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AIドクターの診療所  作者: きらりらら
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第五話 シンプソン・パラドックス

「あいつに聞いてみようかな……」

 ベッドの上に転がっている携帯電話に手を伸ばして電話をかける。程なくして呼び出し音が鳴りやみ、懐かしい同期の声が聞こえてきた。

「もしもし、健司?緒方だよ。久しぶり。」

「よう、緒方か!電話番号が変わっていたから誰かと思ったぞ。」

「携帯電話がつい最近壊れてしまって、新しく買い替えたんだ。」

 連絡相手は私の大学時代にフットサルサークルで知り合った同期の健司という男だ。研修医になってからすっかり疎遠になってしまったが、今もきっとチェック柄の上着を愛用しているのだろう。

「ふぅん。機種も変えたのか?まぁ、いいや。それで、こんな朝早くから何の用だ?」

「健司は今、医療工学の博士だったよな?」

「論文は揃ったし来年はいよいよ講師だぜ?」

 どや顔を浮かべる同期の姿が容易に想像できる。

 ようやく論文がそろったのかと言うのが正直な感想だ。健司が専攻しているのは医療用ロボットの開発だ。試験運転をするためにあらゆる病院に営業をかけているが、患者の命を預けている病院は常に安全が第一で、新技術の導入には消極的だとぼやいていた彼の苦労は計り知れない。

「そんな健司に質問だ。」

「何だよ、もったいぶって?」

「ヒューマノイドに医者は務まるのか?」

「はぁ?ヒューマノイドって人間型のロボットのことだよな?新手のSF小説か?」

 ヒューマノイドと言われてすぐに理解できるのは流石だと感心しながら、健司にあの日の出来事を話した。真っ暗な部屋で眠る女医の首筋に電源コードが刺さっていたことを話すと、健司は「よくできた怪談だ。」と愉快に笑いながら、


「無理だ」と否定した。


「冷静に考えてみろよ。例えばだ……。」

 健司は物分かりの悪い生徒を諭すような口調で語り始める。

「体温が37度の患者が来ました。果たしてその患者の症状は風邪でしょうか?」

「風邪に決まっているだろ。」

「じゃあ、緒方は体温が37度の患者が来たら必ず風邪薬を処方するんだな?」

「いや……」健司の指摘に喉を詰まらせる。

 発熱が風邪に限った症状とは限らない。腹痛や腰痛による発熱も考えられる。

 腹痛が原因の患者に喉の炎症を抑える薬を投与しても無意味となる。たった一つの情報で処方箋を決めつけることはできない。

「医者は問診しながら患者の症状を決めるが、実はそうじゃない。」

 健司は言葉を続ける。

「医者は初めから症状を決めつけているんだよ。これまでの医者としての経験や勘と患者が訴えてくる症状から、風邪に違いないと……。」

 健司の言葉に思わず頷いていた。

 微熱が出たと訴える患者が来たら、医者は喉の腫れや呼吸音から調べ始めるだろう。だが、その診察は医者が風邪じゃないかと疑いにかかっているからに他ならない。その予想が外れたら他の可能性を考えるだけだ。

「だけど、ヒューマノイド、つまりAIは多くの情報を入力しないと決定できない。」

 電話越しの健司が優越感に満ちた笑みを浮かべているのが容易に想像できる。

「37度の微熱が出たという情報だけでは風邪、腹痛、腰痛と全ての可能性を等しく考慮する。あらゆる可能性を一時間かけて考えた結果、尿管結石と判断するかもしれない。」

 確かに尿管結石の激痛に伴う発熱症状はある。発熱したと言う情報から尿管結石と言う結論を導きだすことは可能だ。

 だが、多くの医者はそんな馬鹿げた診察をしない。尿管結石の患者は初めから膀胱(ぼうこう)が痛いと訴えるからだ。微熱が出たと訴える患者が尿管結石のはずはないと決めてかかるし、それが当たり前だからだ。

「シンプソン・パラドックス」

 考え込む私に聞き慣れない言葉が流れ込む。

「健司、なんだそれ?」

「AIの課題だよ。あらゆる可能性を考慮するが故に一つのデータから誤った結論を出してしまうんだ。AIを研究している俺の知り合いがよくボヤいていたよ。人間が作ったものなのに思い通りにならない……ってな。」

 ケタケタと笑う健司の言葉にオリバー先生の診察を思い返してみる。

 だが、私は彼女のまともな診察を見たことがない。島民の一方的な愚痴を聞いている姿しか思い浮かばなかった。ただ、彼女には三年も島の内科診療を務めた実績がある。客足が途絶えているわけではないので、それなりに診療はできているのだろう。

「それに、緒方はその時酔っぱらっていたんだろ?何かの見間違いじゃないのか?」

「見間違い……?」

 健司の指摘に顎を押さえて唸る。

 ほろ酔い気分だったのは事実だし、もしや何かと見間違えたのだろうか……否定はできない。

 途端に自信を無くしてしまった私に健司が声をかける。

「用事がないなら切るぞ。この後、敬愛ヶ峰総合病院で打ち合わせが入っているんだ。」

「健司!待ってくれ!」

 電話を切ろうとする健司を引き留める。

「杉田栄一先生の連絡先を調べてくれないか?」

「杉田先生って診療所を紹介した恩師だろ?連絡先は知らないのか?」

「いや、全く知らないんだ。何とかならないかな?」

 オリバー先生を紹介してくれた杉田先生に確認するのが一番手っ取り早いが、院長が末端の研修医に連絡先を教えてくれるはずがない。離島で仕事をしている今、東京に戻って調べる時間がない私には東京にいる同期しか頼める相手がいなかった。

「同期からの久しぶりの頼みだ。敬愛ヶ峰病院に行くし、その時に聞いてみるよ。」

 健司の軽口を最後に通話が切れ、ビジー音だけが狭いアパートの一室に響いた。携帯電話の画面に目を落とすと診療所の開店まで後十分しかないことに気付き、慌ててズボンの着替えを済ませてアパートから勢いよく飛び出した。



「だから!いつもの薬をくれたら良いんですよ!」

 診療所の扉を開けるとつんざくような怒声が私の耳に飛び込んできた。診察室を覗くとねじり鉢巻きを巻いた角刈りの小柄な男がオリバー先生に詰め寄っていた。

 すっかり気圧されているオリバー先生に助け舟を出そうと勢いよく診察室の扉を開けた。

「どうしたんですか?」

「何だい?お前は?」

 訝しむ角刈りの男の視線と希望に満ちた先生の視線が同時に私に向けられた。

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