよ!元とび職の飛谷とは俺様のことだぜ!」
自慢げに語りながら腰に付けたホルスターから小さな枝切り鋏を見せびらかすように取り出した。狭い室内で刃物をちらつかせる初老の男にはさっさと帰ってもらって穏便に済ませるのが良いと確信する。
「分かりました。いつもの風邪薬を一週間分お出ししますので、症状が改善されないようでしたら早めに診療所に来てくださいね。」
「へっ!そこの外人のねーちゃんと違ってにーちゃんは物分かり良さそうだね!」
飛谷は乱暴に立ち上がり待合室に向かっていく。その間に診療室の棚からカルテを取り出して飛谷が指定するいつもの風邪薬を手渡した。
「ほんじゃ、失礼しましたよ!」
診療所を後にする飛谷を見送ると、私の背後でオリバーが頬を膨らませて仁王立ちしていた。
「緒方さん!」
オリバーは言葉を続ける。
「どうして診察させずに帰したんですか?」
「これが正しい対応なんですよ!」
「どうして?」
不満げな顔をしながら私に詰め寄るオリバー先生に思わず辟易する。
診療所は正しい診察をすることが正義とは限らない。
なぜなら診察に来た客の診療報酬で稼ぐ営利企業だからだ。客が消えたらそのまま廃業だ。廃業を避けるためには客の我が儘を受け入れる場面がどうしても発生する。
それは決して間違ったことではない。綺麗事だけで世の中が回らないのは世界の真理だ。
ちらりとオリバー先生の方を見る。彼女の瞳は真実を追求しようとする正義感に満ちていた。研修医だった頃の、医療への情熱に燃えていたかつての私の姿が重なる。
「今までああいう患者が来たときはどうしていたんですか?」
気がつけばかつての自分から逃げるように話題を変えていた。
「その……ずっと説得し続けたら……いつの間にか……帰ってしまいました……」
「途中で帰ったということは、処方箋を渡さずに患者を帰したということですか?」
私の指摘に彼女は気まずそうにしながら視線を落とす。
普段なら「そんな調子で三年間も診療所を続けられましたね」と皮肉の一つでも言って場を和ませるところだろう。
だが、今は違う。
それは私の中の疑念が確信に変わった瞬間だった。
「オリバー先生……」
口の中に溜まった生唾を飲み込む。
「何でしょう?」」
首をかしげる彼女に、荒唐無稽と一蹴されてもおかしくない質問を投げかけた。
「あなたは……ロボットですか?」
「えっ?」
彼女の驚愕に満ちた声が外で忙しなく鳴く蝉の声にかき消される。大きく見開いた彼女の瞳の奥に移る瞳孔がかすかに揺れていた。
「よっす!オリバー先生!います?」
不意に診療所の扉が大きく開かれた。短パンとシャツ一枚を身にまとったラフな格好をした島の若者で、名を直弼という。診療所にほぼ毎日出入りしているオリバー先生の大ファンだ。