第一話 ヒューマノイドな女医
父さん、母さん。
お元気ですか?
その節はいろいろと心配をかけました。
あの後、病院を辞めることにしました。
辞表を出した時に高野院長から院内のパワハラを告発しないように念書を書かされましたが、不思議なことに何の感情も湧きませんでした。
病院を辞められる喜びが怒りを通り越してしまったのかもしれません。
研修医の半ばで辞めて、これからどうするのか心配されるかもしれません。
ですが、どうか僕のことは心配しないでください。
忙しなく鳴き始めた蝉の声を聞いて、僕はペンを止めた。
蝉の鳴き声と手紙が封筒にこすれる音だけが聞こえる。封筒に手紙を入れ終えて僕は部屋を見渡した。アパートの一室に夏の日差しが一筋だけ射しこみ、宙に舞う埃に反射していた。
医者としての情熱と使命に燃えていた頃の思い出が詰まった部屋が徐々に滲んでいく。思わず目をこすり部屋を後にした。部屋の扉が重く閉まる。階段を駆け下りてアパートを出ると駅の方へと歩いて行く。道の途中にあるポストに手紙を投函して、そのまま駅の方へ向かった。
背後にはきっとアパートは見えていないだろう。
そう感じながらも僕は決して後ろを振り向くことはなかった。
「緒方さん、緒方さん!」
呼びかける女性の澄んだ声にうっすらと目を開ける。肩までかかった栗色の髪を靡かせた清廉な女性の顔が目の前に広がり、エメラルドグリーンの瞳が私を捉えていた。
「お疲れですか?緒方さん。待合室で眠ってしまうなんて……」
「いえ!そんなことありません!」
かすかに吐息が聞こえるほど顔を近づける女性から思わず距離を離すと、その女性は不思議そうに首をかしげていた。
「今日はもう人は来なさそうですし、もう診療所を閉めましょうか?」
「まだ三時ですよ?閉めるには早すぎますよ、オリバー先生。」
診療所の待合室に射しこむ橙色の光が壁にかけた時計を照らしていた。
「では、もう少し頑張りましょうか?」
「はい。」
どこかぎこちなく微笑む彼女に私は静かに頷き返した。
私の返事を聞いて安心しきった様子で診察室に戻るオリバー先生の背中に私はある疑いの眼差しを向けていた。
フレデリック・オリバーはアンドロイドなのか?
そんな荒唐無稽な疑いを彼女に抱いていた。
疑念を抱くようになったきっかけは夕立が激しく降り注いだあの日に遡る。